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命がけのお人好し

うちの母は、命がけのお人好しだ。

若い頃、まだ結婚する前の母は、休日のたびに書店と喫茶店をハシゴしては本を読む生活をしていた。

母がトラブルに巻き込まれたのは、そんな喫茶店巡りの最中だった。駐車場に車を停めて、鍵を開けたその瞬間。男が助手席へ乗り込んできたのだ。

叫ぶ間も、逃げる間もなく。
誰かが入ってきたと気づいた瞬間には、首を両手で掴まれ、全力で絞められた。

男の顔にも、まったく見覚えがなかったそうだ。
誰? なぜ? 絶体絶命のその瞬間。母が振り絞るように発したのは、助けを求める声でも、命乞いでもなかった。

「……なんで? どうしてこんなことをするの?」

せめて自分が殺される理由くらい聞いておきたいという諦めだったのか、今まさに殺人者になろうとしている男を哀れに思ったのか。

なんにせよ、その一言は母を救った。「どうして」の言葉を聞いた瞬間、男は力が抜けたかのように手を緩め、涙をこぼしはじめたそうだ。自分を殺そうとした男が今度は助手席で泣いている。
母は困り果ててしまった。


「だからね、そのまま喫茶店に入って、ママがコーヒーを奢って話を聞いてあげたの」

おいおいおい!なんでそうなるの!?

「だって仕方ないじゃない。お金がないっていうんだもん」

そんな「彼氏がデートに財布を忘れた」ノリで言われましても……。

男を放っておけなくなった母は、そのまま喫茶店に入り、涙ながらに語られた身の上話を二時間ほど聞いたという。警察も呼ばず、二人は喫茶店で「じゃあね」と解散した。
呆れた。というか、怖いよ。それができちゃう母が怖い。

喫茶店へ入った瞬間に店員に泣きつくことも、トイレへ行くフリをして警察を呼んでもらうこともできただろうに。

でもこの人は、同じような目にあってもまたコーヒーを奢って話を聞くんだろうな。それほど「仕方ないじゃない」と言う母の目は本気だった。

器が大きいなんてもんじゃない。わたしの器がコーヒーカップだったら、母はバスタブだ。周囲がどれだけ心配しようが呆れようが、大抵の人間は器ごと飲み込まれて終わりである。

小学生の頃にも、母がずいぶんと遅く帰ってきたことがあった。車で出たのに、なぜか雨でずぶ濡れで。

「近くの側溝にカバンと書類が散らばっててねぇ。車を停めて見てみたら大事そうな書類で、変だな〜と思って。雨だからぐちゃぐちゃになっちゃうし、拾い集めて交番へ届けてきたの!」


母は「道徳」の授業を、その背中で軽々と超えていた。娘のわたしが道徳の小話で学ぶことがあったとすれば「思いやり」とか「やさしさ」ではなく「こんなもんでいいんだよね?」と思える「ちょうどよさ」である。

母が反射的にやってしまうあれこれは自己犠牲にほぼ近い(というよりギリギリアウトだ)。子供心にも「そこまでしなくても」と心配でたまらなかった。

でも仕方ない。母の世界は目に入るものをひっくるめた「すべて」なのだ。
考えなしというわけでもない。自分がずぶ濡れになるマイナスと、ひったくりの被害者へ書類とカバンが戻るプラスを真剣に天秤にかけて「じゃあプラスね」と言うのが母で、つまり天秤に乗っかるものが多すぎるのだ。
共感性と行動力が突き抜けてしまっている。


しかしわたしも、母を責められる立場かといえば微妙だ。

その日、仕事が終わって最寄駅へ着いたときには大雨が降っていた。
「〇〇〇〇〇〇?」
夫の迎えを待ってスマホをいじっていると、声がする。
「〇〇〇〇?」「は、はい」

目の前に立っていたのは、アジア系と思われる同年代の女性だった。声は聞こえなかったのではなく「聞き取れなかった」ようだ。彼女は自分のスマホの画面を指さしている。

「Do you speak English?」
問いかけに対して、彼女は無表情のまま首を横に振った。

わたしも困った。色んな意味で。
共通語が無いと明らかになっただけでなく、返事をした瞬間に「お、この人は助けてくれそうだ」という顔で彼女はわたしの横にピッタリと並んだのだ。な、なるほど? 

