著作者_Daniel

1-4.瞑想の眼差し

ねぎぽんです。ワークショップのデザイナーとファシリテーターをしています。

マインドフルネス瞑想を利用したワークショップもしています。

マインドフルネス瞑想に出会ったとき適切な言葉を見つけたと感じたものでした。ぼくが哲学から得た経験を言葉にするのにマインドフルネス瞑想はとても使い勝手の良いものだと思ったものです。

マインドフルネス瞑想の経験から連想した人はエトムント・フッサールでした。彼の哲学は事象が現れ出てくることを精緻に分析した「現象学」(phenomenology)の名で知られている。

どうしてフッサールなのか。井筒俊彦の東洋思想を導き手に哲学の学びを深めていったのは事実です。でも、現在の心理学や教育学や社会学の直接の背景となった哲学は、東洋の哲学ではなく、西洋の哲学です。なによりフッサールはその源流の第一人者で、フッサールの哲学を見ずして現代の諸学を語ることはできません。

さらに、20世紀のヨーロッパの哲学は無の発見に端を発して東洋思想の考え方へと急速に接近していくのだけど、実はフッサールがその冒険の端緒を開いた先駆者でもあるのです。フッサールの現象学をモチーフにマインドフルネス瞑想を語ることで、東洋の知恵と西洋の知恵の邂逅も描くことができたら、とても素晴らしいことではないでしょうか。

だから、マインドフルネス瞑想に始まった旅をこのあたりで現象学へと迂回することにしてみます。

とは言え、フッサールは個人的には苦手な哲学者です。フッサールから学んだこともたくさんあるけれど、軽々に語ってもよいものだろうかと思ってしまう相手でもあります。

フッサールには彼独自の用語も数多い。そして、似た用語にも微妙な差異があります。たとえば「レアール」と「レエール」の意味が違ったり。だから、ドイツ語で原書を読んではいないぼくが彼についてどこまで語れるのだろうと、思わずにはいられないのです。本当に畏れ多い。

なので、フッサール自身の哲学を語ることは専門の研究者の方にお任せして、ぼくがそこから何を学び、何を体得して、何を実践してきたのか、という焦点で語っていくことにします。

以下16000字です。


1-4. マインドフルネス瞑想の眼差し


1-4-1. Mindful Phenomenology

古今東西の別なく哲学は真理を探究する。真理とは「絶対的な正しさ」のことである。西洋哲学の祖プラトンは世界に現れる無限の現象の彼岸に永遠不滅の絶対の「真実在」(イデア)を見ようとした。キリスト教神学の伝統になれば神が真理とされる。あるいはニーチェであれば普遍の真理など虚構でしかないと断言し、プラグマティズムであれば真理は人間の活動によって作られていくものだと論じ、東洋思想であれば真理とは無であると教えるのだが、要するに真理をそのようなものとして考えているのだ。

 フッサールは自身の哲学を「いかにして人間は真理を認識できるのか」という問いからスタートさせた。『算術の哲学』や『論理学研究』といった署名に象徴される初期の研究は数学を論理学(哲学)によって基礎づけることを目的としていた。それを通じて人間の認識の基礎を確かにすることを目論んでいたのだった。終生フッサールは自身の哲学を「厳密な学」としようとしていたのだが、出発点からその姿勢は徹底されていた。

 しかし、フッサールはキャリアの初期、中期、後期で哲学的な主張を大きく変えていった哲学者でもある。数学の研究からキャリアをスタートさせたフッサールは次第に真理を認識する人間の能力である「意識」の分析へと舵を切っていく。中期フッサールの業績は大著『イデーン』第1巻として結実する。

 フッサールの哲学は、人間の意識の働きを問い、人間に知覚できる現象の現れ方を分析することを主要テーマとしているため「現象学」と名づけられる。『イデーン』第1巻こそ「現象学」の夜明けとなった書物である。

 このメルクマークに飽き足らず、後期のフッサールは意識の宿る座としての身体、そして人間の生みだす文化や歴史へと関心の焦点を向けていく。人生の出発点では抽象的で普遍的な数学的真理に魅せられていたフッサールが、晩年にはノイズと不確かなものにまみれた大地へと降り立つことになる。こういうアイロニーこそが哲学を学ぶ醍醐味だと個人的には思っている。さて、これから取り上げるフッサールの知見は後期の代表作『デカルト的省察』から主に借り受ける。



現象学ことはじめ

フッサールと言えば「現象学」である。「現象」の学という名の通り「何かが現れてくること」を分析する哲学である。たとえば、人間は「猫」がいたら「猫」が存在する、「風」が吹けば「風」が存在する、そう感じる。猫が現れることや風が現れることを当たり前のこととして「意識」している。

 フッサールは、当たり前の事象を当たり前と認識する意識の在り方を「自然的態度」と呼んだ。自然的態度に没入したままの人間の意識は現れてくること(現象)の当り前さを疑うことがない。あるいは当たり前にすぎて意識さえしていない。

