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心を守りつつ成長を目指したい(願望)

タイトル、そのままです。
心を守りつつ成長を目指したいんです。

心を殺して成長を目指していた

学生の時、自分はめちゃくちゃ優等生タイプだったのですが、常に完璧と正解を目指していたせいで理想と現実の落差にいつも絶望していました。
自分の中に「圧倒的正解」があって、でも現実の自分はあれもこれもなにもかも全部足りていなくて、こんな自分って生きてる価値ある?っていつも考えていました。
精神的な病までは行ってなかったけど常に自殺することを考えていたし、学校と反対方向の電車に乗りたくて仕方がありませんでした。

この頃は、確かに精神面(心)はしんどくてしんどくて仕方がなかったけど、理想との違いを常に意識して向上心はめちゃくちゃあったなと思います。
実際のところ努力が足りなすぎて、どれだけ成長できてたのかは怪しいですが、毎日ちゃんと気を張って生きていたなぁと思います。

心を守り成長を捨てた

そんな私も大学4年生くらいの頃にかなり価値観が変わり、自分も自分のままで良いんだなと思えるようになり、相当生きやすくなりました。
生きやすくなったきっかけは色々ある気がしてこれだけで記事が1本書けそうなくらいなのでここでは割愛しますが、色んなことがあって色んな価値観を知って、視野が広くなったといった感じです。

逆に言うと、それはこれまでの人生を否定する考えでもあり、また短期間で180度見方が変わったので自分の中で収拾が付いておらず、相反する価値観に悩んだ時期もありました。

そんな時期も越え、今は特に目指す正解も無く、自分の心が一番ラクになるような生活を心掛けるようにしています。
正解を追い求めるのをやめ、失敗や後悔を何度も反復するのをやめ、嫌なことはできるだけ忘却し、自由にできる時間は目一杯好きなことをして頭の中を好きなことで埋め尽くすようになりました。
そうすることで、心の面ではとても生きやすくなったのですが、逆に正解という名の将来像や理想像が全く無く、それに向かって勉強や努力をするということも無いので、将来へのビジョンが無い無気力人間になってしまいました。

それに加えて、就活をしていた時期にすごく死にたくて将来なんていらないと思っていたせいもあり、仕事や人生に展望を抱けないまま社会人になっています。
その後に価値観が変わっているとはいえ、今の進路を決めたのが死にたい頃の自分なので、なんとなくその頃の考え(未来なんていらない)を引きずったままでもあります。

二つの価値観の狭間

簡単に言うと、
学生時代の自分は、心を殺す代わりに成長意欲があり
社会人の自分は、心を守る代わりに成長意欲が全く持てない
という状況になってしまっています。

心を守りながら、未来を見据えて成長していくのが理想だなと思うのですが、自分の未来にも日本の未来にも期待が持てないなと思っていることもあり、成長したって何になるんだと考えてしまっています。

つまるところ、早く人生をやめたいという根本的な絶望からは抜け出せていないのかもしれません。
死にたいという積極的な絶望は減ったものの、生きたくないという消極的な絶望は、まだまだ私の中に残っているんだなと思います。

心とか、成長とか、そんなことを言う前に、私は絶望を減らす努力をすべきなのかもしれません。

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