完璧主義の原因と乗り越える方法(nickwignall.comのWhat Causes Perfectionism and How to Get Over Itという記事の翻訳)

https://nickwignall.com/what-causes-perfectionism/

ーーー
この記事の著者であるNick Wignallは臨床心理士、ライター、講師、ポッドキャスター。ダラスにあるテキサス南西メディカルセンター大学で臨床心理の博士課程、シカゴ大の社会科学で修士号取得、ダラス大の英文学で学士号を取得。American Board of Professional Psychology(ABPP、アメリカ専門心理士認定機関)の認定を受けている。the Academy of Cognitive Therapy(認知療法・行動認知療法家国際認定組織)の認定取得。Association for Behavioral and Cognitive Therapies(アメリカ行動療法認知療法学会)とニューメキシコ心理学会の会員。
北カリフォルニア出身、現在は妻と3人の娘とジャーマンシェパードと一緒にアルバカーキで暮らしている。
ーーー


「完璧主義の原因と乗り越える方法」

社会として、我々はパーフェクショニズム(完璧主義)という用語を、いい加減に扱う傾向にある。

ある人たちにとっては、それは、「腹立たしい変な癖(個性)の一つ」であり、自分の好みに関して、少し神経質過ぎる、執着する人たちを指す。金曜日の夜に化学の勉強をするルームメイトや、リビングの家具の配置を変えることをやめられないパートナー:

 

 ・うわ、彼は、なんて完璧主義者なの…

だが、我々は、傲慢だと思われることなく「自分がどれだけハードワークしているかを知らしめるため」に、自分のことを完璧主義的だと言うこともある。

面接での、ハンブルブラグ(humble-brag、謙虚を装い誇示する)な就職希望者のことを考えてみてほしい:

・「思うに、自分の最大の弱点は、完璧主義者的であることだ、と言わざるをえないかもしれません」

おいい!


マイルドな性格的特徴からも、成功者の謙遜からも、ほど遠く、真の完璧主義とは地獄のようなものである。

不快で不親切で冷酷極まりない知り合いを想像してほしい、次に、その人物のフルタイムの仕事はあなたに付き纏うことであり、影のように張り付いて、あなたのすることを常に批判し審判することだ、と想像してほしい。その間ずっと、「ただ、物事を正しくやりさえすれば、あなたのすべての恐れと不安は解消される」、という叶わぬ甘い約束を囁く。

完璧主義に苦しむ人にとっては、頭の中の止まない声は、部屋の向かいにいる人の声と同じほどに、現実に思える。

ーーー

完璧主義の代償と結果

だが、完璧主義は、ただ気分が悪くなるだけではない。研究は、一貫して、高度化した完璧主義と、ネガティブな臨床転帰(*治療経過・結果)との関係を示している。摂食障害や線維筋痛症、抑うつ症、自殺。もう充分だろう。

だが、病的な不調だけでなく、日常生活においても、完璧主義は顕著な問題を生じさせうる、生産性、仕事のパフォーマンス(出来)、恋愛関係、身体健康に至るまで、あらゆるものに影響する。以下、完璧主義の代償のいくつかの例:

 

 ・極限的な怠け。彼らは、最終的には、多くの仕事をこなすかもしれない、だが、完璧主義に苦しむ人たちは、仕事が酷く非効率である場合が多く、しつこく激しい怠慢に苦しむ。結局のところ、何も始めないことが、確実に失敗を避ける良い方法である。

 

 ・機会の損失。完璧主義に起因する怠慢による非効率には、機会の損失問題が伴う:完璧を求める努力によって消費される余計な時間とエネルギーは、いくらでも、より充実をもたらす活動や体験に費やすこともできた。

 

 ・慢性的ストレス。完璧主義は、常に、人により多くをするように駆り立てる。完璧主義に苦しむ人たちに、手に負える量を遥かに越える、プロジェクトやチャレンジ、ストレス源を引き受けさせる。このto-doの過剰は、速やかに、慢性的なストレスと燃え尽き症候群へと結び付く。

 