 しかし、フッサールはこの当たり前を疑うことにした。「普段当たり前のものとしている意識はどのように動いているのか」「この世界に現れる事象はどのようにして人間の意識に現れるのか」「現れてくる事象の本質とはなにか」、その問いが「事象そのものへ」を目指す現象学の産声となった。


井筒俊彦のくだりでも触れた「すべての意識とは何かについての意識である」という意識の定式はフッサールが現象学とともに打ち出したものである。これを意識の「志向性」と呼ぶ。猫の姿を見るとき、風の音を聞くとき、すでに意識は「猫についての意識」であり、「風についての意識」である。意識は志向性としてつねにその対象を求める。意識は猫を志向し、風を志向しているのだ。

 フッサールによれば志向性はただの意識の方向性だけに限らない。志向性とは意識の本質的な能動性でもある。能動的に対象に焦点を当てる能力であり、知覚の対象として意味づける能力である。前方に見える影を「猫」として、肌に当たるそよぎを「風」として知覚するとき「猫」や「風」と意味を与えるのは意識の働きなのだ。

 五感による刺激はそれだけでは無限に多様である。しかも、形なく瞬時に移ろってしまう。畢竟、人間には刺激そのものを知覚することはできない。無定形の刺激に意味の形をあてることで、はじめて知覚は知覚として生成する。

 前方の木立に花が咲いているのを見かければ「美しい」と思い、政治家の汚職のニュースを聞けば「よくない」と思い、レストランの店頭から料理の香りが漂ってくれば「おいしそう」と思う。ここに意識による志向性の意味付与の能力が働いているのだ。


フッサールの現象学は世界を意識によって分節された領域として把握する。世界は意識によって意味づけられ、分節されて、ぼくたちに現れでてくる。ぼくの目の前をいま何かが横切る。ぼくはそれを「猫」だと認識する。次いで「黒い色をした」「尾の長い」「毛のふさふさした」、そして「美しい」「上品な」猫だと認識する。次第に「猫」という対象はその様相を細かに描写されていく。

 ぐちゃぐちゃっとした視覚的刺激が意識による分節によって「猫」という確かな形を取っていく。しかし、ただ「猫」というだけなら空虚な形にすぎない。知覚は描写をすることで、ただの「猫」をいま目の前に存在している固有の「猫」という存在へと浮かびあがらせてもいる。このようにして、対象は意識によって構成される。そうして、他の無数の世界の刺激から切り出されて唯一の形へと収斂していく。


   ***


日常的な意識は自然的態度に没入している。自然的態度にある意識は世界が存在することを当り前と思いこんでいる。そうして、世界を意味づける意識の力を忘却してしまう。そうして日常的な意識は世界が存在することを自明の前提にしてしまう。意識が眼前の猫を意味づけるのではなく、猫がいるから猫をだと意識するのだとしてしまう。だから、世界を構成する力を忘れた意識は、むしろ世界によって支配されているとも言える。

 フッサールは、世界の自明さ支配された状態から意識の力を取り戻さなければならないと考えた。そのためには無自覚的にしてしまっている意識の仕方を自覚的に意識しなおす必要がある。要するに意識が意識していること自体を意識する必要がある。そうして世界が自明のものとして存在している意識の状態を再点検するのである。

 だから、意識を電気製品に喩えて自然的態度に没入した意識の「スイッチを切る」ことから始めなければならないとフッサールは考えた。彼は「世界を括弧に入れる」とも言っている。これを「判断停止」(エポケー)と呼ぶ。


エポケーとは当り前を当り前とすることを疑うことであり、そして、当り前を当り前とする意識の働きを止めることである。ぼくはいま猫を見ている。その経験を「ただ猫がいる」として片づけてしまうのではなく、猫をただ猫として意識している自然的な意識を停止させて「猫」を意識している意識自体を意識するのである。「猫」を意識しているこの意識とは一体何かに意識を向けるのだ。

 意識することを意識することによって、いままで意識せずにいた意識の働きに意識が向くようになる。すると埋没していた世界から分離して意識は前景化してくる。純粋に意識としての意識が立ち現れてくる。では、その意識とはいったい何なのか。それを意識しているのはいったい誰なのか。言うまでもない。「いまここ」で意識を意識しているのは、他の誰でもない「私」の意識である。

 猫が猫であるのは、そして、世界が世界であるのは、それを意識している「私」が存在するからだ。「私」なしに独立自存する世界も猫も存在しない。エポケーは世界の存立に「私」の存在が不可欠なことを教えてくれる。「私」の意識と関係を結ぶことではじめて世界も猫もその存在を獲得するのである。「私」なしには世界の猫も存在しえない。畢竟、エポケーとは世界の前提としての「私」に気づくことである。


エポケーによって「自然的態度」から「超越論的態度」への「態度変更」が遂行される。「超越論的」(transzendental 独)とは、きわめて哲学的な用語だけれども、かつては「先験的」と翻訳されていたように「経験に先立つ」ことを意味する。

