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山田徹、谷口雄太、木下竜馬、川口成人『鎌倉幕府と室町幕府』

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」時代考証担当でもある木下氏からいただいた。

かつて木下氏は「およそ研究史の整理とは、先行業績の単なる枚挙ではなく、先人がおかれた時代背景も踏まえつつ、彼らの認識の枠組みや盲点を掴み取ることである」(木下「鎌倉幕府の法と裁判へのまなざし」秋山哲雄, 田中大喜, 野口華世 編『増補改訂新版 日本中世史入門』(勉誠出版、2021年)p.202)と書いていた。1980年代生まれの執筆陣が集まって作られた本書は、木下氏以外もこの問題意識を共有されているように思えた。

私が見ている範囲だけなのかもしれないが、修士論文を書いている大学院生は意外と軽視しがちである。自分の言いたいことや問題意識が先行するのだろうが、この研究史の整理はとても大事なことである。そして、こうした研究史の整理を、一般向け書籍で、ここまで平易に、だけどアカデミックにやった。やれるんだ、というのに素直に敬服した。研究者名はバンバン出て来るし、領主制論、権門体制論、公武対立史観、守護領国制論・・・と専門用語はドシドシ出て来る(守護領国制は高校の日本史教科書にも出てくるかもしれないが)。

現在進行形で一定の研究テーマを持ち、毎月ないし毎年学会が発行するようなジャーナルに掲載される最新動向をチェックする習慣がある人というのは極めて限られる。(でも、おそらく専門家というのはそういう種類の人であろうが・・・。)なので、高校の地歴の先生含めても、最近の研究がどうなっているか、時代や分野によってはなかなか手が回らないと思うし、史学科でもない一般の人からすると、研究史そんな大事ですかね?そんなに歴史解釈って変わりますかね?と思ってしまうのが実情に思える。

最近は1192作ろう鎌倉幕府って言わないんでしょ?と、ちょっと詳しい人も(元々はこの話は論文として最初に発表されたのは1931年なので全然最近ではないそうだが)、そもそも鎌倉は首都ではなく、公家や寺社などの勢力に一定の存在感があった以上鎌倉時代という呼称自体が不適当という説があると聞いたらびっくりするのではないか(私はちょっと驚いた)。

鎌倉幕府が滅びたのがなぜなのかはよくわからない(決定打と言われる原因が特定できない)というのが現在の通説だという。これも、滅亡の必然性を問うのがマルクス主義歴史学の退潮と関連していて、説明することが増えたからで(p.178)、こうしたことに丁寧に答えていく姿勢は大事だなと思った。

ついでにこの鎌倉幕府滅亡の話、最近、中先代の乱を扱った松井優征『逃げ上手の若君』の吹き出しでも出てきてびっくりした。

巻末の座談会も興味深い。「中世最強の幕府はどっちだ」という帯、ふざけているようだが、座談会で結構つっこんで検討されている。朝廷に対してどっちが強かったとか、守護地頭の設置など地方支配の力の入れ方など、歴史で覚える事柄をもうちょっと深く掘り下げて考えるための検討材料が豊富にあるのだ(カプコンのゲーム『大逆転裁判』に登場する夏目漱石が「マクベスとハムレット、どっちが強い?」で取っ組み合いの議論してるネタを思い出した)。

こうした「わからなさ」と向き合うことこそ、これからの「歴史総合」の授業などでも求められていくものなのでは、、、、と思ったのだった。

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