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あれこれ … 工芸界のすみ分け 2/3

工芸界をその傾向から分けて、案内図を作ってみようと思います。ただし、私の長年の見聞や知識を基にしているので漆芸が中心です。学者や評論家ではなく現場(当事者)からの見解というレベルです。


分け方はあくまで私見です。
A、伝統工芸展 系(伝統技術重視)
B、日展 系(美術重視)
C、民藝 系(手仕事尊重)
D、クラフト 系(北欧調尊重)
α、番外(その他団体、無所属など)

予  定

前回はAとBについて書きました。
今回はCとDです。その概要と私なりの解説です。
   (すみません、今回は4000字を上回る長文です。)
一回お休みし、8月1日にαとご意見などを書く予定です。





C、日本民藝館展 系

概要 1936年(昭和11年)より

   現在の形式は1953年から
目的 暮らしに役立つ工芸品の発展をはかる
   (毎年200人以上の作り手から2000点以上の応募があります。)
主催 日本民藝協会
組織 日本民藝協会とは、全国の30の民藝協会の連合体です。

民  芸(藝)とは?

残念ながら、今日では民芸品というと地方のおみやげ物のイメージかもしれません。けれど、歴史をさかのぼれば、新しい思想に基づいた言葉でした。

民藝を略さずに言うと、民衆的工藝です。1925年(大正14年)に柳宗悦は陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎らとともに、民芸という新たな言葉を作りだしました。雑器と軽んじられてきた日用品に用の美を見出し、柳宗悦たちは民衆的工芸の美を世に紹介しました。

1920年代にのことですが、収集した工芸品を一般に公開したいと帝室博物館(現 東京国立博物館)に柳は寄贈を申し出ましたが、断られました。このことから「官」に頼らず美術館をつくる決心をしました。そして、1934年(昭和9年)には民芸運動の活動母体になる日本民藝協会が発足しました。

大原孫三郎(大原美術館、㈱クラレ創業者)の援助を受け、1936年に日本民藝館が築かれました。この民藝館は今も民芸を世に発信する重要な拠点になっています。

   

解  説 … 手仕事尊重

日本民藝館展がユニークなのは、準入選作や入選作が展示されて販売されることです。誰でも買えます。かつては手作り工芸を扱う専門店が少なかったので、作り手にも買い手にも大いに助かる仕組みだったと察せられます。

日本民藝館展は、柳宗悦の唱える「正しい」工芸の発展を図るために、暮らしに根ざした素材のもつ健やかな美を宿す工芸品の出品を募っています。

日本民藝協会の応募要項(一部)

日本は手仕事の国である」と、柳は言ったそうです。日本各地の工芸産地を調査収集し、民衆の暮らしから生まれる手仕事の文化の豊かさを実感したのでしょう。また、民藝品の特性を以下のように説明しました。実用性、無銘性、複数性、廉価性、労働性、地方性、分業性、伝統性、他力性です。

日本民藝協会のホームページより(一部要約、編集)

民藝の理想には共感できるところがあります。とはいえ、柳宗悦が活動を始めた昭和初期と今では、かなり時代が違ってきていると思います。約100年も経っています。(2021年10月~22年2月まで『柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年』が東京国立近代美術館で開催されました。)

例えば手仕事と廉価性は、人件費の高い現代では両立しにくい。また、無銘性は、名前(ブランド)が経済的価値を持ち信用にもなる現代では無理なのでは?柳の民芸運動の仲間でも、無銘性にこだわるのでは無く、作家でありたいと離れてしまった人も複数いました。矛盾してくる所はありそうです。

けれど、それは 個々の作り手自身が、解決していくべき課題なのでしょう。自分の生きている時代の中で、どのように手仕事を捉え活かしていけるのか?私も工芸に携わる者の一員として、この問いは常に重要であると認識しています。

柳の工芸論は魅力的で、民藝の用の美は今も人気らしく世代を超え愛されているようです。ファッション業界とのコラボもしています。



D、クラフト 系

クラフトとは?

Craft(クラフト)は英語で、手作りによる工芸品という意味です。日本では戦後盛んになってきた印象を、私は持っています。1957年(昭和32年)に創設されたグッドデザイン認定制度が一つのきっかけになったのではと思います。もともとは工業製品のデザインを発展させる目的でしたが、デザイン重視の考え方は1960年代~70年代ころ広く社会に浸透していきました。

そして、工芸でもデザインは注目されるようになりますが、クラフトは立場の違いから多様な出発をしており、他の分野のように一つの展覧会や団体から語ることはできません。工芸家やデザイナーの職能団体によるもの、通産省(現 経済産業省)の公益法人として設立されたもの、個人や地域から起こったクラフト運動など様々です。

ですので、影響力の大きい4つの団体から考えてみます。「日本クラフトデザイン協会」「クラフト.センタ―.ジャパン」「モノモノ」「松本クラフト推進協会」今までと異なるまとめ方になります。

日本クラフトデザイン協会(1956~2021)

目的 日本のクラフトデザインの向上に寄与、優秀なクラフトマンの発掘、
   次世代のクラフトマンの育成
組織 クラフト作家とデザイナーの職能団体で、設立当初は正会員107名 展覧会  クラフト展 1960年(昭和35年)~2021年(令和3年) 

プロの集まりという印象が強いのは、日本インダストリアルデザイナー協会、日本宣伝美術会 、国際工芸協会、日本建築家協会とともに、1957年に日本デザイン協会(JDC)を設立したからでしょう。  

とはいえ、日本のクラフトデザイン文化向上を目指し、1960年からほぼ毎年一般公募もできる展覧会が開催されました。会員からの作品も多く、国内最大規模のクラフト展でした。