 猫の姿を見るのも経験、風の音を聞くのも経験であるが、その経験に先立って経験している「私」が存在する。「私」という前提が存在しなければいかなる経験もありえない。この経験の前提を意識している態度が超越論的態度である。

 つまるところ、自然的態度は「私」が存在することを忘れている。「私」と離れて世界が存在すると思いこんでいる。だから「私」は忘却されて世界の付属物のようにされてしまう。しかし、そうではない。「私」が有ってはじめて世界は有ることができるのだ。



現象学とマインドフルネス瞑想

エポケーによる自然的態度から超越論的態度への態度変更が、マインドレスな意識からマインドフルな意識への変成に相当すると、ぼくは考えている。自然的態度は自動操縦状態にあるモンキーマインドであり、それに対して意識の自動操縦状態を停止させて意識の有り方をじっくりと観察するマインドフルな意識はエポケーによる超越論的態度にあると考えられる。

 フッサールの超越論的現象学は『論理学研究』や『イデーン』や『デカルト的省察』に目を通してみればわかるように、きわめて理論的であり、抽象的だ。それをいきなり実体験に落としこんで理解するのは容易ではない。だからこそ、現象学の理念を実践して体感するのにマインドフルネス瞑想は非常に面白い技術ではないだろうか。


フッサールから学んだことについて、ぼく自身の実践について、簡単に触れておく。以前、感情に寄り添うためにぼくはエポケーを使っていた。

 ぼくには感情をコントロールできないでいた時期がたしかにあった。他者と接すれば様々な感情が胸に去来する。それに振り回されて自分を保てないことがあった。誰かに怒りを感じたとすれば自分でも呆れるくらい怒りの感情に支配されていた。消し去ることのできない感情がいつか人や自分を傷つけてしまうのではないかと怖れて、ひとり部屋にとじこもることもあった。

 そういうとき、ぼくはベッドに横になって自分の感情に意識を向けるようにした。怒りの感情を感じている「私」、その怒りの感情に戸惑っている「私」、その「私」を抑えつけず、消し去ろうとせず、ただそのままに観察しようとした。それがエポケーだった。

 ときに感情が自分の身体のどこかに滞留している感覚を得ることがある。顎であったり胸であったり背中であったりするが、大概の場合、その身体の場所は凝りやひっかかりを覚える部位である。

 その場所には過去に気づかず忘れていた記憶や感情が封じられていたりして、いま抱えた感情と交錯して蘇ってくることがある。あるいは何かのイメージを感じることもある。光の差さない水面のイメージ、何十もの釘の打ちつけられた扉のイメージなどを感じることがある。

 イメージに気づいたら、何をすることもなく、ただそのイメージを感じるようにする。徐々にイメージが自ら形を変えていくことがある。そのときは、それをそのままにして感じつづける。これを続けているうちに感情に変化が起こることもある。驚くくらい望ましくない感情が消えていくことがある。


この技には応用編がある。嫌な感情が体に固着しているのを感じる場合、その固着している部位を意識的に動かしてほぐしてみることをしてみる。嫌な感情が体を固くしているのなら、逆にその場所を柔らかくすれば嫌な感情は消えるだろうという仮説に基づいている。

 嫌な感情や凝り固まった思いこみを変えたい場合、その感情や思いこみの宿る体の部位を意識して、そこを動かし、その可動域を広げるようにするのである。感情面での問題がクリアされるとき、いつでも凝っていた部分の可動域が大きく改善する感覚を伴うものだった。それを感じて自分の精神面が改善したことも理解できる。

 動かせないような部位の場合、イメージが浮かんでくるだけの場合、シンプルにその部位やイメージに対話をもちかけてもよい。「おまえは、いったい何がそんなに悲しいのだ」など。それだけでも随分と改善されることがある。


こうした技法をエポケーから想像して、そして、座禅の経験などとブレンドして、自己流でぼくは編み出した。フッサールをこのように読んだ人が他にいるかは正直わからないけれど間違いなくマイノリティだろう。

 大事なことは生まれてしまった感情や思いこみを否定したり、抑圧したりするのではなく、そのまま認め、しかし、囚われず、丹念に多角的に多様な視点から何度も眺めてみることだと思う。感情や思いこみが「何を伝えようとしているのか」「その本質は何なのか」を距離を取って受容することができるようになる。

 『マインドフルネスストレス低減法』を読んでみたとき、この技法によく似た技法が「ボディスキャン」として取り扱われていることを発見した。もし心理療法に明るい方がいたらユージン・ジェンドリンの「フォーカシング」の技法がきっとこれに近しいと思うのではないだろうか。



1-4-2. 身体の発見

フッサールはエポケーによって志向する意識の前提として「私」を見出した。この「私」は長い哲学の伝統において「自我」(エゴ)あるいは「主観性」と呼ばれてきたものだが、フッサールは不可逆な一歩をこの「私」に発見することになる。すなわち、経験する「私」の個別性である。

