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日記7/3 「なぜ日本は暗いニュースばっかりなのか」

注意!タイトルが気になって見てくれた人へ

最初らへんはどうでもいい話をしているので、ニュースの話だけみたい人は下の目次から「今日考えたこと」まで飛んでください。また、私は専門家でもないただの中学3年生なのであまり期待しないでください。



・まだ17時だけど日記書いちゃう。今日はもうなにもないと踏んでいるので。

・テスト二日目が終わった〜!やった教科とか詳しく書いちゃうと学校とかバレそうで怖いから書かない。

・数学のテストをやった。(これくらいの情報なら大丈夫かも)。問題がとても難しかった。時間は足りたけれど、あっているかとても心配だ。

・うちの数学の先生は変なところがある。一見にこにこしてて朗らかなおじいちゃん先生なのだが、たまによくわからない行動をする。急にテストで異常に難しい問題を出したりもする。それでいて「なんかこの問題正答率低かったね〜」とか言う。

・一度、授業に矢を持ってきた事がある。指示棒代わりに使っていた。おもちゃとかじゃなくてガチの矢で、(アーチェリーとか弓道とかで使うやつとも違う、ガチの矢。)授業終わりに先生に「これガチの矢ですか?」と聞いたら真顔で「ガチの矢だよ」って言っていた。

・矢を持ってきたのはその授業だけだった。怖いよ。毎回持ってくるより怖い。

・授業中に蜂が入ってきた時、その先生は迷わず殺虫剤を持ってきて、「みんな大丈夫!?」みたいにめちゃめちゃ心配してくれた。めっちゃ頼りになるなあって思ってたら、先生は蜂を見つけるなり殺虫剤を振りかざして、底の方を何度も蜂にぶつけ始めた。

・蜂を念入りに念入りに潰したあと、殺虫剤をシューってかけていた。思い出すだけで面白い。なんなんだよ全部。

・この間は、「最近おれYOASOBIにハマってるんだよね」って言っていた。「紅白で高校生とコラボみたいなのやってたじゃない、あれすごい良かったよね〜」と紅白について語っていた。あれに純粋に感動してる人を初めて見た。

・でもなんかいろいろとすごいことをした人らしく、いろんな賞とか持っているらしい。謎が多すぎる。



今日考えたこと

・全然違う話をします。これはもう日記とかではなく、今日考えたこと。

・あ←これ777文字目です。ご査収ください。

・昨日の夕食の席で、家族と会話をしているときに、「旅行行くならどこがいい?」みたいな話になった。私が「北海道とかいいんでね(疑問形)」と言ったら、母が「北海道といえばさ、旭川とか今風評被害すごいんじゃない?」と返してきた。どういうことか聞くと、「だって今いじめの事件とかいろいろ起きてるじゃない」と答えた。

・そういえばちょっと前、担任の先生も「今旭川で事件にもなってるけど、」みたいな話をしていた気がする。私は聞いていなかったが、わりと大事な道徳の話をされていたらしい。

・そもそも私はその事件のことを知らなかった。私はニュースを見ない。見たとしても、天気予報くらい。あとは自主的に調べているウクライナの情勢とか、東京都知事選とか、それくらいだ。何故かと言われたら難しいが、あまりニュースが必要だと思えないからとしか言いようがない。殺人事件のニュース、芸能人の不倫のニュース、どれも個人的にはあまり必要だと思えない。なぜそんなこと報道するんだろうといつも思っている。

・そういう事件をニュースで扱うことで、誰か得をするような人がいるのだろうか。例えば「まだ犯人が捕まっていない」とかだと報道する価値はとてもあると思うんだけれど、逮捕されたあとに「この事件はこうこうこういう事情が絡まってこんなことに…」みたいな解説は必要なのだろうか。

・得をする人でぱっと思いつくのは、被害者の方である。たしかに、被害者は「こんな事件があった」と広めてほしいだろうが、じゃあ被害者のためだけに放送しているのだろうか。だとすれば、もし殺人事件で、殺された方には家族も友人もおらず、犯人も捕まっていたとしたらどうだろう、その事件は報道されないのだろうか。