 ・慢性的不満。完璧主義に苦しむ人は、前述の頭の中の止まない声を持つ、その声は彼らに、あとどれだけやるべき事があるか、それが完了できなければどれけ酷い気分になるか、言い聞かせる。このしつこい内なる批評家による罪悪感と苛立ち以外でも、長期に渡る完璧主義は、人生の物事を真に楽しむことや、本当の満足を見つけることを難しくさせる。いつも、新しい課題を見据えていたり、過去の失敗を振り返っていると、現在を楽しむのは難しい。


言うまでもなく、完璧主義は、一般に知られているよりも、遥かに深刻なものだ。さらに、それは、特に乗り越えるのが難しい問題であり、その原因の一部は、我々が、完璧主義の原因をよく理解していないことにある。

ここからの記事では、なぜ、完璧主義が、多くの人にとって、こんなにもしつこく頑固な問題なのかを、紐解いてみたいと思う。

特に、完璧主義という用語は誤解(もしくは、少なくとも誤用)されがちである、だが、完璧主義を維持している心理的機構にも、同様に誤解がある、それを示したい。

完璧主義に関わるメカニズムのより鮮明な図を得られれば、その解決に向けて、より良い一手を打つことができるだろう。

ーーー

完璧主義とは、完璧を達成することではない

我々は、完璧主義を、行動と結果、という意味で考える傾向にある、(試験で優秀な成績を収める、毎週売上目標を達成する、夕食パーティーが確実に成功するようにする、など)。言うなれば、完璧主義とは、この世の物事を完璧にこなすこと、のように見える。

これは、一定の筋は通っている、完璧主義にまつわる行動が、可視的で分かりやすいものである場合(夜遅くまで仕事をする、リポートを5回読み返す、トレーニングマシンを30分余計にやる、など)においては。

だが、行動がただ可視的で観測しやすいと言うだけで、それが物語の全てという意味ではないし、その物語の最も重要な部分あるという意味でもない。我々の完璧主義に対する考え方は、その見た目から強い影響を受けている、だが、見た目というものは、我々が皆知っているように、偽りとなりうる。


穏やかな個性や、成功者の偽りの謙遜とは、ほど遠く、真の完璧主義とは地獄のようなものである。


完璧主義を持つほとんどの人は、完璧な結果を達成せんとする自分の期待と努力が、非現実的であり、害悪であること、そして、真の完璧主義は達成不可能であること、を直感的にある程度理解していることを認めるだろう。

これにより我々は完璧主義のパラドックスの中枢へと至る:

完璧主義者は、完璧を達成することや物事を完璧にこなすことが、不可能であることを理解している、にもかかわらず、彼らは、それでも、とにかく、それを試み続けるように、急き立てられている。

「どういうこと?完璧を達成するという衝動が原因でないなら、何が完璧主義の原因なの?」

ーーー

完璧主義の本当の原因

ほとんどの完璧主義は、幼少期の何らかの形のトラウマ(実際の、もしくは、知覚的な)に対する反応と、その感情の結果として始まる:

 ・難しい離婚の後で、一人っ子たちは「完璧になる」ことを目指し始める、なぜなら、彼らは、どういうわけか、その離別は自分の責任であり、自分が二度と失敗をしなければ、さらなる家族の不調は防げるだろう、自分の罪を和らげてくれるだろう、と信じる。

 ・お兄ちゃんは格好良くて運動もできた、妹は愉快で人を惹きつけた、だから、その真ん中の子は、注目と愛情を得るために、異常にハードワーク(努力)することを学習する。

 ・暴力的で気分屋でアルコール中毒の両親の子供として、年長の姉は、毎日、学校から帰宅した後、自分(と妹)を守るため、安全を感じるために、あらゆる不測の事態に備えて執拗に計画をすることを学習する。

いずれの場合でも、完璧を求めて努力する習慣は、最初は、動揺を生じさせるような状況と、つらい気持ちを和らげる必要によって、引き金を引かれている。

ある程度まではうまく行くので、この完璧を求めて努力する習慣は、強化される。一方で、それは実際に傷害を防ぐかもしれない、虐待的な両親に関して、あらゆる不測の事態に執拗に備える子供の場合においては。