 「私」の個別性とは、ぼくが感じていることと君が感じていることは違うし、ぼくが見ている世界と君の見ている世界は違うということである。なんだかごく当り前のことに感じられるかもしれない。しかし、それが哲学のテーマとして取り上げられるようになるにはフッサールの登場を待たねばならなかった。

 哲学と数学(あるいは科学)を同一のものと考える伝統が西洋には連綿と続いていた。科学や数学は不変かつ普遍の法則を重んじる。ケースバイケースで結果が違うものを法則として認めるわけにはいかない。哲学も同じで人によって変わるものを原理として認めるわけにはいかなかったのだ。ぼくと君で違うものがあるとしたら、それは切り捨てるべき誤差なのだ。


フッサールも普遍的な学として現象学を模索していた。だから、初期の現象学は構成する意識と構成される対象との普遍的な関係を分析することに焦点を当てていた。人間意識の普遍的な構造の解明が目的だった。だが、志向性の概念はそのような静的な研究に留まることを許さなかった。

 志向性という概念は不可避的に「いまここ」で見えている猫、「いまここ」で感じられる風、要するに「いまここ」で知覚しているもののことを考えざるをえない。そして「いまここ」の知覚はどうしても人によって相違する。

 ぼくがいま目の前にある椅子の正面を見ているとしたら、君は同じ正面から椅子を見ることはできない。君の立ち位置からは椅子の側面が見えている。つまり、ぼくと君は世界の別の面を見ている。もし君がぼくと同じ世界を見たければ、ぼくが君にこの場所を譲って、君がぼくの立っている場所へと移らなければならない。同じ場所を別々の人間がともに得ることはできない。

 だから、ぼくと君の二つの「私」の個別性を認めることは「私」の複数性を認めることに等しい。そして、見える世界にそれぞれにズレが生じることを認めざるをえない。志向性には知覚の基準となる「私」というポイントが必要なのだ。


フッサールの現象学は見ること優位、視覚優位の分析を行う。視覚的なメタファーを借りれば「私」の「視点」が知覚の基点を定めるのである。こうして、一つの視点から知覚できる領野が「私」の認識の枠となる。

 視点は世界を視野に切り取る。視野という世界の構成面と絵画の図面を比喩的に重ねてみれば、絵画の透視図法における消失点となるべき一点が視野にも認められることになる。そこを中心に視野=世界が構成されるべき一点である。この中心点がなければ世界は基準をもてずにぐらついてしまう。

 この世界の中心となる基準点が知覚の対象にほかならない。視野の中心には対象が存在する。この対象を中心としてその周囲に世界が構成されるのである。そもそも志向性とは「私」と対象とを結ぶ働きだった。視点を支える「私」と世界の中心となる対象が世界を支える軸となる。フッサール以後の現象学では視覚的なメタファーを継承して「遠近法」(パースペクティブ)という言葉を用いる。要するに、パースペクティブとは世界の見え方を意味する。

 「私」は「私」のパースペクティブにおいて世界を構成する。ぼくは正面という視点から椅子を見て、君は側面という視点から椅子を見る。ぼくのパースペクティブは正面から見た椅子を中心に世界を構成して、君のパースペクティブは側面から見た椅子を中心にして世界を構成する。それぞれの「私」がそれぞれのパースペクティブで世界をつくる。パースペクティブは志向性が世界を意味づける、その意味づけ方にほかならない。



意識の座、身体

パースペクティブは視覚的な用語ではあるが、聴覚や触覚、知覚全般についても同様に考えられる。知覚にはすべてパースペクティブが存在する。ただし知覚には視点がなければならない。したがって、世界のどこかに「私」のポジションがかならずあることが前提になる。

 「私」の意識はどこにあるか分からない精神的なものだとしても「私」の意識の対象は目の前に広がる物質的な世界の内にある。この世界に視野をもつためには「私」も物質的な台座をこの世界のどこかにもつ必要がある。すなわち意識の座となるべき台座である。それこそ「身体」にほかならない。

 後期フッサールはエポケーで浮かび上がる「私」がこの世界のどこかに身体という座をもつ「私」であることを発見する。この身体の発見もフッサールによる哲学的な大発見であった。


西洋の哲学には「精神」と「身体」を分離して考える伝統がある。近代哲学の父ルネ・デカルトは精神と身体をまったく別の実体として考えていたので、両者をどう接合するかの矛盾に答えを出せなかった。これを「心身問題」と呼ぶ。西洋の哲学はつねに物質よりも精神に高い地位を与えていた。だから、身体はできれば無視してしまいたいノイズでしかなかった。

 それに対してフッサールは人間が世界を認識するために身体は不可欠の前提であると結論を逆転させた。ある意味ではこれは哲学にとって大きな挫折であった。というのも、古代ギリシアの昔から哲学の究極的な目的は永遠不変の真理を知ることだったからだ。

