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10年メンタル安定しない奴の行きついたところ。

なんだか心の調子が悪い、何をしていても楽しくない、周りが楽しそうに過ごしてるのが理解できない、周りが普通にやっていることができないと思い始めたのは中学1年生の頃だったと思う。

学校が嫌でしょうがなかった。
入学して3日で辞めたいと思った。セーラー服の胸ポケットにはいつも胃薬を入れていた。休みがちになりながらもなんとか中学2年生までは通ったが、同級生に「鬱病」と言われてとうとう不登校になった。親に心療内科に連れてかれ、医者には「もう学校には行かなくていい」と言われた。義務教育をなんとか受けさせようとしてくる大人が多かったので行かなくていいと言われ嬉しかった。救われた気がした。
だが、学校に行かなくて良くなり心の調子も良くなるなんてそんな簡単な話ではなかった。
親は献身的に支えてくれたが、八つ当たりをしたり、泣き喚く自分が耐えられなくて小児科に入院した。

入院した期間は長くはなかったが、辛かった。
4人部屋に同じように病んでる少女が自分を含め3人いた。朝早く看護師が起こしにきて、薬を飲んだか、体重が減っていないか毎日チェックされた。周りの子達が一生懸命受験勉強していると思うと、この窓から飛び降りたら死ねるかな?高校もきっと行けないだろうし人生終わったなと絶望し、毎日のように真っ暗の病室で声を殺しながら泣いた。

退院すると担任の先生に進路を考えようと言われ始めた。3年間の欠席日数がすごいことになっていたので行ける高校は何校かしかなかった。通信か不登校の子も受け入れてくれるようなキリスト教の私立かだった気がする。不登校になるとこんなにも選択肢が狭められるのかと、なんか不平等だなと思った。

結局、普通の高校に通える気もしなかったし、行きたかった美容専門学校の高等課程に進学した。やりたいことがあったのはラッキーだった思う。
色んな理由で高校に行けなかった子や、中退した子など変わった子がたくさんいて年齢もバラバラで楽しかった。今までの学校の概念が覆った。制服はあるが着ても着なくてもいいし、髪色もネイルもメイクもなんでも自由だった。唯一ある校則は授業中にガムを噛まないこととカップラーメンの汁を教室に捨てないこと。不思議な学校だった。それぞれの個性が認められていた。いちばん楽しい学校生活だったと思う。
薬を飲んだりすることもなく毎日ちゃんと学校に通えた。月に1回のカウンセリングでなんとかなっていた。

もう落ちることもないだろうと思っていた。

無事卒業し、18歳で就職した。やりたかった美容師。でも現実は思っていたのと違った。
休憩時間と言えるようなものはほぼないので、基本ご飯は食べれないし、朝練して、夜練して家に帰るのは12時越えるなんてざらだった。だんだんとおかしくなっていき、先輩にスタイリストになるならその性格どうにかしたほうがいいとか言われ、なんか無理かもと思った。
完全にうつ状態になり自殺未遂をした。

今まで通っていた病院では、「命の補償ができない、病気が死にたい気持ちにさせちゃうから、大きい病院で根本から治した方がいい。」と言われて大学病院を紹介された。紹介されたところでうつ病と診断され、うつ病が改善する行動リストみたいなプリントを渡された。診察は毎回それだけだった。朝早起きして、散歩に行こう!陽の光を浴びよう!ご飯を食べよう!
やれたらとっくにやってるわ。毎日起き上がれないし、お風呂も入れない、歯も磨けない、人に会えないから通っているのに、バカらしくなって病院を変えた。
早く治したい一心で親と必死になって病院を探した。精神病院は初診1ヶ月待ちなんてところばかりで、その1ヶ月をどうやって生き延びればいいのかわからなくて絶望した。

なんとかありつけた病院で、うつ病、躁鬱気質、醜形恐怖症など言われ投薬が始まった。
専門の同級生が、ちゃんと働いてるなか家にいるのが辛かった。不登校の時に戻ったみたいだった。またみんなみたいにできなかった、また心と体のバランス崩して引きこもり、親に申し訳ない、劣等感と迫り来るうつの波で毎日のように泣いていた。

1年間実家で療養し、このままじゃだめだと思いたち社会復帰を目指して姉の家に引っ越した。
最初は不安定だった。ODしようとして見つかり薬を全部トイレに流されたこともあった。
それでもなんとか立て直そうと必死だった。だんだんと通院の頻度も少なくなり越してきて一年が経つころには薬を飲み忘れても大丈夫なぐらいになった。医者にも卒業といわれ、薬も飲まなくて良くなった。嬉しかった。

寛解したからには、もう絶対に再発したくないと思った。また同じことを繰り返すのは耐えられないと思った。

だが寛解してから1年8ヶ月経ったのこの頃、うつの波に襲われることが増えた。少しずつ何かがずれていき、毎日がうまく過ごせなくなっていた。お風呂に入れない、歯も磨けない、体がだるく重く動けない、涙が止まらない。
きっと今、病院に行ったらうつ病と診断されるだろう。もう病院にも行きたくないし、病名もつけられたくない、薬も飲みたくない。
「病院に行ったら?治るよ、頑張って治そう」と周りは言ってくれるが、なにを?なにを治すのだろう。
精神科医や薬をがうつを治してくれるわけではないと思ってから、本をよく読むようになった。精神疾患についてや、哲学、エッセイ、自己啓発、宗教、スピリチュアル、瞑想、どこかに答えが書いてないかとなんでも読んだ。心が軽くなるような本にはいくつか出会えたが、大きく人生が変わったりするようなことはなかった。
住む場所や仕事、人間関係が変わろうが、読書や瞑想をしようが、そんな全てが劇的に良くなるなんて魔法はない。
ネガティブ、メンタルが弱い、繊細と言われ続け向き合ってきたが、自分の心の持ちようでいつか治る、そんな希望を抱いていた。

だが10年経った今では、なんだが努力ではどうにもならないような気がしてきた。
どんなに頑張ろうが、周りのようにうまく社会に適合できないし、私の心は安定しない。何かを治そうと思えば思うほど、欠落しているような劣っているような気がして、うまく息ができなくなる。
なんでできないの?どうして落ちちゃうの?と聞かれても、もうわからないのだ。こっちが聞きたい。
やっぱり私は、たくさんの人と関わるのは苦手だし、誰かの発言で容易に傷ついて長めに引きずる。体力も精神力もないので、週5日フルタイムで働くのも厳しい。小さなことが気になってしまうし、すぐ不安になってしまう。
それでもそれを理解して、相応の生活を送ればいいのだ。
健康な体があって、ご飯が食べられて、家があって、家族がいて、本当はそれだけで十分なはず。
自分のために変わらなきゃと思い続けてきたが、そもそもなれないようなところを目指すから苦しむ。できないことに目をむけ、こねくり回し続けると本来自分は何を思っていたのか、どういう人間だったのかわからなくなる。

もういっそのこと、全て割り切り振り切った方がよっぽど安定への近道なのかもしれない。

あるがままを受け入れる。

足るを知る。

どっかの本にもそれが大事って書いてあったよ。

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