Encourage #4 「継続」
◆NEFNEに関わる人たちによる自由連載《汽水域の人々》
雑貨屋&フリースペースのお店「NEFNE」で交わるひとびと。多様な執筆陣がリカバリーストーリーをはじめ、エッセイ、コラム、小説など好きなように書いています。
雲の間から漏れる光に導かれるように神々しいまでの空の情景が今までにない心の模様を呈していた。
いつの間にか物事はうまくいく。
無心になって邁進する結果なのかもしれない。
何事も言い訳ばかりしていた。
人によって差はあるかもしれないがマイナスばかりでもないはず。
自分は以前極端に悪い事に目が行く不幸な人でいい所は気付かない。気付けない。
「こんなはずではない。もっとできる。」と上昇志向が強くあり、誰かが「悪いなぁ、こんな所まで来てくれてありがとう!」と言われても本心から喜べなくて本音を言えない。
おかしな人間である。人の好意を素直に受け取らない。上昇志向が強い程に現実を受け止められなかったのである。
案の条、心に皺寄せがいっていた。不満を口にする事すら負けた気になるので口にしない。
自分がなぜこれほどまでにネガティブに考えていたと思う根拠は大抵運のなさからそれが積り積もって大きな塊になる。
そしていつの間にか信じられない程に屈折した性格になる。
こうなると生活全てにおいて悪循環にはまる。外に出る度に聞こえてくる声に喧嘩腰で戦おうとするも度胸もなくあえなく失速し、やり場のない怒りだけがどこにも行けずフラストレーションがたまる一方だ。
そして自分もどうすれば納得いくようになるのか努力をしなかった。
頑張ろうという気を幾度となくその幻聴に削がれた事か。
いつしか心が凍っていった。希望はなく絶望だけが心を占めていった。
転機は新しい取り組みだった。
その病院で誘われる事はなかった。新天地に行った先でその新しい取り組みで社会の繋がりを持とうとする治療だった。患者さん同士の集まりだった。
患者さんの体験や経験、言いたい事、体を動かしたり、頭を使ったりなどの社会への復帰を目的としたデイケアだった。
この取り組みが自分の視野を広げていく。それまで一人で戦っていたと思っていたが同じところで一緒に共有していく中に自分一人だけではない事に気付く。患者さん同士で似たような体験をしているとは驚きだった。それまであった自分が肯定されていくという不思議なことが起きた。人生捨てたもんじゃない。
生き続けていくと辛い事ばかりに目がいきがちだが報われる事もある。そんな視野を見せてくれた。
しかしまだ油断はできない。人が何らかの理由によって風邪を引くように我々の病気も同じように掛かる。
それを回避するため、スタッフに心配をかけない為にも通い続ける必要がある。
もしそれらが困難ならば休まなければならず、最悪なら入院の措置をとらなければならない。
家族、主治医の先生、スタッフ、デイケアで仲良くなった方々への多大な心配をさせまいと頑張ってもこれだけはわからない。
ただ方法がない訳ではない。自分自身を注意深く観察するのである。
季節の変わり目や眠れなかったり、「今日の幻聴すごく良くはなすなぁ」だったり、いつもと違うと感じる観察眼が大事である。
そして早目の対応である。風邪を引く時もこの病気を再発した時も同じ感じと思って頂けたら分かりやすいと思う。いや、この病気に限らず大体の病気は早期に発見するとひどくはならずに済む。
この病気の厄介な所は他の人には理解されない事だろう。
自分の場合は家族に知れるまで少し間があったが、気付いた時には心配されたものの、理解されなかった。それから家族内では長年誰も触れなかった。
少しそれたが要はこの病気にかかってから、毎日のように観察しなくてはならない。
完治はないので、末長く付き合っていく覚悟を求められる。
継続する力や我慢が求められるのでそれはもう大変な事だが焦る必要はない。ゆっくりと向き合っていけばいいだけの事である。それらに集中できるだけのサポートも分厚い。
これらの事を思うとマイナス面ばかりじゃない事に気付く。
恵まれていると実感する。行く所、通う所があるだけでも随分違ってくる。
この病気の患者さんの一人でも多く気が付いてもらいたい。
そして前向きに生きて欲しい。
力を抜けば物事はうまくいく。
そしてざわめきはなくなり、内なる心の声に意識が集中する。
了
【今回の執筆担当者】
コズミ/40代男性。統合失調症。若くして発症し、入退院を繰り返しながらもエッセイやお笑いなど発表。趣味は宇宙を勉強すること。