 人間が永遠不変の真理を知ること、それは人間が神の知恵を手にすることに等しい。哲学は人が神の知恵を得ようとする野心の営みにほかならなかった。そこで人間の認識に身体が必要であることを認めるということは、身体という限られた視点からしか認識ができないことを認めることと同義だ。それは人間には決して真理が認識できないことを認めることを意味する。これが人間理性の敗北でなければなんだろうか。


しかし、フッサールは身体から離れられないことを人間の限界とは考えなかった。「私」は世界のどこかに身体という場所をもっている。だから「私」にはそこからの景色しか見ることはできない。この点で「私」の認識は制限されている。身体は「私」を限界づける。

 しかし、身体をもつ「私」は世界の一点に釘づけにされているものでもない。歩くこともできる。空間を移動することもできる。そうすれば、見える世界を変えることもできるのだ。身体は人間の認識を制限する限界であると同時に認識に変化を生みだす可能性でもある。

 現象学は永遠不変の真理を認識しようとする人の希望を確かに断ち切った。しかし、終わることなく認識を新たに生成させていける可能性を人間に残したのだった。

 かつてデカルトは「我思う ゆえに我あり」と言った。神の叡智にさえ手の届く人間の理性に人間存在の根拠を見出した。それをフッサールは「我能う ゆえに我あり」と読み替える。世界を超越する神の知恵にはもはや届かない。しかし、世界の内で動きつづける可能性=エネルギーとして希望は人間に残されたのである。



1-4-3. 対話と現象学

フッサールが見出した「超越論的主観性」とは、身体をそなえた「私」としての自我だった。この身体をもつことで「私」は「われ能う」という可能性として存在することができる。身体は根源的な可能性である。

 身体があるから「私」は誰とも相違するパースペクティブをもつ。身体があるから「私」はいま見ているパースペクティブとは相違するパースペクティブを生み出すこともできる。そのようにして身体は別様の認識を生成する。だから、身体の可能性とは差異を生み出す能力にほかならない。そして、マインドフルネス瞑想にとっても、この身体性が重要な価値をもつものだった。


マインドフルネス瞑想は五感を開放する瞑想だ。瞑想中はいま「私」が何を感じているかを微細に気づいていくように求められる。五感に意識を向けることにで感覚が生まれる場である身体へと意識の焦点は必然的に移ることになる。

 マインドフルネス瞑想は可能性としての身体の力を活用するものである。瞑想が療法として効果を発揮するとき、差異を生み出す身体の力は最大限に引き出されている。

 心臓疾患を患った男性は仕事のできなくなった体を抱えて「もう生きていても仕方ない」と嘆いていた。しかし、瞑想を通じて家族の大切さに気づくことができた。足を痛めた男性は車いすで移動するのにも苦しい思いをしていた。それが瞑想を経て痛む足でも楽しんで生きることができると信じられるようになった。二人に共通しているのは世界を別様に見る可能性に気づいたということである。

 心臓疾患の男性は不自由な体に囚われていた。他のものを見つめることなどできなかった。それが世界の中心に家族の存在を置いて見つめることができるようになった。足を痛めた男性も足の痛みに別の意味を付与することで痛みを意識の焦点から外すことに成功した。要するに、両者は共に志向性のシフトが起こったのである。現象学的に言えば、いまのパースペクティブの働きをエポケーして別のパースペクティブで見るようになれたのである。

 志向性は対象に焦点をあてる働きである。対象の一点に意識を焦点化することは、反面、その対象以外の情報を除去してしまうことになる。大切なことは見えるものの周囲や背後には無数の見えないものが存在しているということに気づくことだ。


手品師がいま手品をしている。右手を大きく動かしてトランプを捌いている。手品師はぼくにトランプの裏面を見せている。だから、ぼくにはトランプの表面は見ることができない。トランプの表面はぼくには見えないものである。

 だが、見えないものは純粋に不可視のものだけとは限らない。意識の焦点から漏れ落ちてしまう微細な対象も存在する。たとえば、右手の動きに釘付けになったぼくの視線は本当のタネをしこんでいる左手の密かな動きに気づくことはない。

 マインドレスな意識とは、見えるものに縛られて、見えないものに気づくことのない意識である。反対にマインドフルな意識は見えないものが有ることを意識する意識でもある。だから、マインドフルな意識は見えてみるものの姿を手放して見えないものを見ようとすることができる。

 マインドフルネス瞑想とビジネスのところでも書いたように失敗に囚われている人は失敗というパースペクティブからしか世界を見ることができない。だから、何を見てもそこに失敗の影を見てしまう。成功と失敗、半々の見込みでも失敗にばかり意識が向いてしまう。ことほどさように世界を意味づける人間の意識は強力である。


「頭でっかち」という言葉がある。頭だけで考えて、考えて、考えて、出口を見失っている状態のことを指す。というのも、頭は単一のパースペクティブでしか見ることができないからだ。手品師の右手だけに視線が釘付けになっている状態と同じである。では、左手を見るにはどうしたらいいか。簡単なことである。左手の方に「首」を動かせばいいのだ。