資料を探していると、その当時の記事がありました。「第1回目のクラフト展では従来の美術工芸と変わらぬものが少なくなかった。3回目になりやっとクラフトが何たるか理解されてきたようだ。」展覧会を始めた60年も前、手探りしている様子がうかがえます。  

協会はクラフトの啓蒙.振興を目的に活動し、1970年代ごろには銀座松屋にクラフトマンセンタ―開設など活発な動きがありました。けれど、2002年にクラフトマンセンタ―は閉鎖され、2021年には会員数の減少により運営が困難になり 解散しました。          
   

クラフト.センタ―.ジャパン(1959年~)

   2014年に財団法人は解散、任意団体となり事務局は「モノモノ」へ 目的 日本人の暮らしの質の向上、
   クラフトの流通を通じてよき作り手とよき使い手の育成
組織 CCJ(クラフト.センタ―.ジャパン) *初期には丸善と二人三脚
展覧会  作り手、売り手、使い手を結ぶ見本市の展開

1959年創設、1960年に通産省管轄の公益財団法人として設立された、クラフトの流通組織です。丸善株式会社がスポンサーとして運営資金を提供し、全国の丸善に展示ギャラリーを設けクラフトの選定や販売をしてきました。

活動としては、CCJが優れたクラフト商品だと認めたものに、Cマークの認定証を発行しました。Cマークの商品は丸善が仕入れ全国の丸善ギャラリーで販売されました。また、地場産業にデザイナーを派遣し、商品開発などのサポートやコンサルティングをしてきました。

1974年には全国にしらきブームを起こした「素木(しらき)のモノ展」が開催されました。(主催はクラフト.センタ―.ジャパン、企画協力は秋岡芳夫とグループモノ.モノ、産業工業試験所)

2004年丸善はスポンサーを撤退し、事務局はモノ.モノへ移転しました。その後もクラフトの見本市の企画運営を継続していましたが、2014年資金難より一般財団法人を解散し今は任意団体として存続しています。

モノ.モノのホームページより、一部要約
 


モノ.モノ(1970~)

目的 工業社会下での、モノづくりコミュニティの構築
   生活文化の見直し、生活技術の回復
組織 1979年から有限会社モノモノ
展覧会  1971年「今日のクラフト展」

モノモノの歴史は、工業デザイナー秋岡芳夫(1920ー1997)から始まります。「消費者をやめて愛用者になろう」「生活用品の画一化、使い捨てが暮らしの根底を揺るがす時代にわれわれは何をなすべきか、とことん話し合おう」と秋岡は呼びかけました。

それに集まったデザイナー、クラフトマン、編集者、カメラマン、商社マンなど十数人が、東京のマンションの一室に集合しました。そこは「モノ.モノサロン」と呼ばれ活発な議論がなされ、これをきっかけにモノづくりに関する先進的な試みが日本の各地で行なわれるようになりました。

1971年に職人が販売に立ち会う「今日のクラフト展」、1975年に作り手と使い手を組み合わせる「1100人の会」など。それまでは秋岡に共感するボランティア組織だったのですが、プロジェクトに伴い様々な商品が生まれ販売もされるようになり、1979年からは有限会社モノ.モノになりました。

1980年代に秋岡は日本人の暮らし方にあった家具、「あぐらをかける椅子」や置き畳「いぐさカーペット」などを提案しました。1997年秋岡が亡くなってから低迷気味だったようですが、今は人事刷新し新生モノモノの3つのプロジェクトを進めていく予定だそうです。「秋岡芳夫の言葉を伝える」、「日本の木の文化を守る」、「昭和初期のクラフトの復刻」。

モノ.モノのホームページより、一部要約


松本クラフト推進協会(1987年~)

目的 モノづくりの喜びを多くの方に知っていただくこと
組織 2004年からNPO法人、約50人で5つのチームで活動
展覧会  クラフトフェアまつもと、工芸の5月など

松本は民芸が盛んだった地域です。松本家具をご存知の方も多いでしょう。城下町として栄えた松本には職人も多く、民芸運動への共感により、木工をはじめとする工芸品制作が盛んになりました。このような関りがもとになり、1985年(昭和60年)「クラフトフェアまつもと」が生まれました。

そして、2007年「工芸の5月」がスタートしました。「つくる人」「つかいたい人」「これから何かをつくりたい人」をつなぎサポートする活動です。ボランティアの協力も多そうです。このようなイベントは松本の魅力を引き出し、多くの人に楽しみにされているようです。

また、松本のように地域に結びついたクラフトの催事は、全国のあちこちで見受けられるようになりました。自宅は静岡ですが、近くの2か所ほどの公園でクラフトの展示即売会が開かれています。

解 説 … 北欧調尊重 

なかなか活動は多彩です。クラフトは最初はデザイナーや専門家により広められましたが、1970年代から80年代の盛り上がりの後は、地域の物作りやファンの人々に担われるようなってきたようです。

それだけ浸透してきたのでしょう。テレビ番組や若い人向けの雑誌を見ても、クラフトが取り上げられていることが多いと感じます。消費者の手作り品への関心、作り手との距離の近さなど望ましいことは多そうです。

ただし、気になるのは、あまりにも北欧調に見えることです。それがお洒落に見える風潮なのかもしれませんが、作り手自身がもはや北欧風ライフスタイルの実践者のようで…。わが国の文化にもそれなりの成熟や洗練があると思うのですが、グローバル化の時代に日本は脱色されていくだけなのか、やや案じられるところです。


お読みいただき、誠に有難うございました。そして、お疲れ様でした。とてつもなく長くなりました。

次回は旅の話などでお休みし、8月1日にこの続きの「α、番外」を書きます。そして、ご質問や意見などにお答えしたいので、声を届けていただければ有難いです。よろしくお願い致します。





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