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糸よりも細く。

高2の時、英語の先生が変わった。

私の高校の英語の授業は、成績順にクラスが分けられていたのだが、高2の前期は運良く一番上のクラスに入ることができた。

しかしそのクラスの先生の授業といったら、ひたすら英文を音読して訳すという作業。考えるというよりは、いかに辞書通りに訳せるかという感じ。

元々英語が苦手な私は、予習する気も起きず、ただただ時間の無駄と感じるばかりで授業すら真面目に聞かなかった。

授業以外で英語に一切触れていなかった私は、当たり前のように点数が落ちていき、後期には下のクラスに落ちた。


そこで出会ったのが、私の人生を大きく変えることになる先生である。

その先生の教え方といったら、とんでもなく自由奔放で、教科書の内容はさらっと触れるだけ。グループを作って英語で話してみたり、英語の歌を歌ったりと、私には何もかも新鮮だった。

時には先生が、言語が持つ可能性や世界のことについて語り、言葉は人と人を繋ぐためのものだと、英語を学ぶ目的・意義を改めて教えてくれたりもした。

前期の授業とは打って変わって、その先生の授業を受けるごとに私は英語が好きになり、もっと知りたいと思えるようになった。

とはいえ、成績はそんなすぐに上がるわけもなく、進路希望は特に立派な理由もなしに管理栄養士を目指すと書いた。食べるのが好きだから。


しかし、ある日の深夜テレビを見ていたところ、妹がランダムにチャンネルを回し、私の好きな俳優(山P)が出てる番組に目が留まった。

それはトラックでアメリカのルート66という道路を横断するというもので、イカついハーレーに乗ったフレンドリーなおじさん達や広大な大自然に一瞬で惚れて釘付けになった。

その番組の最終話を見終えた時には「アメリカに行く(そしてルート66に行く)」ことが必然的に私の夢になった。


高校最後の年が始まり、とりあえず栄養士を目指していた私は化学や数学の授業を専攻した。しかしやはり何かが心の中でうずいていた。

そして指定校推薦というものを知った時、これは英語の道に進むチャンスだ、と思った。

英語の道を極める、つまり外語大に入りたいと思っていたが、入るためにはそれなりに英語はできなければならず、私には無謀だと思っていた。しかし、指定校推薦の場合、他の科目の成績でカバーできる。

一番の難点は英語での面接。指定校推薦は書類が通れは基本は合格、と生徒達の間で言われていたが、英語がポンコツな私は、英語の面接次第で落ちる可能性はある、と恐怖に震えていた。

その恐怖を消すため、大好きな英語の先生の元に相談に行き、そこから英語科に通い詰め、ALTとひたすらに特訓をした。

もともと英語ができない人が、志望理由とか高校生活のことを英語でベラベラと話すなんて無謀としか思えなかった。

毎回ALTに会いに行くのが怖くて、ALTの言ってる英語がわかんなくて、でも先生達の「きっと大丈夫だよ」という言葉に押されて猛特訓した。

面接前最後の特訓では、ALTに泣きながら感謝を伝え、とりあえず全力を出すことを約束した。

そしてどうにかこうにか無事に面接を乗り切り、その大学に合格することができたのである。

しかし試練はここで終わらない、、。必修である授業が英語しか話さない授業だったため、ほぼほぼ理解できないという事態。

ポカーンと口を開けたまま授業を聞いて、授業後に友人に「で、宿題って何?」と聞く日々。

とても馬鹿馬鹿しい。もう少しで成人になる、という人が大学の授業の内容を理解できないなんて。今思えば本当に実力不足でアホだったと思う。

でも運良く優しい友人や先生に恵まれ、なんとか徐々に英語ができるようになっていった。


目指してたアメリカへの交換留学は、私より何百倍も英語ができる仲間達が枠を埋めていったけれど、推薦留学という枠で憧れの国への留学が決まった。

大学3年次、シアトル郊外で5ヶ月間留学し、フレンドリーなホストファミリー(現在も親交あり)に恵まれ、ルート66にも足を踏み入れる夢を達成し、アメリカ生活はとっても楽しいものだった(スピーキングは全然。リスニングだけ伸びた感じ。)

そして就職活動で悩んでいた大学4年の夏、「海外で働きたいな」と友人に相談して知ったのが、在外公館派遣員という仕事。

周りの友人はみんな内定をもらっていてほぼ大学に来ていなかった頃、私にはこの試験を受ける以外に選択肢がなく、またしても猛勉強した。まさに言葉通り「背水の陣」。

落ちても悔いなし、と言い切れるほどランナーズハイ的な状態で受けた2回目の受験で無事に合格し、卒業式に出る前に渡米し仕事を始めることとなりましたとさ。


ふー。長かったねー。

アメリカから戻ってきてもう1年。

今よく考えてみると、こんなにも沢山奇跡のようなことが起きていた。

あの先生に出会わなければ、あの時テレビを見てなかったら、あの時友達に会わなかったら、、。

人生って、糸よりも細い何かで、切れそうに見えるけど、絶対に切れずに繋がって作られている感じがする。可能性が積み重なる人生。

誰と出会うか。そしてどう行動するか。

さて、これからも楽しみだ。

【写真:高校の好きな英語の先生が定期的に作って配っていた英語通信(最終号裏面)で、この記事を書いたきっかけ】

この歌、授業で聴いて泣きそうになったのを今でも覚えてる。

ちなみに裏には、先生が思う、英語とか愛とか夢とかについて書かれていて、未だに心に響くので捨てられないのである。

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