 要するに「頭」の呪縛から解放されるには身体を動かす必要がある。「頭」の位置を体ごと動かしてやればよいのだ。動きはたった首だけでもかまわない。強い感情や思いこみに囚われている人は、首をそっと動かすだけの体の動きにも気づけないものだ。「失敗してしまった過去とは別様に行動することができる」と身体を信頼したときはじめて頭には見えなかった可能性も浮かんでくるのである。

 痛む体に悩む人にも同じことが言える。「体が痛い」「体が痛くては何もできない」と痛みに焦点を当てている間は、何をしても痛みを感じてしまう。だから、マインドフルネス瞑想の鍛錬を通じて痛みを否定するのでも、無視するのでもなく、いまここに有るものとして受容したとき、痛みながらなにが「できる」かに焦点を移すことができる。身体の可能性を信頼できたときマインドフルネス瞑想も最大限の効果を発揮するのである。



間主観的な地平

現象学は身体という基点が知覚には必要なことを発見した。身体は空間的な一点を占める。世界のどこか特定の場所に自己を定位する。そこがパースペクティブの支点としての「ここ」となる。

 さらに身体は時間的な一点でもある。知覚は「いま」という瞬間にだけ生起する。いまこの瞬間の知覚は瞬く間に過去の記憶へと移ろってしまう。過去はもはや「いま」の知覚ではない。そして、未来はかならず訪れる。しかし、まだ訪れてはいない未来を知覚することはできない。

 知覚は空間的な「ここ」と時間的な「いま」が重なる一点でのみ生まれる。身体は「ここ」と「いま」が交差する力場である。


マインドフルネス瞑想も「いま」に居つづけることを求める。現象学も意識はつねに「いま」の意識であることを教える。意識の志向性は過去の記憶や未来のイメージを志向することができるけれども、それはあくまでも「いま」というポイントから構成された過去や未来の形象にすぎない。ここでも現象学とマインドフルネス瞑想は軌を一にする。

 知覚は「私」の知覚であり、「私」の「いま」と「ここ」での経験の知覚である。「いま」と「ここ」は経験に形を与える最初の形式であるが、その内容は瞬間的に変化する。自ら動くことで変化を起こすこともできるし、動かなくても自分の周囲の環境はつねに変化をしつづけている。

 「いま」と「ここ」に変化が生まれれば、それに応じて「私」の経験も無限に変化する。現象学はその差異を積極的に肯定するし、マインドフルネス瞑想はその差異を敏感に察知する。ここに至って現象学がマーヒーヤとフウィーヤの差異へと近接していることが見て取れる。

 果たして、フッサールの現象学が東洋思想の伝統のように一刻一刻変化するフウィーヤのゆらめきを捉えようとしたのか、その結論は軽々しくは下せない。井筒俊彦は『意識と本質』において、現象学についてこの点を的確に指摘した後、フッサールはいまだマーヒーヤから離れられてはいないのではないかと疑義を呈している。

 ここは現象学においても重要な論点なので、ぼくとしても考えておきたい。現象学の認識はマーヒーヤなのかフウィーヤなのか、確かにフッサールは最後のところでマーヒーヤにつくことを捨ててはなかったと思う。けれど、それには正当な理由もあると思う。


   ***


フッサールは個々の「私」によって知覚する世界が相違する可能性に気づいていた。しかし、そうすると無視できない問題もまた発生してしまう。すなわち「私」はひとりではない。「私」は世界に無数存在する。ぼくはぼくの知覚を知覚する、君は君の知覚を知覚する、ぼくの知覚と君の知覚はそれぞれ別で差異があるということならば、この同じ世界をぼくと君はどうして共有できるのだろうか。そういう問題である。

 現象学は経験の個別性を肯定したが、個別の主観的経験を強く推し進めれば他者と経験を共有することがそもそもできなくなってしまう。これが「私」の個別性に軸足を置いたときの最大の問題である。いわゆる「他者問題」だ。これはフウィーヤとしての経験をマーヒーヤとしての言葉で伝えられるとしたらそれは何故かという問いと根を同じくする。


ぼくと君の知覚には絶対的な差異がある。しかし、現にぼくと君は同じ一つの世界を共有しているし、経験を共有することもできる。この事実をどう説明したらよいか。ここでフッサールは次の一歩へと足を踏み出す。経験の前提を個人の絶対的な主観性の内部にとどめることを放棄して、複数の主観性の相互作用として考えたのである。そして、これを「間主観性」と名づけた。

 間主観性とは、抽象的ですこし呑みこみにくい言葉である。フッサールはよりイメージしやすい「地平」という言葉で間主観性を言い換えている。すなわち、知覚には基点としての身体が必要である。しかし、身体だけで世界のどこかに場所をもつことはできない。空中での自由落下状態では場所を定めることなどできない。だから、ぼくたちには依って立つ大地が必要なのだ。それが地平である。

 地平に立つのはぼくだけではない。君も立つことができる。多くの人が一つの地平を共有することができる。地平のどこに立つかで見える世界は変わってくるけれども地平は同じ地平として共有できる。こうして地平は「世界」になる。フッサールは世界としての地平を呈示することで他者問題を乗り越えようとした。



