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ドイツで真剣に「昆虫保護法」が検討されている理由。

独環境相「昆虫は法律で保護されるべきだ」

AFP通信は2月18日、ドイツのスベンヤ・シュルツェ環境相(SPD所属)が2月17日付の独紙ビルド日曜版で、「私たち人間は昆虫を必要としている。昆虫は法律で守られてしかるべきだ」として、「昆虫の保護に向けた行動計画」、「昆虫保護法」制定の方針を打ち出したと報じた。独DPA通信によると、同計画では、昆虫保護の目的で年間125億円を拠出し、うち31億円を研究に割り当てるという。 

日本国内でこれを詳報したのは、主要メディアではAFP通信の日本語版記事のみである(2月19日時点)。しかし、世界では、昆虫保護のための予算根拠法の制定方針が、主要先進国の環境相によって打ち出されたことは衝撃的なニュースとして受け止められている。 

同計画は、連邦政府が殺虫剤等の大幅削減に関する規則を設けることや、昨今議論の的となっている除草剤成分「グリホサート」を2023年までに禁止することを盛り込んだ。

グリホサートをめぐっては、米モンサント社に対し、カリフォルニア州の裁判所が、320億円の懲罰的損害賠償請求を認めたというニュースが記憶に新しい。フランス政府も全面禁止の方針を打ち出しており、この事件が、独仏をグリホサート規制に踏み切らせたといっても過言ではない。

ただ、農業相のポストをおさえるCDUは中道保守政党で、伝統的に農家寄りのスタンスを取っていることから、与党内の政策調整は難航が予想される。それにしても、なぜ今、包括的な昆虫保護法制定の動きが出てきたのか。 

日本国内では、上掲記事が報じられた際に一部ネットニュースサイトで「昆虫採集まで禁じられる」「過剰規制だ」などのいわれなき批判が散見されたが(注)、その誤解を解く意味でも、昆虫保護の機運が高まっている背景に一体何があるのか考えてみたい。 

(注)こうした誤解は言論界にまで拡散しており、2月21日には文春オンラインに山本一郎氏による昆虫保護法への批判記事が掲載された。「昆虫が可哀想だから保護法」とのタイトルからも推察されるように、記事は実際の背景理解を欠くものであった。 

最新の研究動向が伝える昆虫減少危機の衝撃

学術誌『Biological Conservation』2019年4月号に、衝撃的なレビュー論文が発表された。この論文は、豪州の昆虫学者、フランシスコ・サンチェス・バヨ博士とクリス・ヴィクホイス博士が昆虫減少に関する研究論文73本を包括的にレビューしたもので、「世界の昆虫の40%以上が今後数十年のうちに絶滅する恐れがあること」や、そのスピードは哺乳類、鳥類、爬虫類などの脊椎動物で見られるよりも8倍速いことが明らかとなった(参考:"Worldwide decline of the entomofauna: A review of its drivers"-Biological Conservation.)。 

自然科学系専門誌『National Geographic』によれば、2017年頃から昆虫減少に関する論文が学界で共有され、コンセンサスが徐々に形成されていった。その契機となったのが、ヨーロッパの研究チームが発表した「わずか27年の間に、ドイツの63の保護区内で昆虫のバイオマス(一定の空間に存在する生物の量)が75%以上減少している」との研究報告である。 

また、2018年には学術誌『米国科学アカデミー紀要』に「プエルトリコ北東部の熱帯雨林の節足動物が約40年間で60分の1にまで減少している」とする研究報告が発表された。ニュージーランド・ヘラルド紙は、これを"bugpocalypse"との見出しでセンセーショナルに報道。バグポカリプスとは、バグ(bug)と破滅的な結末を意味するアポカリプス(apocalypse)を掛けた造語である。 

プエルトリコでの例は、変温動物が気候温暖化に弱いということを示すものという点に注意が必要だが、昆虫減少危機が最新の研究トレンドであることは確かである。

2017年に『米国科学アカデミー紀要』に発表された論文によると、現代は、地球の生物史において生物多様性の急激な減少期が五度確認されたのと同様の、すなわち六度目の減少期にあるとされる。

昆虫減少危機は人類存続の危機?

先に紹介したナショナル・ジオグラフィック日本版の記事によると、フランシスコ・サンチェス・バヨ博士は、昆虫減少を食い止めることが出来なければ、「生態系全体が、飢餓により崩壊する」可能性があると警鐘を鳴らす。

レビュー論文で明らかとなったのは、昆虫のなかでも特に危機的な状況にあるのが、ガやチョウ、ミツバチといった花粉媒介者であるということである。

同記事によれば、「顕花植物の約4分の3と、世界の食料供給の3分の1以上を生み出す作物が、昆虫による受粉に頼っている」という。文字通り、昆虫が絶滅すれば生態系は崩壊し、食料危機や、人類存続の危機を招来しかねないのである。

また、チョウやミツバチと同じく特に危機的な状況にあるのがフンコロガシであるという。昆虫の生態系機能として受粉活動とともに重視されるのが、動植物の死骸や排泄物の処理と栄養分の再循環である。昆虫減少の危機は、私たちの予想以上に生態系全体に悪影響を及ぼし得る。 

以上から、ドイツで昆虫保護の機運が高まっている背景がわかったのではないか。先に紹介した「行動計画」には、2050年まで道路や住宅建設のための更地をコンクリート被覆することを禁止する方針も盛り込まれている。これは、明らかにミツバチ保護の施策である。

一方、繁殖サイクルの速い害虫は、繁殖サイクルの遅い外敵昆虫の減少により増加傾向にあるともいわれている(参考:"Global insent decline may see 'plague of pests' "-BBC News)。また、フンコロガシなどの節足動物は気候温暖化に弱いが、害虫の場合は代謝が上昇するために食欲が増進し、作物に甚大な被害が及ぶ可能性が指摘されている。 

昆虫減少の要因は複合的なもので、今まで見てきたように気候温暖化の影響が大きいとされるが、それも仮説に過ぎない。別の仮説としては、森林伐採や農地開発など人間の生産活動による生息地の変化が挙げられる。特に、ヨーロッパや北米ではこの影響が大きいとみられている。 

化学薬品の悪影響も見逃せない。ミツバチの世界的減少は、殺虫剤ネオニコチノイドによるところが大きいとされる。気候変動については、気候温暖化だけでなく気候寒冷化の影響も指摘されている。多くの昆虫は急激な気温、環境の変化に弱い。 

ドイツ環境相の打ち出した「行動計画」にも、昆虫減少危機が複合的な要因によるものであることが如実に表れている。 

昆虫減少危機は、私たちの予想以上に複雑かつ困難な問題を孕んでいる。そして、昆虫の劇的な減少は、私たち人類を含めた生態系全体に破滅的な結末をもたらし得る。今さらこの流れに歯止めをかけることは困難かもしれないが、それでも私たち一人ひとりが自らのこととしてこの問題に向き合う必要があろう。

※本記事は、次世代グローバル政策研究所ブログ上に筆者がアップした「視座:ドイツ、『昆虫保護法』検討の背景にあるもの」を一部修正し、転載したものです。

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