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【短編小説】あの時の噓②

その夜。

仕事を終えて

滞在先のビジネスホテルで

湯船につかりながら

今日の出来事を思い出していた。

もうこの仕事を5年もこなしているので

この町に来るのも初めてではない。

取引先の担当者も

みんな顔見知りだ。

特に何も心配はなかった。

今日の外回りのこと

お昼に食べた中華料理屋の

辛すぎる麻婆豆腐のこと

滞在先のwifiが

つながりにくいことなど

時系列に並べながら

振り返っていた。

湯船からあがり

備え付けの部屋着に着替え

ベットに腰かける。

あらかじめベットに近づけておいた

古めかしい丸テーブルには

缶ビールとコンビニの砂肝がのっている。

ひとつため息をつき

缶ビールを開ける。

乾いた音とともに

香りが溢れ出てきた。

一口飲む。

「ああ。」

自然と声が出る。

一度缶ビールを丸テーブルに置き

砂肝のパックを開けて

小さな宴の準備をしようとしたとき

テレビの横で充電していたスマホが

小刻みに震え始めた。

「電話か。」

砂肝のパックをテーブルに置き

電話に手を伸ばした。

どうやら取引先からのようだった。

電話に出ると

聞き覚えのある甲高い男の声だった。

「申し訳ないんだけど、
 明日午前中に来れないかなあ。」

聞けば明日の午後に

担当者が外出してしまうとのことだった。

「大丈夫ですよ。11時はいかがでしょうか。」

この手の対応は慣れたものだ。

先方は了承してくれた。

「いやー、助かりました。じゃあ、11時に。」

そんな形で電話を切った。

そこでふと気づいた。

午後の予定がなくなってしまったのだ。

もし近くに観光地でもあれば

そこまで足を延ばすことができるのだが

そんな場所もない。

この出張の予定は

明日と明後日の午前中まで

取引先へ挨拶まわりをし

明後日の午後に

特急と鈍行を乗り継いで

自宅へ帰ることになっている。

特急の切符は

既に購入済みだ。

明後日の予定を

明日の午後に動かすことも考えたが

経験から得策ではないと判断した。

「明日の午後、どうするか。」

再びベッドに腰掛け

右手で少しぬるくなったビール缶を

口に運んだ。

その瞬間

今日目にした

「恋は猫」

の文字を思い出した。

「映画でも観にいくか。」

明日の午後の予定が決まった。

③へつづく

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