生活世界の現象学

晩年のフッサールは地平の議論を共同体や歴史の議論として展開していく。ぼくはひとりでぼくでいるのではない。日本人としての地平に立ち、埼玉県民としての地平に立ち、職場という地平に立ち、家族という地平に立ち、それぞれの地平で共に生きる人たちと経験を共有している。それぞれの地平にはそれぞれの人たちが生きて、それぞれの人たちによってなされた記憶が堆積している。

 地平に堆積した記憶が歴史となり、文化や伝統を形成する。だから、地平という空間に立つぼくは地平の蓄えた時間の重力に引き寄せられてもいるのである。依って立つ地平の文化や伝統と無縁に考えたり、感じたりすることはできない。地平はぼくの認識を支持するとともに拘束する前提となる。

 ここにエポケーは「私」の立つ地平を意識化することに同義となる。エポケーは認識する「私」の前提を振り返ることだった。「私」の認識の前提こそ足元で立つ地平にほかならない。だから、エポケーは「私」とともにいる人々、かつて存在した人々、これからともにいるであろう人々の関係としての「私」を意識することに等しい。

 地平の概念をもちだすことで、フッサールはまたもや以前の自分の考えをひっくり返したことになる。かつてフッサールは意識の絶対的な能動性を主張していた。世界を意味づけるのは意識であり、意識があるから世界は存在できると考えていた。「私」の意識こそ世界の絶対の前提であった。しかし、地平は個々の「私」が生まれる前から存在する認識の前提である。父祖の世代から手渡され、孫子の代へと受け継いでいく共有の財産である。

 「私」は地平の内部へと生まれてこざるをえない。地平の培ってきた文化や伝統を引き受けざるをえない。だから、必然的に「私」の意識には地平を受け渡されるものとしての受動性が発生してしまう。むしろ、受動性こそ「私」の逃れられざる前提として認めなければならないのだ。


   ***


フッサールが自説の破壊的な前言撤回さえも厭わなかったのは看過することのできない危機感があったからだ。第一世界大戦というおぞましい破壊の経験である。後期フッサールの思想的転回は第一次世界大戦への痛切な反省に基づいている。

 1859年に生まれたフッサールは西洋近代文明の絶対的な価値を信じてきた。合理的な人間の理性、その理性に根ざした科学、科学に基づいた文化が人間の未来を明るく照らして最善の世界へと進んでいく。その進歩の神話を疑うことがなかった。しかし、人間の幸福を約束したはずの科学万能の神話が辿りついた先は第一次世界大戦という人類史上経験したことのない未曾有の破壊だった。人間の歴史のいったい何が間違っていたのか、知識人として西欧文明の一翼を担ってきた彼にとって深刻な危機であった。

 フッサールは最晩年の著書『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』において、西洋科学文明への厳しい批判と警告を展開している。実証的な科学は客観的なデータを追うばかりに対象を抽象的な量、ただの記号へと切り詰めるようになってしまった。しかし、そのような知のあり方はもはや人間の生を生として捉えることができない。もういちど人間の生に根ざした知を確立しなければならない。それが超越論的現象学の使命である。これが『危機書』と呼ばれる著作の背骨である。

 科学の用いる実証的なデータは量化された数字でないと測れない。しかし、数字が生の本質かといえばそうではない。新型爆弾をひとつ開発すれば10万の人を一瞬に殺傷する破壊能力をもたせることができる。そして、その使用が相手国にどれほどの損害を与え、どれほど戦局を自国に有利にさせるか、その数値のシミュレーションはできるだろう。

 でも、実際に使用したとすれば10万人の死者の意味は10万という数字の塊ではありえない。10万の人には10万の他に換えることのできない命の記憶がある。しかし、数値だけを追うならばその命さえも演算可能なデータにすぎない。

 量と数字は人間の感覚を麻痺させる。そう言ってフッサールは抽象的な概念しか扱えない数学者や科学者を血を吐くように弾劾する。それは数学研究から自身の哲学を始めた彼の父親殺しだったのかもしれない。そこには抽象的なマーヒーヤを退けて具体的なフウィーヤを肯定する視座がたしかにあった。


ここに至って現象学は倫理的な色彩さえ帯びてくる。『危機書』においてフッサールは地平の概念を「生活世界」と呼びかえた。生活世界は科学や数学のように抽象的な知の論理で構成されているものではない。具体的で個別的な人間がひとりひとり生きている暮らしの世界である。

 フッサールは、生活世界こそが、科学や数学をはじめとする諸学を支えるべきだと指摘している。生活世界が学を支えるのであって学が生活世界を支配するのではない。

 ぼくは医療業界で仕事をしているのでこれはよく理解できる。医療者は「血圧が一定数値以上だから、血糖値が一定数値以上だから」ということをよく口にする。しかし、数値が何を決めるのだろうか。その人が健康であるか病であるかは、数値で一律に決められるものではない。数値に問題がなくても病を感じる人もいる。病や障碍を抱えていても健康に暮らしている人もいる。人生の経験はその人自身が意味づけるのである。マインドフルネス瞑想のケースで見てきた通りだ。


