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うつ病、男性恐怖症、借金。挫折だらけの人生でも這い上がる力をあなたと共に。

はじめまして! みのりです。

現在は事務員として働きながら
記事執筆や情報発信者として活動しています。

1日1食生活をしつつ
朝から晩までパソコンにかじりつく変人です(笑)

今でこそ「挑戦すること」
心の底から楽しめている29歳ですが、

6年前までうつ病や希死念慮・
 男性恐怖症に悩まされた
超豆腐メンタルな女
でした。

ですが、
ある一つの思いから一念発起しうつ病を克服。

今では男性恐怖症も克服し、
22歳年上の彼氏がいますし
多くの仲間に囲まれた空間の中で
仕事をすることができるようになりました。

ここでは、
わたしの生い立ちや今までの活動をご紹介します。

わたしがどんな理念をもち、何を目指しているのか。

生搾り100%のわたしの想いを綴りました。


わたしは母の愚痴の吐け口 | 人を信用できない性格に

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今でこそ信頼できる仲間に囲まれたり
SNSで自分の意見をはっきり伝えたりできているので、

「もとから好かれるような性格で、
 はっきり物事を言える人間だったの?」

と質問されることも多いですが、そんなことはありません。

むしろ人を信用できなかったし、
自分の意志をもたないようにひっそりと生きていた
のです。

当時のわたしの原点は、実の母親にありました。

母が何か言っても、全く取り合わない父。

そして、父への憎しみや諦めが胸に蓄積され続ける母。

正直
二人が楽しそうに会話している姿を
一度も見たことがありません。

そんな冷え切った家庭が、わたしの居場所。

家族のなかで唯一の女児だったためか
母の愚痴の吐け口に認定されるのに
そんなに時間はかかりませんでした。


「はやくお父さん死なないかな〜」
「(わたしと兄が)20歳過ぎないと
 親の責任があるから離婚できないわ〜」

こんなセリフを
5歳の頃から毎日のように聞かされて育ちました。

正直、心の底からイヤでしたが

「わがまま言って、母親に迷惑かけちゃいけない」
「わたしが我慢すれば、家族は離ればなれにならないで済む」

このような気持ちが芽生えていて
自分の気持ちを抑えつけるようになりました。

本当は愛されたいし、かまってほしい。

普通の子どもとして、無邪気に生きたい。

と思いながも、
本音を必死に隠して
いつも笑顔が絶えない自分を演じる毎日。

「自分をだせば嫌われる」
「誰かに相談してさらに険悪になったらどうしよう」

恐怖に勝てず、
23歳になるまで常に感情を殺し続けていたのです。


8年かかえた男性恐怖症 | きっかけは父だった

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高校生になって手話を習ったり、
知的障がい者の余暇活動支援をしたり
それなりに充実した日々を過ごせるようになりました。

ですが、家庭事情は悪化の一途をたどります。

きっかけは、父でした。

高校生になって女性的な体つきになったからか、
胸やおしりに伸びる父の手。

はい、セクハラに目覚めてしまったのです。

最初はスキンシップだと思っていましたが、
生理的嫌悪感がどんどん高まり
気づいたときには男性恐怖症になっていました。

男性の手が少しでも触れただけで、
全身を駆けめぐる悪寒。

10分以上トイレにこもり、
震える身体を抱きながら泣き続けました。

こんな状態が8年続くことになりました。

「わたしの体は汚れている」
「なんのために生きているの?」

自分の身体が汚らわしいと思うようになったし
自分の存在理由がわからなくなりました。

それでも、生きることだけは続ける。

今思うと「ゾンビだったな〜」と思っています笑

「死にたい」| 虚無の世界に堕ちて

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保育科の短期大学を卒業して
20歳で保育士として働き始めました。

もともと子どもが好きだったし
無条件で信頼をよせてくれる存在に
救われたかったのかもしれません。

手を広げると笑顔で抱きついてくれて
必要とされる感覚を味わうことができて

「生きてていいんだ」

そう実感できる日々が
殺した心にあったかさをくれました。

だけど、その幸せも長くは続きませんでした。

・サービス残業に、深夜までかかる持ち帰り仕事。
・職員同士もギクシャクしていて、常に緊張感を強いられる環境。

そして、それ以上にわたしの心を掻き乱した感情。

子どもに、その家族への嫉妬心です。

・毎日、夫婦で子どもの送り迎えをする家庭。
・旦那さんも奥さんも笑い合って、
 その中心に子どもがいる眩しさ。

わたしが欲しくてたまらなくても
手に入れられなかった家族の姿が目の前にあって
心が悲鳴を上げました。

「なんでわたしの家族は、この子の家族のようになれなかったの?」
「なんでわたしの両親は、この子の両親みたいに仲が良くないの?」
「なんでわたしは、この子みたいに無邪気に育つことができなかったの?」