だが、完璧主義的努力の習慣は、つらい気持ちの緩和をもたらす、という意味においても「うまく行く」かもしれない。学業に励み、良い成績を修めることによって、忘れられた真ん中の子は、両親から軽視され軽んじられたという気持ちから生じる悲しみから(一時的に)気を逸らすことができるかもしれない。

完璧主義とは、完璧で「ある」ことではなく、完璧だと「感じる」こと。

数十年間の繰り返しで、あなたは、気分を良くするため(少なくとも気分の悪さを弱めるため)に、完璧を求めて努力をするという、強力に固着した習慣を手に入れた。

つらい気持ちが生じるたび、脳は、過去に、完璧主義的な努力が一定の安堵感に結び付いたことを思い出す、そして、現在においても、我々にその選択肢を「強要」する。

そして、我々がこの強要に屈するたび、つらい感情と完璧主義的努力のつながりは強化される。これにより、最初の強要は、時間と共に、強化されてゆく。この様にして邪悪なサイクルは形成される。

完璧主義者が完璧主義的な行動をするのは、実際に完璧を達成できるという幻を見ているからではなく、それが、一時的に、つらい気持ちに対する安堵を提供してくれるからである。

完璧主義の原因は「完璧でありたい」という欲求ではない、「完璧だと感じたい」という欲求である。

ーーー

完璧主義を軽減する方法

完璧主義の真の動因が、「気休め」であること、を学ぶ(learn)ことは、それを忘れる(unlearn)ために必要不可欠である、なぜなら、我々は、自分が本当に必要としているものを理解して初めて、その必要を、より生産的で、より心労の少ない方法で対処できる。

ーーー

完璧主義軽減の初歩

完璧主義軽減の第一歩は、完璧主義的な行動を生じさせる感情の引き金を特定し、より害の少ない、代わりとなるコーピング・ストラテジー(対処法)に置き換えること。これ始めるための簡単な3つのステップ:

ーーー

ステップ1:まずは、自分の完璧主義を、感情を自覚する合図にする

自分が、いつもの完璧主義的行動(製作物を5回チェックする、など)をしていることに気付き始めたら、それを自分に感情的な安全確認をさせる通知として利用しよう。自問する:

 ・私は、今、どんな感情を感じている?

 ・それらはどのくらい強い?

 ・それらの感情を生じさせた引き金は何?

 ・私は何を考えていて、完璧主義的行動へと至った?

ーーー

ステップ2:代わりとなる対処法のコレクションを育てよう

上記の質問で収集した情報を用いて、あなたに完璧主義の引き金を引かせる傾向にある感情を基にした代替対処法の「プレイブック・作戦計画書」を作ろう。

例えば、孤独感があなたの引き金だった場合、あなたはいつでも出てくれて話しやすい友人に電話するかもしれない、でたらめなで間抜けなメッセージを兄弟に送るかもしれない、犬をドッグパークに連れて行くかもしれない、人とつながっていると感じさせてくれる傾向にある活動なら何でもいい。

要点は、予め、最善の作戦集を用意しておくこと。問題の感情が生じた時に、あなたが、完璧主義に対するいくつかの代替案を手元に持っていて、簡単に利用できるように。

ーーー

ステップ3:実践練習と実験

完璧主義的行動に直行する習慣を脱するには、時間と繰り返しが必要になることを自覚してほしい。そして、これは、馴染みのない不快な感覚になる。これは、新たな学びと成長、に常に伴う感覚である。

同時に、実験的なマインドセット(心構え、考え方)を持つこと、も忘れないでほしい:もし、対処法Aが、自分にはうまく行かない、と思ったとしても、それはこのプロジェクト全体が失敗だったのではなく、あなたは少し違う対処法を試す必要があるかもしれない、というだけ。

ーーー

完璧主義軽減 中級編

完璧主義軽減の第一段階は、始めるには充分な場所ではあった。(完璧主義的行動の引き金となる感情を特定し、完璧主義と同じようにその感情の必要を満たせる、新たな、より害の少ない、行動に置き換える)