・「被害者」がいないニュースといえば、児童虐待のニュースなんかがこれに当たりそうだ。両親は逮捕されていて、児童はまだ幼稚園にも通ってない年齢で、虐待を受けて殺されてしまったみたいなニュースはたまに見かける。ニュースを全然みない私がたまに見かけるのだから、実際もっとたくさん起きているはずだ。このような事件を報道する理由はなんなんだろう。事件を予防するためだろうか。児童虐待をするような親はこんなニュースを見たとてやめない人のほうが多そう。かといって、幼児がニュースを見て対策をするとは思えない。

・政治家のニュースも多い。汚職事件とかそういうのではなく、国会の一言を切り取って拡散するようなニュース。揚げ足をとるような、ああいうニュースはなんのためにやっているのだろうか。最近は暗いニュースが多くてつかれる、みたいに言っている人が多いが、そんな殺人事件や政治家の一言をわざわざニュースとして接種しに行く意味はないと思ってしまう。

・ところで、戦争が始まると自殺率が下がるらしい。詳しくは下の動画を見てほしいのだけれど、要するに(正しいか不安だけど)戦争によって国が一丸となることで、「国民」として社会とのつながりができ、孤独が薄れることで自殺者が減るらしい。

・これはニュースにも言えないだろうか。国民で何かを共有することで、孤独を癒やす。国民全員で事件の犯人を非難することによって、自分をあるコミュニティーに属させる。ニュースには、見た人を「こちら側の人間」とする効果があるような気がする。「こんな事件のニュースをのうのうと見れる、こちら側の人間」「我々と同じものを共有し、同じものを非難できる、こちら側の人間」、そう考えれば政治家の一言を切り取るようなニュースが多くの局で放送されるのも分かる。みんなで非難できるものをいつも探しているのだ。

・個人的にはこうも考える。平和な状況に置かれていると、自分の嫌なところが目立ってしまうが、戦争中だとそれが見えづらくなるんだと。

・平和な世界で不幸に陥ってしまったのなら、まず自己嫌悪になってしまうような気がする。あの時ああしなかったら、とか、自分のせいで、とか考えてしまい、結果として自殺という道を選んでしまう人が多くなる。

・一方戦争中だと、不幸を戦争のせいにすることができる。なんなら、「自分が悪い」なら「このままだめな自分のまま生きてても一生幸せになれないだろう」という考えになるかもしれないが、「戦争が悪い」なら「戦争が終わりさえすれば」と、やや楽観的な思考へと変化できる。

・また、平和な社会では幸福な人が多いが、戦争中では幸福度は下がる。(戦争によって自分の生きる意味を見つけた人は幸福になるかもしれないけれど、生活の満足度とかで考えると不幸な人が増えていく。)それにより、もし自分が不幸に陥ったとしても、戦争中なら「不幸なのは自分だけじゃない」と考えることができるし、「相対的に考えたなら自分は他の人と変わらない、むしろ幸せ」と捉えることもできる。

・つまり、暗いニュースを報道することで救われている人はかなりいるんじゃないか。「私は今幸せじゃないけれど、みんなそうみたい。その証拠にこの社会は事件ばっかし。社会が全部悪い。」「みんな同じこと考えてる、私はひとりじゃない。」そうやって救われる人が一人でもいるのなら、私はそういうニュースを報道する意味はあるのかなと思った。逆説的に、暗いニュースが多いということは暗いニュースが求められている、つまり社会全体が暗くなっているとも言えそう。

・まあ幸せかどうかなんて個人が決めることだし、私は今とっても幸せなので本当にニュースで救われている人がいるのかわからないけれど、今日は一日こんなことを考えてました。質問や他の意見がほしい。議論してみたい。



・暗い話になったので、どうでもいい話に戻します。私趣味で知らないアイドルの知らない歌を聞くのにハマってるんですけど、最近いい曲を見つけました。

・この意味わからなさ、最高。犬が多い。

・今日はこの曲を聞きながら明日のテスト勉強しようと思います!さらば!

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