見出し画像

Encourage #6 「必要」

◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。


どれほどの間、雲を眺めていただろう。

心の病はそう簡単には晴れない。なぜこれほど過酷で我慢し難い苦悩に悩まされるのか?
自分は何もできない無力感を感じずにはいられない。


そんな時にデイケアと言う同じ立場の人同志のサークルに参加してみた。
その場所には、共に苦行とも言うべきものを耐えて乗り越えようとする優しい人々の雰囲気が伝わってくる。
とても穏やかに接してくれる人々、スタッフ。
その中で自分は驚きと恵まれた環境に居る事を実感した。

前の病院では考えられない程のプログラムが組み込まれている。
どれにしようか迷うほどだ。
しかし、そうやすやすとできる代物ではない。
どれも簡単そうに見えて自分には難しいものばかり。
この時ばかりは迷ったが、それでも続けていく内に外に出るのが楽しくなってきて心のモヤモヤが晴れて元気が出てくる。不思議なものだと感じる。
可能性が広がっていく。

画像4

だがそう甘くはなかった。欲張ってしまったのである。無理をしてしまったのだ。
自分の甘さに苦虫を噛む。
家族に主治医の先生、スタッフ、いろんな人達に迷惑をかけて心配させてしまった。
この時ばかりは、さすがにへこんだ。
そして、復帰してきた時、周りの人々の温かさに少しずつ元気をもらい回復していった。
少しずつ前と同じようにと願いながら毎日を過ごす。


自分には夢があった。
あまり大きな事は書けないがようは希望が持てるかどうかである。
持てるかどうかはわからないがここが踏ん張りどころだと考える。


それからデイケアに足しげく通うようになる。歩いて行くのが疲れたのならば車で行く。
そうして実績を一つ一つ積み上げるのである。
通い続ける事は我々には難しい。体力的に厳しいのである。
デイケアだけでなく外に出る事じたい大変な事なのである。
その中でもがき続けていく内に精神的に克服していく。
人によって早かったり、遅かったり、あるいはそのままだったりする。
焦る必要はない。

画像4

人々の姿が印象的に見える。その姿を見ていく内に心が休まる。幻覚幻聴や妄想を消してくれる。デイケアの内容に集中できるからだ。
時があっという間に過ぎていく。心なしか終えると寂しい。
だが、皆笑顔で去っていく。さよならの挨拶も清々しい。

無力感が消えて絆が強くなっていく気がする。当たり前だが、普通に通い続けることが必要である。それなしに何も変わらない。
そうする事が信用される近道であろう。安定する事なしには先には進めない。
我々誰もがそれを心得ている。現状のままでいいという人もいるだろう。
そう、それも一理ある。無理せず焦らずがモットーだ。

何気ない会話、スタッフが毎度たずねる「調子はどうですか?」のありがたさ。
嫌がられる事も無視される心配もない。
それらが、揃って自分は初めて自分をさらけ出せた。
デイケアはまさにそんな場所である。ありのままの自分を出す事に目覚めさせてくれた。

画像4

しかし、デイケアを去る日がやって来る。
あんなに居心地が良かった所から離れる日がやって来る。
諦めてここにとどまる。それも一つの選択肢だろう。
頑張って仕事に就く。その考えも悪くないが今の自分には難しい。
どのみちどちらを行こうか悩むところではある。できれば、誰かに決めてもらいたい所だ。

諦めるという事は、以前はつらい事だろうと思っていた。
計り知れないダメージを受けるだろうと思っていた。
しかしそうじゃなくて苦しみの螺旋から解放される。楽になれると知った時に初めて無理せず焦らずの本当の意味が見えてくる。
夢を追うだけが人生じゃない。頑張らなくてもいい。
何か背中を押してくれたかのような暖かい気持ちになった。

ここにとどまるか、それとも先に行くのか、まだ迷いがある。
先に進もうと思うなら、もう後戻りできないくらいの覚悟がいる。
とどまるなら夢を諦めなくてはならない。
しかし後戻りも夢を諦めるのも悪くない。
胸の中にある苦しい重荷をとりはずせたら後は楽になるだけである。


どれほどの間雲を眺めていたかわからなくなっていた。
いつの間にか空には雲が消えていた。
その青空に希望を託していた。

画像2


【今回の執筆担当者】
コズミ/40代男性。統合失調症。若くして発症し、入退院を繰り返しながらもエッセイやお笑いなど発表。趣味は宇宙を勉強すること。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?