彼女が繰り返しツンツンと指す文字は、英語表記だが市内の住所だった。「My Friend」のものだというその住所を検索してあげるくらいなら……そう思ってグーグルマップに入力したが、何度試しても結果は出なかった。

「わかんないなぁ…」
日本語を理解したかのように、二回りほど大きい彼女の目は不安でぐっと縮む。だ、大丈夫。まだできることはあるよ。

その後も、5年ぶりに開いたわたしのフェイスブックから彼女の友人にメッセージを送信しようと試みたり(ベトナム語のキーボードを設定した)、地図を直接見せたりもしたが、目的地はやっぱり分からない。

何もできないが、何かはしなければ。わたしにできるのは、彼女と同じくらい不安げな顔で北口と南口を行ったり来たりすることだけだった。友人が迎えに来る可能性に賭けたが、誰もいない。

(ダメだね……)
わたしと彼女は目で会話した。よく見ると、わたしよりも数歳若い。こんな子が夜に到着するのに、どうしてその友人は迎えに来ないんだ。

ブブブ、ブブブ

しまった! 着信画面には夫の名前が表示されている。

「Sorry、ごめんなさい。もう行かないと」
英語と日本語混じりで両手を合わせる。
彼女は無言だったが、離れるわたしを引き止めることはなかった。言葉がわからないのではなく、なんと言ったらいいのか分からない。そんな顔だった。

彼女と別れて、夫の車に乗り込む。
家に向かいながら事の経緯を話すと、夫は思わぬリアクションを見せた。

「えっ、なにそれ。置いてきちゃダメじゃん」
夫はわたしの返事を聞く前にウインカーを出す。たった数分前に離れた場所へ戻ると、彼女はまだ一人で駅の出口に立っていた。

彼女のところへ走った。
言葉が分からない人を、見知らぬ車に乗せるにはどうしたらいいのだろうか。しかも今度は男性が一緒だ。不安がって乗ってくれなかったらもうどうしようもない。
「My husband、car、come、come!」
あっ、という顔をした彼女に対して、今度はわたしがスマホを指さして、精一杯の笑顔で首をブンブン縦に振った。なんとかなれ!伝われ!

怪しいわたしに彼女はあっさり付いてきた。怖いほどためらいもなく後部座席に乗り込む。ちょ、ちょっと。そんなんじゃダメだよ、日本にも悪い人はたくさんいるよ? 

伝える手段がないまま言葉を飲み込んで、今度は夫へ住所を見せてもらうように頼んだ。互いのジェスチャーにだいぶ慣れていた。

「あ、これ町名がちょっと違うんじゃない?」

夫は英語で書かれた町名の誤りをすぐに見抜いた。わたしが必死に検索した町名は本当に存在しなかったのだ。



10分ほど車で走りあるアパートが見えてくると、そこが正しい場所だとすぐに分かった。彼女と同じ肌の色をした男性二人が外階段に立っていたからだ。

「〇〇!」
わたしの傘から飛び出した彼女を追いかけると、男性二人もこちらを見て答えるように大声を出した。
「〇〇〇〇!」「〇〇〇!」

あぁ、よかった。玄関先まで行く必要はなさそうだと思い、傘を刺したまま外階段の根元まで近づく。階段をすでに駆け上がっていた彼女は男性と二言、三言交わすと、こちらを振り返って叫んだ。

「Thank you!」

彼女と男性二人は、互いの手がぶつかるんじゃないかと思うくらい大きく手を振った。

「Thank you、Thank you!」

反射的に同じ言葉が出る。
なにが一体 Thank you なんだろうか。わたしが言うのはおかしくない? そんな気もしたけれど、言葉の意味は大して重要ではなかった。

あなたと同じ気持ちだよ。嬉しいね。よかったね。
ゆっくりと遠ざかりながら続くThank you の応酬の中で、それは伝わっていると自信を持って言えた。


「アパート、合ってたみたい」「おお。よかったな」
ワイパーが動きを止めない雨の中、わたしたちは二回目の帰路に着いた。

15分ほど前。アパートへ向かう車内でわたしは自宅の間取りを思い浮かべていた。もし彼女の友人が見つからなかったら、1LDKの我が家に一晩でも泊められないか真剣に考えていたのだ。

母には敵わないが、わたしも確実に命がけのお人好しの血を引いていた。そしてなぜか、元他人のはずの夫まで。


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