柳田國男の「濫読の弊」(1927年)
昭和2年(1927年)12月に柳田國男が書いた「濫読の弊」(成城学園編『全人』17号)という文章にこんなことが出てきた。
大規模図書館には大規模図書館の、小規模図書館には小規模図書館の任務があるはずである、との論である。で、それが「選択」だという。
明治の中期でも否かは本が多くて一生読み切れぬくらいあった。自分が子供の時分は貧乏でもあったから、選択ができず、本をどういう順序で読んだらいいのか全然わからなかった。
しかし子弟のためにも、今のようにたくさん本が出る時代、これではいけない。
「馬鹿馬鹿しく本の出る時代」「本で生活しようとする時代」に、その本の選択力のないのは「野蛮国に普選をしいたやうなものであるから、文化の悪くなるのは分つてゐる」(引用者註―すごいこと言うな…と若干引いたのだが、田中義一内閣のもとで執行された初の男子普通選挙はこの翌年2月である)
柳田はいう。子を持つ親は、子が文字を読むから偉いみたいな考えは捨てるべきである。きちっとした本の選択能力、これを指導して身に着けさせるように図書館が変わらなければいけない。大きな図書館、帝国図書館のようなものを理想のモデルにして、いっぱい本を読んだら偉いみたいなことを学校図書館が言うのはやめるべきである。
それで柳田は「内容の分らぬ本を生徒に読ませる。人殺である。実際人殺である」などと激しい言葉まで書いている。
しかしあんまり禁止すると子供は今度は盗み見するようになるから、公園の子供スペースみたいに、ここは読んでよいという場所をきっちり作りこむべきだというのである。
結構意外だったというかなんというか、驚いた。むしろ、一つの系統に縛られない多様な本への目配りと読書こそが、一方で官の科学ならぬ野の科学として、民俗学の豊饒な世界をもたらしたんじゃないのか、と思っていたので、柳田がこんな風に自己の学風を「悪弊」と述懐しているとは思いもよらなかった。
円本時代に大学生に本はたくさん読むな、と説いて回った東京帝国大学附属図書館長の姉崎正治も、円本は慶長年間に出版が日本で始まって以来の害毒とまくしたてた宮武外骨も、似たような地点でにわかに起こった読書ブームに苦い思いを抱いていたのかもしれない。
翻って、デジタル環境下で、とても読み切れないくらいの本を手にできるようになった我々はどうか。読むべき本を体系的にまとめるところまでいくべきなのだろうか。
少し前にNDL館内のデジコレで読んだ一節が、いま妙に思い出される。
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