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読書が苦手な人ほど、読書にまじめすぎる―ふまじめ読書のすすめ

 ずっと感じていたことだ。みんな読書にまじめすぎる。だから読書が苦手になるのだ。なぜまじめか、どんなところがまじめなのか。この記事は、僕が唱える「ふまじめ」読書のすすめである。


1.好きがふまじめ、嫌いがまじめ


 雑談で読書の話題になると、必ずといっていいほど読書が苦手な人や本を読みたくても読めない人に出会う。僕が読書好きで年に100冊以上読む人だと知ると、どうやったら本が読めるのか聞いてくるのだ。

 話をじっくり聞いて気がついたことがある。ひょっとすると読書が苦手な人ほど読書に対してまじめなのではないか。そう、みんなまじめすぎるのだ。

 ちょっと待ってくれ。読書が好きな人のほうがまじめに決まっているだろ。読書が趣味ってなんて真面目なんだ。ふまじめだから本が読めないんじゃないのか。いや、そんなことは一切ない。実は読書好きのほうがずっとふまじめなのだ。

 読書が苦手な理由は様々である。よってこれから書く話はあくまで一つの例だと思ってもらえるとうれしい。

 読書に挫折する人は、とにかくがんばって一冊を読み切ろうとしている人が多い。そこには2つの「まじめ縛り」が隠されている。一つは「本を一冊読み切るのが読書」、もう一つは「本は一冊ずつ読むもの」という縛りだ。

 学校教育なのか日々の日常なのか家庭環境なのかは分からない。とにかく読書は「かっちりとした規律あるもの」というイメージが多くの人に染みついてしまっている。それが「本が途中でよめなくなる、あるいは読まなくなるのは挫折とみなす」というイメージにつながっている。

 規律あるものだし挫折したくない。だから読書はまじめに取り組むべきものになる。うまく読み切れないと苦手意識につながり、自分は読書が苦手だと思ってしまう。本当は誰よりも読書にまじめだったのかもしれないのに。

2.失恋ソングの途中で『上海ハニー』をかけるのはアリ?


 こうした読書に関する「まじめさ」は、音楽を聞くことに置きかえると非常に奇妙なことだと分かる。

 いま僕らはサブスクなどでいつでもどこでも音楽を聞くことができる。そこで質問だ。ある曲を聞いている途中に飽きてしまったり、曲と気分が合わなくなったとする。そんなときでも曲が終わるまで必ず聞き続けるだろうか。

 場合によっては次の曲にスキップしたり、音楽を聞くこと自体をやめたりするのではないか。では曲を聞くのを途中でやめたからといって「私は音楽を聞くのが苦手だ」と挫折感を味わうだろうか。

 朝起きてなんとなく失恋ソングを聞きたい気分になり、失恋ソングを集めたプレイリストをかけはじめた。でもそのプレイリストが終わるまでずっと失恋ソングを聞き続ける理由は僕らにはないだろう。

 失恋ソングを聞いているうちに「やっぱ夏にテンション上がる曲でしょ」と急にORANGE RANGEの『上海ハニー』を爆音でかけるのもアリなわけだ。

 多くの人はそのときの気分や体調に応じて聞く曲やプレイリストを好きなように変えている。テンションあげたいときはこの曲、しんみりしたいときはあの曲、などと場合に応じて聞く曲を使い分けている。

 そんな聞き方をふまじめだの、音楽をちゃんと聞けてないだのと多くは言わないし思わない。そんなの当たり前じゃないか。でも音楽での当たり前が読書にはなぜか適用されない人たちがいるのだ。とてももったいない。

3.みだらでふまじめな読書の世界へようこそ


 では僕はどのように読書しているのか。まず大前提として可能な限り「今この瞬間読みたい本」を最優先で読む。読みかけがあるか否かは関係ない。今読みたいという気持ちを大切にしている。

 仮に読んでいて「この本合わないなあ」と思って読む気持ちがなくなってきたら潔く読むのをやめ、違う本を読む。大事なのは読む気が起きない本を読み切ることではない。読書を楽しむことだ。

 読み切れなかったことを挫折だと僕はまったく思わない。今の自分には読むタイミングになかった。運命の本じゃなかった。そう思っている。もしかすると3か月後、半年後、1年後……どこかで「あっ、今だ!」と思うタイミングがくるかもしれない。そのときに読めばいい。それまでは本棚で休んでいてもらおうじゃないか。

 結局読まないまま古本屋に売ることもある。それもまた縁がなかっただけだ。自分に縁ある本は他にある。そう思って違う本を読めばいいのだ。

 読みかけの本は何冊もあっていい。むしろ僕は必ず読みかけの本を複数冊作るようにしている。それもできるだけ異なるタイプの本をそろえるのだ。内容やジャンルというより「調子が良いとき、普通のとき、悪いときにそれぞれ読めそうな本を一冊ずつ」という基準で異なるタイプを選んでいく。

 調子が悪いときに、調子良い用の本を読んでもうまく読めないにきまっている。そんなときでも調子悪い用の本があれば読書はできる。

 もちろん調子だけじゃなく、自分の部屋用、居間用、カフェ用など場所に応じて選んでもよい。自分の状況にあわせて常に読みかけ本や読みたい本をそろえておくのだ。

 ちなみに僕はどの読みかけの本も読む気になれないとき、何度も読んだお気に入りの本を読むことにしている。内容を理解しているから脳の負荷が少なく読める。それでいてお気に入りだから心に改めてしみてくる。

 あるいは歴史人物の日記もおすすめだ。さらっと読めるし、意外な本音や欲望が見え隠れしていて面白い。なお僕の愛読日記は清沢きよし『暗黒日記』である。

 もちろん本を一冊ずつ読むスタイルの読書好きもいる。でもそれだけが読書ではない。僕は何冊も並行しながら読むことで一冊それぞれを読むことに向き合っているのだ。

 恋愛で何股もかけるのは御法度だ。でも読書は何股かけようとも許される。いや、むしろかけるべし。本にみだらな方が読書は楽しいしはかどるのだ。

 『かいけつゾロリ』シリーズという児童書をご存知だろうか。31歳の僕が幼かったころも、現代でもなお愛される名作である。

 その作品がアニメ化したときのタイトルに付いていたのが「まじめにふまじめ」という言葉だ。僕はこれが本当に大好きで、自分の読書スタイルと重ね合わせている。

 一冊読み切れなくて挫折した。途中で読むのをやめて他の本を読んだ。一見ふまじめに思えるかもしれない。でも今の自分に合う本がどこにあるかなんて分からない。本当に必要な本を探して向き合い続ける。その意味では一冊読み切ろうが読み切れなかろうがまじめに読書している証拠なのだ。

 まじめに読むけどやり方はふまじめ。まさに「まじめにふまじめ」な読書だ。

 読書したいけどちょっと苦手意識がある。そんな人はぜひふまじめ読書の世界に触れるのはいかがだろうか。

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