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読了:『どもる体』 伊藤亜沙

こんにちは!かなりご無沙汰してしまいました。

もう夏も終わりかけ。

雨の降る月曜日、いかがお過ごしですか?


最近の私は仕事ばかりで、お休みの日に何をしたのか記憶にないほど余裕がありません。

多分、本を読んでいるか、ピアノを弾いているか、寝ているか、という感じです。


そして仕事ばかりしてると、なんだか前に進めてない気がしてしまって、理不尽なクレーム受けたということもあって、ちょっと気分も落ちていました。


そんな時に一瞬でも「現実に生きる自分から解放される」のが、やはり読書だなと思います。

頭のどこか遠くの方では現実がちらついてたりしますが、数秒でも何かにのめり込めると少しだけ楽になりますね。


さて、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、ずっと気になっていた「ケアをひらく」シリーズ。

ノンフィクションで、様々な観点から「ケア」について書かれているシリーズで、その中でも特に気になっていた『どもる体』と『食べることと出すこと』の2冊を図書館で借りてきました。


今日は伊藤亜沙さんの『どもる体』の感想を綴ります。


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「どもる」というのは、吃音(きつおん)のことで、普段の会話の中で言いたい音が思うように言えずに、同じ音が連続して続いたり(連発)、全く音が出なかったり(難発)してしまう状態。

うまく言い換えてその場を凌(しの)いでいるから気づかれない「隠れどもり」の方もいるらしいです。


私はこれまでどもりについて考えたことはほとんどなかったので全く知識がなかったのですが、こんなにも「吃音」について知らないことがあったのか、とページをめくる度に新発見でした。

そしてやはり当事者と非当事者の意識の違いは図り知れないな、と改めて実感しました。


どうやらどもりの中でも段階があり、初期は連発していたのが、徐々に体が拒否してしまうような息ができない難発の状態、そしてそれを避けようと瞬時に別の言葉で言い換える状態、があるとのこと。

独り言はどもらないのに、会話だとどもりやすくなったり、演技になるとスムーズに言えたり、と、どもる癖は人によってパターンが違うらしい。


逆に瞬時に言い換えた言葉が、聞いている側からすると自然であっても、本人は本来言いたかった言葉が言えなかった、という気持ちがある方もいて、一概に連発・難発にならないから良い、ということではないとのこと。


個人的な話なんですが、接客の仕事を始めて、いつも言い慣れてる言葉がふとした瞬間に出てこなくなる、みたいなことがあり、これってどもりなのかなとも思っています。

最近は特にですが、誰かを傷つけてしまわないように言葉選びに慎重になっているせいもあって、仕事以外の普段の会話でも、言葉に詰まります。

体が拒絶反応を起こすわけではないので、同じ「どもり」でも生理学的には違う種類なのかもしれませんが、普段からどもりを抱えている方は想像できない様々な負担がのしかかるんだと思いました。


初めて読んだケアシリーズ、いたって健康体で医療・看護を学んだことがない私にとっては知らないことばかりですが、

非当事者の私だからこそ、この事実を少しでも知っていたら、意図せず言葉で人を傷つけることは少なくなる気がします。


こうして書くとちょっとお堅い内容なのかと思うかもですが、びっくりするくらい読みやすいので、気になる方はぜひ読んでみてください。

また次回もケアシリーズです。お楽しみに。


では今日はこのへんで!今週も適当にがんばりましょう。


今日のnegoto「先日人生で初めて洋書を1冊読み終えました(歓喜)」

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