だが、もう一歩上の、本当に永続的に完璧主義を乗り越えられる秘訣がある。それは:あなたが、自分の感情に反応して何かをする必要はない、ことに気付くこと。

あなたは、自分のつらい感情を自覚し、それらを実際に感じていられる。それらを軽減させようともすることも、消し去ろうとすることもなく、完璧主義的行動も、それ以外のどんな対処法もなしに。

ところで、これは、マインドフルネスのエッセンス(基本概念)である:考えることも、何かをすることもなく、自覚する。ただ観察する。

「なぜ、私は、自分のつらい気持ちを、ただ生じるままにしておくのか、それらを軽減しようともせずに?私はマゾヒスト(自虐趣味の人)ではないぞ。」

わかる。不快な感情を、ただそのままに、一緒にいて我慢する、というのは、つらいだけでなく、馬鹿みたいだ。幼い頃から、我々は、修繕者、問題解決者であれ、と、物事を正すために、すぐに行動をすることを教わってきた。問題は、「感情(*それ自体)には、何も問題はない」、ということ。それが、本当につらい感情であったとしても。そして、感情を問題であるかのように扱った場合には、その報いを受ける。

どんな量の怒り、悲しみ、後悔、それ以外の感情も、我々に傷を付けることはできない、なぜなら、感情自体は、実際には、危険なものではない。だが、感情は危険だと「感じ」られる。そして、感情は、まるで永遠に続くかのように感じられる。我々が、感情に対して何かしない限りは、という意味で。ゆえに、我々のほとんどは、習慣的に、つらい、もしくは、不快な感情を、即座に修正しようとしたり、気を逸らそうとする。

だが、この即座に自分の感情を消そうとする習慣(例えば、完璧主義的行動によって)には、重大な欠点がある:感情に意思決定を委ねた場合、我々は、感情に何が起こるか、直接自分で知ることができない。

「もったいぶらないで…、何が起きるというの?!」

蓋を開けてみれば…、大したことはない。繰り返すが、これがマインドフルネスという概念の全容である。自分の感情を、(「修正」しようとすることなく、それらから逃げようとすることもなく)ただ観察だけをすることによって、我々は、実体験として学習する、それらは本質的に短命なのだと、来ては、すぐに去ってゆくのだと。

だが、もし、我々が、自分の感情を軽減するため、もしくは、感情から自分の気を逸らすために、常に行動を取っている場合、我々が、実際に、そのことを自分で学ぶチャンスを得ることは、絶対に、ない。

「ちょっと待って、混乱する…、一体自分はどうすればいいの?それに、どうしてこれが自分の完璧主義に対して役に立つの?」

文字通りの意味で、何もしない。

常に、不快な感情に反応して何かをするという習慣、それ自体が問題なのである。逃げることは、自分の感情は危険であるという信念を強化し、さらに我々を逃げ易くさせる(そして、完璧主義のような対処機構に向かわせる)。

だが、我々が、自分の不快な感情に向き合おうとする時、それらと一緒に居ようとする時、我々は、感情とはどの様なものなのか(ー時的には激しい、だが、常に刹那的である)を直接学習する機会を自分に与える。

この知識は我々に、自分の感情を受容し、共に留まるための、自由と自信を与える。強迫観念的にそれらを消し去ろうとするのではなく。

「で、私はこの記事を読んで、完璧主義の実際の仕組みを理解したわけだけど、自分はこれでもう大丈夫ってこと?」

というほどでもない…

我々がここで議論しているのは、知的知識ではなく、経験的知識について。ペットショップの店主は、タランチュラが如何に危険ではないかについて、事実と統計を一日中引用できる、だが、実際に、一匹を自分の手で何度も掴む実践をするまでは、それでも怯えていただろう。

同様に、あなたは、つらい感情は危険なものではなく、特別に長く持続する力もないと、知識としては、理解できる。だが、実体験として自分でそれを学ばない限りは、あなたが、それを本当に信じ、それに沿った行動をすることはないだろう。

完璧主義を乗り越える秘訣とは、「自分の感情に対して、我慢強くなる実践練習をすること」にある。特に、完璧主義的な行動に強く関わる感情に対して。

ーーー

実践方法

完璧主義を乗り越えるには二つの基礎的(だが難しい)スキルを必要とする。

1.感情の自覚

自分の完璧主義に対する取り組みを始める前に、自分の完璧主義的行動を引き起こす感情の信号、もしくは引き金を自覚することが必要だ。私は、小さな日記か、シンプルなノートファイルをスマホで付けることをおすすめする。

完璧主義への引力を感じたら、必ず、数分とって振り返り、以下の質問をする:

 ・何が起こった?

