宮城准さんと、ゆっくりつながる。#01「母への違和感」
こんにちは、neighborです!
いよいよ「ゆっくりつながる」連載を始めます。どうぞよろしくお願いいたします。
わたしたちが初めてつながったのは、宮城准さんです。
宮城さんは理学療法士。neighbor𠮷村さんの運営する訪問看護ステーションに所属しています。また、数年前からわたし(馬場)の両親の訪問リハビリに来てくださっているというご縁もあり、まさにneighborのお隣りさんです。
彼は身体への知識を生かしてファッションスタイリストとしても活躍しています。ちなみに母は彼を「リハビリのお兄さん」と呼び、「シュッとしててちょっとかっこいいじゃない?何だかわたしたち気が合うの」と言います。うぐぐ、、
介護家族から見た宮城さんは、シュッとしてキラキラして優しい「リハビリのお兄さん」でしかありませんでした。
今回、ご家族のことを話してくださった宮城さんに、まずは心から感謝したいです。
1度話を伺ったあと、その音声をすべて文字起こしして読んでいただきました。その後もう1度、3人で会いました。ゲームをしたりお弁当を食べたりと、暮らすような時間の中で、ゆっくりとインタビューを振り返りました。家族の写真をたくさん見せてもらいました。
とても個人的な出来事について伝えてくださった宮城さんは、最後まで実名で伝えようか迷っていました。
最終的に仮名を選ぶことにしたのは、ご自身の周囲の人たちへの思いやりです。
そんな彼の人間性も伝わればと思い、話を編集しすぎず、なるべくそのままの言葉でお伝えします。
タイトル写真は、彼と会った日の、帰り道の夜空です。
宮城さんと、ゆっくりつながっていただければ幸いです。
※(𠮷)は𠮷村、(馬)は馬場です。
第1話|母への違和感
同じことを2度口にする母への違和感
――(馬)宮城さんは、父が亡くなる数日前までリハビリしてくださってましたよね。手足をストレッチしたり、ほぐしたり。父はとっても気持ちよさそうで。あれでわたしは衝撃を受けたんですよね。命が終わる瞬間まで人間として尊重するってこういうことなんだと。どこかで「それどころじゃない」と父を分け隔てていた自分に気づいたんです。
こんな風に言葉にしてもらえるってあまりないですね。やってもらって楽になりました、ありがとうございます、ってその場で言ってもらうことはあるんですけど。家族の視点で「お父さんの尊厳を取り戻した」と感じてもらって客観的に言ってもらえて、僕がやっている仕事の価値を見出したというか。すごい嬉しいですね、これは。
――(馬)今日は宮城さんのお話を聞かせてもらえますか?若いから、恋愛とか未来のことで頭の中がいっぱいだと思っていたんですが。
キラキラしてそう、ってよく言われるんですけどね。わりと大変な時もありましたね。
自分は5人家族の末っ子に生まれまして。兄が1番上で、姉が真ん中、そして私です。
姉とは5つ離れているのでだいぶ目をかけてもらったというか、甘やかしてもらいましたね(笑)。今も末っ子の振る舞いが抜けないです。これが一番うまくいくパターンだって分かっていながらも、恥ずかしいなって思っています。兄は8つ上です。
――(馬)めろめろに愛されて育ったわけですね。
そうですね。だいぶ。笑。
――(馬)今は、ご両親は?
東京にいます。
兄は結婚して、姉が主に面倒を見ています。
――(馬)面倒…?どなたの面倒を見ているのですか?
母が認知症なんです。若年性アルツハイマーです。
――(馬)そうなのか。いつ、分かったんですか?
2014年頃に症状が出てきたのが始まりですね。8年前、私が大学生の頃です。
兄貴の結婚式がハワイであったんですけど、いつもと違うことをしなければならないんですよね。英語で喋ったり、旅行の荷物をまとめたり。それで頭がハイテンションになった時に、同じことを2回言うんです。いわゆるテレビに出てくるような“ぼけの始まり”かなというのを感じたのがその年でしたね。ちょっと、大丈夫かな?と。
この時は、同じことを2回言うだけで済んでいました。
祖母もアルツハイマー型認知症で、母親が介護しているのを身近に見ていました。僕が高校生の頃です。半ば強制的に、祖母の実家から我が家に連れてきて介護していました。
それで祖母がよく、徘徊していたんですよね。無理もないです。数十年住んだ家からいきなり娘の家に連れてこられたんですから。母と祖母はそれでよく喧嘩していました。どっちの気持ちもわかるので辛かったです。
家族だから言えない、聞けない
〈写真を見せてもらう〉
これがうちの母です。
――(馬)似てますね!
そうですね。
――(𠮷)これは宮城君?
犬ですよ笑
ハルといいます。
――(𠮷)これはお父さん?
これは僕です笑
これは、姉です。
こいつ(犬)がまた、もう、、(メロメロ)
――(馬)いつの写真ですか?
ちょうど1年前くらいです。母が53か、54の時ですね。
〈おかしをあける音〉
――(𠮷)この話を他の人に話すのは、抵抗ある?
僕は全然いいんですが、親父は抵抗があるでしょうね。けっこう保守的なところがあるんです。介護はボランティアであるべきだ、神聖なものだ、みたいなことも思っているんじゃないかなと。
母親への思い入れが強いからこそ、そういう正義感を持つんだと思います。
寂しいんです、多分。母親からいろんな人が離れていくのが。症状が進行しますし、いずれデイサービスに通えなくなるのが何となく親父にも分かっているので、無意識の抵抗としてケアマネさんにぶつかってしまう表現になるんだと思います。
――(馬)通えなくなる、というのはどうしてですか?
「認知症特化型デイサービス」というのがありまして。アルツハイマーの方が集まって、作業をしたり料理をしたりと役割を与えてくれる、というサービスのあるところに行ってもらっているんですけれど、寝たきりに近い状態になると通うのが難しくなる、というのは最初から分かっていました。普通のおうちに集まるような施設なので。
――(𠮷)お父さんは、お母さんがデイに通えなくなるとフリーな時間がなくなってしまうのが不安なのかな。それか、もっとお母さんにラブ寄り?
親父は仕事をしているので、母がデイに通えなくなっちゃうと困る、というのはありますね。ずっと家で見ていなければならないですから。
――(𠮷)そういう話、直接しないの?
しないですね。家族だから言えない、聞けない。
よく親父と本気で喧嘩をします。ちょうど今ピークです。笑。
実は施設に入れるかどうか、という話をしていて。
(第2話に続く)
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