現象学は個別の「私」が経験する唯一さに価値を置く。ぼくの経験と君の経験には差異がある。たとえば、同じ一匹の猫を見たとしても、ぼくはその毛並みの美しさに目を奪われ、君はその動きの俊敏さに興味を引かれることがあるだろう。ぼくと君とでは猫のどこに関心の価値を置くかで差異がある。要するに、志向性に差異がある。そして、その志向性の差異がぼくと君とで直感する猫のフウィーヤ的「本質」の差異でもあるのだ。

 ぼくと君では見る猫の本質に差異がある。この差異の経験が反照的にぼくと君が入れ換えできない差異のある存在であることを証明する。だから、自分の経験を絶対のものだと思いこんでもいけない。

 猫やイスの経験に差異があったとしても大きな問題にはならないかもしれない。けれど、これが、たとえば「健康」「幸福」「美しさ」そして「正しさ」だったら、どうだろう。ぼくが何を美しいと感じ、何を正しいと考えるのか。抽象的な概念に関わる経験の差異はときに大きな争いの引き金にもなる。

 だから、エポケーが必要なのだ。エポケーは自分の価値判断を停止して保留する行為である。そのときぼくと君との差異を丁寧に見て取ろうとすることもできるようになる。自分の価値判断と同じように他者の価値判断に寄り添うことさえできるのだ。ここでエポケーは他者との関係性を反省することにほかならない。


   ***


現代にあって、現象学は多文化共生への道筋を示そうとしている。ぼくの経験にはぼくが依って立つ地平の歴史が作用して、君の経験には君が立つ地平の歴史が息づいている。君の経験を理解しようとすることは君の生まれ育った生活世界の伝統を理解しようとすることなのだ。

 ぼくが「花」の美しさの経験を語るとき束の間に散ってしまう儚さを含んだ日本語の「花」の意味をどこかに宿らせている。日本語の「花」の経験は宮廷に世も盛りとばかりに咲き誇るフランス語の「フルール」の経験とも、荒涼とした砂漠に一輪光るかのように咲くアラビア語の「ザフラ」の経験とも質的に異なる。生活世界に深く埋めこまれた経験の差異にぼくたちは敏感でなければならない。


経験は人それぞれに異なる。ぼくの経験を誰か他の人が同じように経験してくれることはない。だから、もしぼくがぼくの経験を誰かに伝えようとするならば、やはり言葉を使って伝えようとするだろう。

 ぼくが言葉を語ることで、ぼくの経験が君に伝わり、何かの形で共有できるとしたら、それはぼくと君が同じ言葉を使っているからだ。言葉は生活世界に根ざす。そして、生活世界を同じくする人たちの経験を支える前提となる。こうして言語は間主観性すなわち地平へと結びつく。

 言語は地平の伝統を宿らせ地平の歴史を背負っている。言語は人々に共有される意味を保持している。共有の意味すなわちマーヒーヤである。生活世界の言語のマーヒーヤに支えられてぼくの個別の経験がフウィーヤとして生起する。

 井筒はフッサールの本質がマーヒーヤにとどまっているのではないかと批判した。しかし、フッサールが重く見たのは個別の経験を他者と共有することだったのではないだろうか。第一次世界大戦の惨状いまだ癒えきらず、ナチスの影日々大きくなる時代にあって、フッサールが求めたのは互いに相異なる経験を共有するための対話だったとは考えられないだろうか。だとすれば、フッサールにマーヒーヤを捨てるような決断はありえなかったと思わずにはいられない。


   ***


ここでフッサールをめぐる旅をひとまず終わりにしたい。現象学とマインドフルネス瞑想をすこしでも近づけられたなら意義があったと思う。けだし、フッサールの現象学はマインドフルネス瞑想の「観察する」という一面に強く光をあてる。

 マインドフルネス瞑想が「私」を見つめなおすための技法であることは間違いない。しかし、マインドフルネス瞑想の体験はただ見るだけで終わるものでもない。心臓疾患の男性も足の痛みを抱えた男性も瞑想者はみなその行動が変容する経験をしていた。瞑想をつづける過程で彼らはみな自分自身の生の存在を感じて存在を有るがままに受容する経験をしていた。

 瞑想は見た目には静的な動作であるが、瞑想する行為者にとってはきわめて動的な経験をもたらす。フッサールの現象学ではどうしても視覚に偏重してしまう。マインドフルネス瞑想の存在実感の経験を語るには視覚だけでは届かない領域があるだろう。

 だから、マインドフルネス瞑想の経験を別側面から考えていくにはもうひとりの哲学者を呼ばねばならない。それは、フッサールに師事し彼の創始した現象学を継承して後に独自の哲学を創案したマルティン・ハイデガー、その人だ。


【了】

画像著作者: Daniel
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