 ・私は、どんな感情を感じた?

 ・私は、どんな行動に引かれた?(*私はどんな行動をとりたくなった?)

充分に長い時間をかけて、これをしてほしい、そうすれば、あなたの完璧主義に対する感情の引き金が、痛々しいほどに、明らかになり始めるだろう。

ーーー

2.感情の忍耐力

完璧主義を引き起こす感情の出現を感知すること、に上達すれば、(もし、あなたが本当に上手な場合、そのような感情の引き金を引くかもしれないイベントや状況を予め予測すること、に上達すれば、)次のステップは、その感情と共に留まり、それを感じることの実践、となる。その感情から逃げるのではなく、その感情を「改善する」のでもなく、その感情から自分の気を逸らそうとするのでもなく。

考え方としては、ネガティブな感情の不快さに対する忍耐力を作り上げよう、ということ。より良いパフォーマンスをするために、運動選手がトレーニングを通して、自分で自覚している以上の身体的な不快さにも耐えられる、ということを学習するのと同じ様に、つらさと不快さを避けることを人生の中心にするのではなく、自分の価値と自分にとって真に大事なものに基づいた行動をとるために、自分は感情的な不快さに耐えられる、ということ学ぶことが重要だ。

これを実践するための確実な方法として、「ザ・ツーミニッツ・ドリル(2分学習)」を試してみてほしい:完璧主義を引き起こす感情を特定したら、スマホを出して、タイマーを2分間にセット、そして自分に言う、少なくともこの2分間は、私は、ただ、自分の感情と共に留まりそれを感じることにする。そして2分経ったら、あなたは、とりあえず完璧主義的行動を始めるか、それ以外のことをするか決めることができる。

しばらくしたら、その時間を4分に伸ばしてみる、その後、7分に。10分間まで伸ばせた頃には、あなたは、ほぼ確実に、その感情と共に居ることのおぞましさが、あなたが最初に想像していたものとは違う、ということを理解できるだけの、充分な経験を積んでいるだろう。

最後に。マインドフルネスの実践を積むことは、感情の自覚と感情の忍耐力、両方を鍛える素晴らしい方法である。興味を持ったなら、始めるための記事がいくつかある。

 ・マインドフルネス実践の始め方:完全初心者のためのクイックガイド(リンク)

 ・いやマジ、マインドフルネスって何?(リンク)

 ・普通のマインドフルネス:日常のマインドフルネスに関する実践的アイデア(リンク)

 ・Sit Like a Buddha : A Pocket Guide to Meditation(ブッダのように座る:瞑想のためのポケットガイド)Lodro Rinzler著、は本当に良い。

ーーー

まとめ

巷にあふれる完璧主義を克服するためのアドバイスのほとんどがつまらないのは、それが、完璧主義の原因に関する根本的な誤解から来ているものだからだ。

「基準を下げなさい」、「怠ける時間をスケジュールに組み入れなさい」のような助言、もしくは、その中でも最高な「いいから、落ち着け」は、すべて、完璧主義の困難が、その結果である、完璧になろうとすることにある、という誤った思い込みに基づいている。

だが、完璧主義の真の問題は、それに先立って生じる感情に、我々がどう反応するかにある、それは、「完璧だと感じ」ようとすることにある。

この根本的な違いを理解した時、我々は、変わるための努力目標(自分の感情に対し、より自覚的にそして我慢強くなる)を、より上手に狙うことができる。そして、これ(自分の感情から逃げるのではなく、受容すること)ができれば、我々は、完璧主義への、そもそもの必要を取り除くことができる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?