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中学時代のトラウマを克服した話

うつ病を発症する前、このような記事を書いていました。
補足しつつ概略をあらわすと以下の通りです。

  • 幼稚園からの幼馴染の子。ずっと親友で、中学も同じ部活。

  • 中学に入ってから、とつぜん激昂したり不機嫌になって八つ当たりしてくることが増えた。かと思えば上機嫌になったり弱気な姿を見せたり。私は彼女の感情の乱高下にいつもびくびくしていた

  • ある放課後、彼女は私に部活の練習場所を尋ねた。私は自信がなかったので曖昧に答えた。結果、私の言っていたことは間違っていたらしい。

  • 後日、彼女は私に駆け寄って大声で「嘘つき!!」と罵倒した。見たことのない憎悪の表情だった。

  • 彼女が言う「嘘つき」は、単に練習場所をめぐるごたごたを言っているのではない。もっと根深い憎悪をそこに感じた。その表情が脳裏に焼き付いて離れなくなった。

この日以来、私は「無責任なことはしてはいけない」「自分は常に正しくなければならず、他人に迷惑をかけてはならない」という意識の中で暮らすようになりました。
仕事をしていてもこのことが頭から離れず、何度も確認を繰り返したり、他人任せにせずに自分で抱え込んでしまいました。
中学時代のこの情景を、15年近く夢に見続けました。

カウンセリングを受け始めてから5ヶ月が経つ頃、家族関係のトラウマから離れて、ようやくこのことを話題に出せるようになりました。
カウンセラーの先生はただ穏やかに私の話を傾聴し続けて、私見を差し挟まずに受け入れてくれました。
そして同じ話を何回目かしたあと、ふと思うことがありました。

このエピソードを彼女の視点で考え直してみたらどうだろう?

わたしは今まで、14歳のわたしの視点で、傷ついた自分を癒そうとしていた。
29歳のわたしの視点で、14歳の彼女を癒そうと思った場合どうだろうか?
そう考えると、彼女のいくつかの要素が思い出された。

  • 彼女の両親はふたりとも体育教師。休日も親の部活動で家族の時間が少なく、寂しい思いをしていたようだった。

  • 中学に入ってから勉強についていけず、成績が落ち始めていた。

  • 敬語を使いこなすのが苦手で、先輩に愛想がなく生意気だと言われていた。

  • 小学校では目立つ存在だったが、中学では人前で何かをする立場にはならずにいた。

  • そんな中、部活動中の怪我で靭帯を断裂。選手の道を諦めてマネージャーになった。

一方で、彼女の目には私がこう見えていたかもしれない。

  • 両親が自営業。家に帰るといつでも親がいる環境。

  • 大して勉強もしないのに成績が良い(そんなことはなくしっかり勉強していたが、あまりその話をしていなかった)

  • 何の努力もしていないのに先輩に好かれている(1個上の兄がいたので顔が知られていただけ)

  • 生徒会、部活のキャプテンなど目立つことばかりやりたがる(せっかくの経験なので、機会があれば立候補するようにしていた)

  • 大きな怪我もなく選手として練習ができる状況

14歳の少女にこの心理的葛藤を処理できるだろうか?
彼女の劣等感、自己否定感を逆なでする存在として、私に対して強烈な憎悪が投影されていたんじゃないだろうか。

そして私を攻撃できるポイントが明らかにあった。
リーダーなのにちょっと頼りないときがあるというところ。
私は彼女からことあるごとに「キャプテン失格」「人の上に立つ資格がない」「あんたって本当にダメ人間なんだから」「人として最低だよね」「性格悪い」等の罵倒を受けていた。
自分の内面に向けられた言葉を、私にぶつけ続ける。それが彼女の心を安定させる唯一の手段だったのだと思う。
強く反発することなくへらへらと受け流す私に、強烈な苛立ちを感じながら、それはどんどんエスカレートしていたのだと思う。

完璧でいなくてはならない、という
15年間私を苦しめ続けた呪縛は、思いもよらないところで解き放たれた。

まずは自分が傷ついていたことを全面的に受け入れる。
その上でくりかえし、くりかえしそのことを語り続けていると気づくことがある。
人が理の通らないことをして人を傷つけるとき、その人もまた解消できない劣等感や悲しみを抱えて事に及んでいるということ。
「許す」「許さない」という二元思考ではなく、もっとグラデーションで考える。
彼女もまた傷ついていた。でもそれは私のせいではなかった。

こんな放課後のささいな出来事さえ、克服するのに15年もかかる。

「自分の感情をいったん全面的に受け入れる」
「彼/彼女のシナリオで考える」

このふたつはこの先も忘れないようにしていきたい。

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