古典臨書のさんぽ道〜アート書道編〜
書の道は人それぞれ。
人それぞれにおすすめの古典臨書作品をご紹介するシリーズです。
今回は、アート書道について。
「アート書道」は変な言葉です笑。
書道自体が本来、芸術(=アート)なので意味が重複してしまっているのですが、
近年この言葉が使われるようになっているのは、
掛け軸のような現代人には理解しづらい伝統的な書道作品に対して、
「飾りたい!」と思わせるような、現代的もしくは絵画的な作品のことを
敢えてカテゴライズする必要があるからだと認識しています。
私自身、この分野が好きでこれまでお仕事をいただいてきた経緯があり、
「和モダンアート」「インテリア書」といった言葉を使ったりしています。
前置きが長くなりました。さてさて、
アート書の2つの構成要素
書道は線を書く芸術です。
線を書きながら同時に余白を書いている。
つまり、「余白」と「線」の二つの「美」によって構成されているのです。
その一、「余白」の美
その二、「線」の美
この二つをいかに魅せるか。魅せる技を身につけるか。
この視点で、古典臨書作品を紹介したいと思います。
「余白の美」を鍛錬するための古典作品
元来の書道は公的文書や仏教経典の類が多く、
それらは縦横のマス目に整然と書かれています。
「余白の美」の概念が出てくるのは、中国もしくは日本で、
少し時代が下ってからのこと。
行書:黄庭堅 黄州寒食詩巻跋
デザイン書道編でもご紹介しましたが、
余白の使い方に強烈なオリジナリティが発揮されているのがこの作品です。
軸はナナメ、文字の大小はごちゃごちゃ。
よって、いろんなところに余白が生まれている。
とても面白い作品です。
行草書:小野道風 玉泉帖
臨書されることは少ないようですが、実は私が一番好きな作品。
文字の大小の差がすごい!緩急、濃淡、もはや自由すぎる!!
道風自身が、「普通の書風とは違う感じで書いてみた」的なコメントもしている、
超実験的作品ですが、この作品あってその後の日本の書道があるように思います。
道風の書は、紫式部に「いまめかしい(現代的だ)」と言わしめたことでも有名。
かな:継色紙
かな作品になりますが、「余白の美」と言えばこれ!という作品です。
ぜひ、一眼ご覧になって下さい。
山の風景を描くように書かれた書。
日本人が自然を範として創作してきたことがよくわかります。
楷行草書いろいろ:良寛さんの書
江戸時代の僧侶、良寛。
子どもたちと蹴鞠をして遊んだというやさしいエピソードが残りますが、
良寛さんの書ほど、余白を感じさせるものはありません。
「書は人なり」をこれほどまでに、体現した人はいないのでしょう。
「子どもが書いたんじゃないの?」と思ったら、
それが良寛さんの凄さなのです。
「線の美」を鍛錬するための古典作品
草書:懐素 自叙帖
「狂草」と呼ばれる、狂ったように書かれた草書作品です。
どこまでも続く連綿体。ぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる笑。
でも、日本の三蹟や良寛にも愛されて影響を与えた、
何とも自由な唐代の書です。最後は文字が「デカい!」。
そして、とてもモダンな線です。
行書:米芾 虹縣詩巻
米芾ほどの筆遣いの人はいない。すごい技巧家だと思います。
この作品は他の米芾作品より文字が大きく、
米芾の微細な筆の動きを観察するにはとても良いです。
なんという華麗な筆の動き!
美しい、息を呑むような線!!
行草書:空海 風信帖
ここに入れるまでもないかもしれない基本の作品ですが、
敢えて、線の美しさを学ぶにはこの古典は必須なのだ!
ということを強調したいと思います。
やっぱり、空海の線はやわらかく、強く、美しいと思います。
童心に返って気ままに描いてみよう
ここまで「余白」「線」の美の2要素に分けて、
臨書におすすめの作品を紹介してみました。
飾るための書道の出現が歴史上遅いため、
基本から一歩進んだ作品が多くなった印象があります。
ぜひ、「いつかこれらの臨書を」と思いつつ、
何も考えずに、ご自身が「飾りたい!」と思う作品作りに、
チャレンジしてみてください。
アート書道に一番大切なのは「童心」であり、
また、「その時の自分にしか書けないものがある」という心です。
臨書は大切ですが、臨書したがために、
初々しい作品は書けなくなったりします笑。
その時のご自分を大切に、気ままに描いてみてくださいね。
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