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【番外編】フードバンク、ボランティア体験記

2020年6月13日、埼玉県八潮市。
梅雨入り前の大雨の中、NeighbourFoodの3人、Yuko、Yoshihiro、あつきは、フードバンク団体セカンドハーベストの八潮拠点に歩を進めていた。そう、今日はフードバンクのボランティアに参加する日だ。セカンドハーベストで働いていた経験を持つYukoが、「一回フードバンクの現場を見ておこうよ!」と、ボランティアに誘ってくれたのだ。

「白い靴を履いてきたのは間違いだったな、汚れちゃうや」

そんなどうでもいいことを考えながらあつきは、雨の中、程よいワクワク感と少しの不安の間にいた。
ワクワクしていたのは、NeighbourFoodに誘ってもらって初めて知った「フードバンク」という取り組みの実際の現場を見れるからだ。
その一方で、(こんな大雨の中食品を受け取りに来る人はいないのではないか、そもそも本当に開催されるのか・・・)という気持ちがあつきを不安にさせていた。
そんな気持ちを胸に、最寄駅から25分ほど歩いたところで、Yukoが持ち前の明るい声をあげた。

「ついたよ!」

そこは、あつきが想像してたよりも何倍もでかい倉庫だった・・・。

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こんにちは、NeighbourFoodのあつきです。今回は番外編の投稿になります。2020年6月13日に、NeighbourFoodメンバー3人でフードバンクのボランティアに参加したときのことを書きます。投稿の内容と、読み手の対象は次の通りです

【記事の内容】
●ボランティアの内容をあつき目線で描いた小説(小説風?)
●超個人的見解を含んだボランティアの感想
 ・なぜこの活動に「やりがい」を感じるのか
    ・もう少し「やりがい」を深掘りしてみる
    ・「渡す側」と「もらう側」の境界に違和感を覚える
    ・これから何をしようか
【読み手の対象】
●フードバンクについて何となく知ってるけど現場では実際なにをしているの?って人
●ボランティアに参加すると何を感じたりできるの?って気になる人

番外編なので、暇で暇で仕方ない人だけ読み進めてみてください。
それでは、フードバンクの概念すらつい最近まで知らなかった人が、ボランティアに参加して何を感じたのか、 しばし、お付き合いください! (Yukoの記事を楽しみにしていた方ごめんなさい。次回をお楽しみに!)

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「14時ごろには食品を受け取る方がきますので、それまで準備を頑張りましょう!」

本当に人が来るのかな?
まだ疑っているあつきを横目に、職員の方の呼びかけで準備がはじまった。 みんな忙しそうに動く中、何から準備を進めていいのか全くわからず棒立ちしているあつきに、見計ったかのように指示をくれたのは先輩ボランティアの方だ。

「まずは食品を並べていくのでその準備をするから来て!」

訳もわからずついていくと、倉庫の奥にすごい量の食品。

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想像以上の規模のものを見るといつも腕を組む癖があるあつきは、 このときも腕を組んでいた。

(こんな量の食品をどこからどうやって持ってくるんだろう)
(こんなにも大規模だと食品の移動とかにもすごいコストがかかりそうだな)

そんなことを考えながら、食品を指示された配列に運んだり並べたり。一ヶ月前に剥離骨折した小指が少しだけ痛む中、せっせと働いていると、あっという間に時計の針は14時を指していた。
あつきが不安がっていたのがバカバカしく思えるほど、あっという間に40〜50組の人が集まってきて、雨が上がった倉庫の前は、人でいっぱいになった。

(たくさん人が集まってよかった)

安心していたのも束の間、外に集まった人を避けるようにしながら、食品を乗せたトラックがやってくる。

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食品を受け取りに来た人たちは、少し退屈そうに、荷台から食品を下ろす作業を眺めていた。 そういった作業は力持ちな人々に任せて、あつきは、お米を分量通りに分けることに集中した。

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いろいろなボランティアの方が、何となくチームに分かれてそれぞれ適した配置で働いている様子にあつきはどこか心地よさを覚えた。
また、こういった単純作業は、あつきを考え事に集中させてくれる。

