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【旅の記憶】Reims(ランス)

3年前、まだ大学院生活を送っていた夏。パリの企業にてスタージュ(インターン)中、2泊3日で訪れたランス(Reims)の回想になる。

パリからTGV(新幹線)で45分、ランスはシャンパーニュ(シャンパン)の聖地であり、フランス国王の戴冠式が行われていたノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Reims)の所在地。

初代フランク王国の王クロヴィス1世(在位481~511年)が、ランス司教であったサン=レミ(聖レミギウス)によって洗礼を受け、カトリックに改宗した場所であることから、歴代の国王のsacre(戴冠式)が行われてきたというフランス史にとって重要な町だ。

ランス・ノートルダム大聖堂

大聖堂は本当に圧巻だった。パリに戻った時、パリのノートルダムがシンプルに感じられたくらい、細微な装飾が巨大なファサード全体に続いていた。

まず側面から訪れたのだが、彫刻に目を見張った。

そして正面。

正面ファサードの左側は、イエスの受難の場面である。

微笑みの天使の彫像。とても珍しく、ランス大聖堂はこの天使でも有名だ。

天使の右側、使徒や聖人たちが縦に並んで彫られているが、首が全て落とされているのが見える。フランス革命時、革命家たちによる破壊行為の跡だ。フランス国王は「神の代理人」として権力を授けられており、言うまでもなく皆カトリック教徒。国王の追放、王政の破壊は、すなわち教会を権力から引きずり下ろすこと、政治からカトリック教会を追放することだった。

アヴィニョンの教皇庁やランスの大聖堂のように、教会が政治権力を象徴している場所の彫像は、革命時に首をはねられて今もその傷跡が残っているものがたくさんある。

微笑みの天使の反対側の小さな聖人たちも。
王を、生きた人間をギロチンにかけた革命家たちだから、彫像の首がことごとく落とされていても驚かないと言えばそうだが、文化遺産の破壊にはまた別のおぞましさを感じる。


中に入って、言葉が出ないほど美しいステンドグラス。太陽の強い日で、キラキラと輝く装飾の前に胸がいっぱいになった。

荘厳なパイプオルガン。

写真の右側のステンドグラスのように、装飾のない白い窓も多々あった。第一次世界大戦時、ドイツ軍による爆撃によって大聖堂が破壊されて、もとのステンドグラスが修復されなかったことによるものだ。得も言われぬ色とりどりのステンドグラスに象られている一方で、戦争の傷跡、無味のガラスに取って代わられてしまった部分があることには痛ましさを覚える。

そして、この大聖堂で最も好きだった場所。聖母マリアと幼きイエスの像。

イエスを抱くこの優しいマリア像に出会えたことは、この旅の宝物の一つだ。


外に出て、反対の側面も圧巻としか言いようがなかった。

専門的なことは分からないながら私はゴシック建築が好きで、惹かれる教会、大聖堂はゴシック様式ばかりだが、パリのノートルダム、シャルトル、アミアン、ルーアン、どの大聖堂よりもこのランス大聖堂から大きな衝撃を受けた。

フランス国王が、ここで聖別され戴冠されていた(最初は816年のルイ1世、1027年のアンリ1世以降はいくつかの例外を除き皆ランス)と思うと、フランス史そして教会史における大事な場所に来られたことにより深い感銘を覚える。

サン=レミ聖堂

ランスには、大聖堂とともにユネスコの世界文化遺産に登録されているサン=レミ聖堂(Basilique Saint-Remi)があり、ここにランス司教サン=レミ(聖レミギウス、437頃~533年)のお墓がある。

97年という長い生涯を送った聖人、サン=レミ。墓前に蝋燭を灯し祈った。

シャンパンの聖地ランス

シャンパン醸造所が至るところにあるランスは、財政的にとても潤っていることが駅を降りた瞬間に分かるような、非常に綺麗で清潔な町だった。
旅行中はシャンパンも楽しみ、知らなかった銘柄を発見するなど収穫があった。ランスのこちらの側面については、改めて書けたらと思っている。

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