殺した感情の決壊。

吹き出した負の感情は
あっという間にわたしを飲み込んでしまいました。

今思うと、うつ病だったのだと思います。

食欲もなくなって
寝ることさえできなくなっていく日々。

頭を駆け巡る「死にたい」のコール。

実際、電源コードで首を絞めたり
頭を壁に衝突させたりしていた時期もあります。

意識がなくなるギリギリのところで
いつも手が緩んでしまって

「なんでこんな簡単なことができないんだ!」
「死にたいと思っているのに
 なんで最後のところで躊躇しちゃうんだ!」

そう自分を責めて泣く日々は、半年以上も続きました。

「もう何も感じたくない。
 何も考えたくない。
 このまま消えてしまいたい」

最終的には、虚無の世界に堕ちた心。

「自分はこの世界の誰にも必要とされていない」

そんな気持ちが巣食って
ただただ暗闇の中を彷徨っていたのです。


「他人のせいにしたままの人生で終わるの?」

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朝起きて生きていることに泣いて
家を出たときに泣いて
保育園の屋根を見て泣いて…

家でも職場でも
人目につかないところに行っては
自分の首を絞めてみる。

わたしの人生のなかで、もっとも暗かった半年間。

それでも、心の中には

「わたしは、本当にこのまま死んじゃっていいの?」

「本当は何を望んで、どう生きたいと思っているの?」

という気持ちが渦巻いていました。

「死」を感じて初めて
本当に望んでいることは何かと
向き合うことができるようになったのです。

それと同時に、今の自分に無性に腹が立ちました。

だって、このまま死んじゃったら、
父と母を憎んだまま死ぬことになるから。

誰かのせいにしたまま、
縛られたまま死ぬことになるからです。

正直、「ふざけんな」と思いました。笑

私は父でも母でもない。

みのりなんです。

たった一人の、
この世にたった一人しかいない人間なんです。

それで死んだら
父と母が敷いたレールの上にいるきがしました。

それは、

「自分の人生を生きていると言えない」

そう思いました。

「自分の人生を生きないまま死ぬなんて冗談じゃない!
  
 わたしはわたしだ!
 
 父や母の顔色をうかがう必要なんかない! 
 
 わたしが望んだ人生を生きていいんだ!
 
 それを止める権利は誰にもない!」

そんな思いから、
わたしは”自由な生き方を実現すること”を目標に動き始めました。

好きな場所で、好きな人の中で生きていく人生。

それがわたしが望むライフスタイルです。

その実現のためにはまず、
生活を自由にできる資金が必要だと判断して動きはじめました。

挫折して借金もある。だけど、心は前向きに。

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自分の道を見つけたのが25歳のときです。

その頃には
男性恐怖症もうつ病も克服して
人生が前向きになった時期でした。

(そのときのエピソードは、後日公開予定)