(14時に来た人たちはかれこれ1時間半くらい待っているな、なんか違和感があるな)
(ボランティアの人たちは優しくて、待っている子連れ家族などに話しかけたりしていたな)
(あれ、でもそれって受け取る側の人は求めていることなんだっけ)
(そんなことよりやっぱり白い靴は失敗だった、少し汚れたかな)

考えごとにふけっていると、気づけば既定の量のお米を分ける作業が終わっていた。 いったい何合のお米を量ったか分からない。

ほとんど同時に各チーム諸々の作業が終わり、無事食品も配り終わって、今回のボランティア活動が終了した。

帰り道、YukoとYohishiroは、あつきの前を歩きながら、あれやこれや今日のボランティアについて話し合っていた。二人ともやる気に満ち溢れているように見える。 あつきは、今日感じたやりがいと、二人に対する頼もしさで、胸がいっぱいだった。言葉にできないほどの期待感は、雨上がりの夕焼けに心地よく溶け出した。

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ボランティアをやってみての感想


ここからは、私あつきの、ボランティアの感想をツラツラと書きます。個人的な感想・見解を多く含むので「こう思う人もいるのか」くらいのスタンスで読んでみてください。

1.なぜこの活動に「やりがい」を感じるのだろう?

今回は、雨の中、約50組の人たちが八潮まで食品を受け取りに来ました。

この数字、読者のみなさんはどう思いますか?

小説の中であつきは最初、(受け取りに来る人がいないかもしれない)、と不安を感じていましたね。でも実際は50組の人が受取に来た。 僕にとってこの数字は、想像以上に多かったのです。 この取り組みは需要があるんだな、と再確認でき、NeighbourFoodの活動へのモチベーションも上がりました。
世の中には、色々な事情で食費に困っている人がたくさんいます。 僕も小さい頃、父親の経営する小売店の売り上げが落ちた時、食費を捻出するのに苦労していた母親の姿を見ていたので、気持ちがすごく分かります。
とある1日に僕らが活動を行うだけで、50組の人たちの食費の節約に、50組の人たちがお腹いっぱい食べることに、少しながら貢献できる。
うまく言えませんが、それってとても素敵なことではありませんか? 食費に困っている全ての人を助けることはなかなかできませんが、自分が想像力の湧く範囲で貢献すればいいと、僕は思います。 そして、そういった活動が「雨後の筍」のようにポツポツと広がっていけば、貢献できる範囲は結果的に広がっていきます。そんな「雨後の筍」現象が発生するようにNeighbourFoodの活動を継続したいなと素直に思えました。

2.もう少し「やりがい」を深掘りしてみる

 なぜ僕は、この活動を「素敵」と思えるのでしょうか。 別に自分が日々仕事してご飯を食べれれば他の人のことなんてどうでもいい、そういう考えも当然あると思います。でも僕は、この活動を「素敵」だと思う。
 なぜでしょうか。
  それは、僕もいつも困っているからです。本当に毎日のように困っていて当然のように周りの人々に助けてもらっているからです。
 どういうことか。
 小説の中であつきは、剥離骨折した小指を痛めていました。僕は5月、指を怪我した時に当たり前のように病院に行き、痛み止めをもらいました。 また、会社で理不尽に怒られてひどく落ち込んだとき、家族に話を聞いてもらいました。 またまた、彼女にふられたときには、友達に飲みに連れて行ってもらって気持ちが軽くなりました。
このように僕はいろいろな面で、とても弱い人間です。たまたま今は食費では困っていないだけで、いろいろなことで毎日困っていて、それに対する救いの場があって、助けてもらっています。(これ、僕だけではなくてほとんどみんなそうなんじゃないかな、とか思います)
 そのくせ、何か成功したときには傲慢になってしまって、自分のおかげだ、と思ってしまうところもあります。 毎日のように人に助けてもらっているのに、です。そんな自分がすごく嫌いです。

僕は弱くて毎日のように困っていて人に助けてもらっている。だからこそ、自分自身も、困っている人の気持ちを忘れずに、傲慢にならずに、謙虚に生きていたいと思っています。

 NeighborFoodの活動は、食費に困っている人がいて、それに対する救いの場を設けて、想像力の湧く範囲で貢献する、というものだと認識しています。 このような活動をすることで、恩返しではないけど、世の中の「助け合い」の循環の中に参加して、謙虚に生きられる気がする。だから僕はこの活動を、綺麗事ではなく「素敵」だと思うし、やりがいを感じるわけです。 結局は、自分が謙虚な気持ちを忘れずにいたいから、そういう理由で、自分のためだけにやっているのかもしれませんね。

3.「渡す人」と「もらう人」という境界線に違和感を覚える

 助け合いの循環、という視点を持つと、今回のボランティアに対する違和感が浮かび上がってきます。
 今回のボランティアでは、食品を受け取る人が、当然のように1、2時間外で待っていました。なんだか僕は(僕が勝手に思っているだけなのかもしれませんが)、

「食品を無料でもらえるんだから待っておいてね」

という、食品を渡す側の無意識の考えが見え隠れしたような気がしました。 小説の中であつきが、米を測りながら感じた違和感ですね。
でも、2.で述べたように、今回食品を受け取る人がたまたま食費で困っている、というだけの話で、世の中の多くの人は色々なことで毎日のように困っています。人々は助け合いの循環で生きていると思うのです。 そうすると、食品を渡す側ともらう側に、上下関係も勝ち負けも偉い偉くない、もないわけです。
1〜2時間も外で待つと、受け取る側にも「まあ食品をもらえるんだから仕方ない」という、気持ちが生まれてしまうと思います。これって、食品を受け取る側からすると、少し肩身が狭い。

窃盗などにあったら警察に行くように、怪我をしたら病院に行くように、

「食べるものに困ったらNeighbourFoodを利用する」

こういう、当たり前のサービスになればいいな、と漠然と考えたりしました。 そのためにはどうすればいいのか、メンバーで考えながら活動を継続していきたいと思います。

4.ここから何をしようか

あつきが小説の中で感じた疑問や違和感で、まだ解決していないものがたくさんあります。

(こんな量の食品をどこからどうやって持ってくるんだろう)

廃棄する食品をどうやってもらうんでしょうか。 スーパーは食品廃棄にコストがかかるから、廃棄食品くださいって言ったら喜んでくれるのかな。 それとも廃棄食品の寄付について公言したくないんだろうか。

(こんなにも大規模だと食品の運搬とかにもすごいコストがかかりそうだな)

多くの食品を提供しているセカンドハーベストはすごい組織だと、改めて感じました。 ただ、多くのコストがかかるとも思います。この仕組みは、セカンドハーベストのように大きな組織でないとできないものだと思います。 
僕らNeighborFoodのように小規模な団体が行うメリットってなんだろう。 地域に根差してフードバンク活動を行えば食品の運搬のコストとかは下げられそうかな。こんな感じであれやこれやメンバーで話し合っています。

(ボランティアの人たちは優しくて待っている子連れ家族などに話しかけたりしていたな)
(あれ、でもそれって受け取る側の人は求めていることなんだっけ)

食品をもらいに来る人は、食に困っているだけで、優しさは求めていないのかもしれない。コンビニに行くときに店員さんに優しくされても困ってしまうもんな。 何がサービス利用者にとって最適なのだろうか。

このように、考え始めるとたくさんの疑問が出てきます。 NeighborFoodでは、このような疑問に対して、仮説検証を繰り返していきます。 その立ち上げのプロセスも含め、noteに記述していきます。
読み手のみなさん、そのプロセスをも楽しんで読んでみてください!
そして、共感してくれる方はそのプロセス、考え方を真似してみてください!
雨後の筍のように、同じ取り組みをする人が増えてくれればいいと思っています!

僕がボランティアの帰り道に感じた、何とも言えない期待感が現実になればいいなあ。

以上、番外編、あつきによるフードバンク体験記でした。

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