「生活を自由にできる資金を手に入れる!」

そう意気こんで始めたのが、物販でした。

勢いのままTwitterを開始して
ビジネス系の発信者を片っ端からフォロー。

話を聞いてくれた人に飛びついて
物販スクールに飛び込みました。

Twitter開設からわずか2日の出来事です。

今でこそ
そのスクールで出会えた人には感謝していますが

「あまりにも無知でバカだったな〜」

と、思うこともあります。

なぜなら、
その決断がのちに
債務整理をするきっかけになったからです。笑

当時は保育士を辞めて、
岡山県でフリーターをしていました。

月収は10万。

とても貯金する余裕はなく
自己投資するのは自殺行為でしかない状況でした。

それでも

「今までの自分を変えるなら、リスクは負わないと」

先憂後楽
先に辛いことをして、後から楽しむという諺。

リスクを得ずに、変化や成功はないんです。

だから、
このような考えだけをもって、
ひたすらに走り続けていました。

その甲斐あって、
物販開始3ヶ月目で20万の利益を出し
教わる側から教える側に回ることができるようになりました。

これでもっと利益を出せる…はずでした。

転落するのは一瞬。

カードの操作をミスって
支払い切れない額の請求がきてしまったのです。

リボ払い恐るべし……。

プラスで、
詐欺にも遭いさらに借金が追加されるハメに。

その額、およそ400万。

月収10万の人間には
到底払い切れない借金を抱えてしまいました。

それでも、不思議と心は前を向けていました。

「借金あっても、死ぬわけじゃないし」

周りのビジネス仲間に
借金1000万とか4000万とか抱えている人がいたから
感覚が鈍っていたというのもあります。

この日本という国で
借金を負っても今日明日で死ぬわけではないという思いもありました。

むしろ
借金に悩む人を救済する制度すらあるのが日本です。

現にわたしは債務整理をして
毎月の支払額を一本化して生活に支障がない範囲で
返済をすることができています。

もちろん、新しくカードをつくることや
ローンを組むことはできませんが、
デメリットはそれくらいです。

仕事をしていれば貯金もできるし
借金がない人と同等の人生を生きることができます。

だから、

「借金=人生の敗者」なんて思わず

挑戦を続ければいい。

当時のわたしはそう思ったし、
今でもそう思っています。

むしろ、
借金を理由に諦めてしまったら、この先一生後悔する

そんな人生なんて、こっちから願い下げなんですよね。

「自分の感情を殺さずに、ありのままに生きる」

それがわたしの生きるテーマで、
曲げたくない信念だからです。

だから、
”借金がある人生も楽しんでやる”
というくらいの気持ちで
毎日を生きていました。

もちろん
わたしの選択が正しいなんて言うつもりもありません。

「借金しましょう!」と勧める気もありません。

むしろ、
借金を抱えない立ち回り方を
24時間伝えたい気分です笑

そんなこんなで、
物販以外のことにも挑戦するようになりました。

記事作成の仕事もその一つです。

器用貧乏になって辿り着いたこたえ

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「みのりさんてさ、器用貧乏だよね」

当時シェアルームをしていたビジネス仲間からの一言。

動画編集、記事作成、料理、草木染め、
作詞に動画用のスライド作成。

いろいろなことに手を出して技術は習得しても、
いつも稼げる段階までいけない。

そんな状態が長く続きました。

もちろん、その期間は満足に稼ぐこともできず
借金の返済のためだけに働くような毎日です。

本当は仕事の拘束時間が嫌いなのに、
生きるためには働くしかない。

正直、幸せな生活とかけ離れていました。

今思えば、わざと不幸でいようとしていたのです。


そうすれば、両親にちゃんと心配してもらえるから。

いつも家族のバランサーとして笑顔を絶やさず
愚痴に耳を傾ける扱いやすい子を演じてきました。

自分の本音を言わず
両親が望むような子どもになろうと必死だった23年間。

うつ病になって
毎日「死にたい」と思っていたことも
両親は知りません。

心のなかでは心配してくれていたと後にわかりましたが、

「心のなかで思うんじゃなくて、態度に出してよ!」

この思いが無意識に溜まっていたのです。

だから、わざと不幸になって
ちゃんと両親に心配してほしかったのだと思います。

我ながら女々しいですよね。

でも、
その気持ちに気づけたことは、大きな収穫でした。

当時の愛情に飢えていた自分を
しっかりと受け止めることができたらです。

「本当は愛されたかったし、
 無邪気に笑いたかったんだよね」

「今までよく頑張ってくれたね」

5歳の頃から止まっていた時間を
28歳になってようやく動かすことができました。

ビジネスの世界に入って5年目で
ようやく掴むことができた確かな一歩です。

わたしが「発信」を続ける理由

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今までの体験を文章や言葉で発信するようになったのは、

「みのりさんの話を聞いていたら、
 勇気がでてきました」

この一言がきっかけでした。

その人も両親から満足に愛されず、
自分の存在理由に悩んでいた人でした。

正直、
わたしよりも悲惨な幼少期を生きていた男の子です。

そんな人が、
わたしの体験やそこから得た価値観の話を聞いて、
勇気がでたと言ってくれた。

正直、嬉しすぎて涙がでそうになりました。

自分の体験が誰かの悩みに寄り添えたり、
勇気を与えたりできること

純粋に嬉しかったのです。

「ああ、わたしの人生にも意味はあったんだ」

今までの孤独も挫折も葛藤も
全部誰かの背中を押すために必要なことだったんだって
心から思えました。

もちろん、
ビジネスをする以上、
結果は必要になっていきます。

それでも、
わたしは誰かの背中を押せる存在でありたい。

わたし自身もたくさんの人の出会いや言葉をもらい
人生を切り拓けたように

わたしもその人にとって
人生の転機や勇気となるような言葉を届けたい。

だから今も、そんな存在になれるように
できることを全力で取り組んでいいます。

まだうまくいかずに、
諦めてしまいたくなることもあります。

それでも、
心からやりたいと思っていることを
目指して動けることや

背中を押してくれる人と
一緒に走れることが本当に嬉しいです。

この先に挫折や葛藤と失敗があったとしても
それすらも誰かの役に立てる。

それがわかっているからこそ
勇気をもって一歩を刻むことができています。

迷いなく、誇りをもって。

その一歩が繋がって
迷いなく自分の人生を刻む
そんな人を増やしていけたら最高です。

自分だけがもっているストーリーを発信して
誰かの悩みを解放し、人生を変えることができる人

これからも増やしていけたらと思っています。

この記事を最後まで読んでくれたあなたにも。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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