今日は、なんだかアイツ不機嫌だな。っていうか、こんなことなら先に不機嫌になったもの勝ちだな、ということが時折職場で起こったりする。「気分で仕事するヤツはサイテーっスね」と会社の同僚が言っていたことがあるが、誰かが不機嫌そうに仕事をしているのを見かける度にその同僚の言葉を思い出す。
といいつつ私自身もテンパってくると露骨に不機嫌そうになってきたりして、周りに気を遣わせ、サイテーだったりするのだが。
『なぜ、日本の職場は世界一ギスギスしているのか』
いかんせん仕事の量が多いのだ。定時間内で終わらないことが前提ぐらいの仕事量を抱えていたりするから当然不機嫌になる。誰かが辞めても上司は補充をしてくれない。辞めた人の仕事がなくなる訳ではないので、当然一人頭の仕事量が増え、仕事を振られた仲間の不満は募る。その不満をその場しのぎの言葉で言い包める。そして家に帰り、己の発した空虚な言葉をお風呂に入りながら一人反省する。そうして日々心は荒んでいく。そんな荒んだ心に一筋の光を与えてくれる本。『なぜ、日本の職場は世界一ギスギスしているのか』沢渡あまね(SB新書)
先ほども書いたが、人が辞めるとなった時に、上司に補充をお願いしても諸般の事情により聞き入れてもらえず、辞める人の仕事を皆に振り分けることになる。仕事を増やされた人は当然不機嫌になる。そういったことをただただ受け入れてもらう。只管に耐えてもらう。何しろどんな仕事にも忍耐力が肝要なのだ。
ただ忍耐力が必須の旧態依然たる会社なんかバカバカしく受け入れることができず、耐えられなくなった人がまた辞める。
今度は人員の補充に動いてもらえても、人手不足の昨今なかなか面接にくる人も少なく、たまたま補充がうまくいっても辞める人との引き継ぎ期間が短く、結局は前からいる人の負担がまた増える。
人員不足の負のスパイラルに陥った場合、どうすべきなのかと言うと、人が減った分、仕事を減らすことを考えないといけなかったのだ。ムダな仕事はスッパリとやめる。皆の仕事を整理整頓すべきなのだ。そうなんスよねぇ、と物凄く納得した。
「最後には管理職が引き取らざるを得なくなる状況をつくり出しています。」という言葉にとてつもなく深い共感を抱きつつ、事務作業のなかでも、例えば、情報共有のためのCCのメールがやたら届いて、中には目を通す必要がないようなものも混ざっていたりすることが多々あり、ホント疲れる。私はCCメールを別フォルダに移したりせず、一応軽くでも目を通したりするタイプなので、一日休んでいたりすると次の日の朝イチにはメールチェックだけでかなり時間を消費することになる。
送る方は悪気なく「周知しとこっかなぁ」程度の軽い気持ちでCCに私のアドレスを入れてくれているのだろうが、CCで受信した側の時間を奪い、ムダにしてしまっているとはこれっぽっちも考えていないだろう。
読み進めれば読み進めるほど、今の職場でやるべきことが明確になってくる。誰かに仕事を擦りつけるのではなく、チームの仲間と一緒に仕事の断捨離する。
が、実際実現させようとするとハードルは高い。というか上司も仲間も前向きに協力してくれるか、どんどん不安になってくる。
『サラリーマンかフリーランスか「どちらが得だった?」』
そうなると少し現実逃避したくなる。いっそのこと会社なんか辞めたろかしら。そこで『サラリーマンかフリーランスか「どちらが得だった?」』山田寛英(中央経済社)なのだが、その前に先月読んだ羽田圭介の『ポルシェ太郎』から。主人公で小さなイベント会社を経営する大照太郎もこんなことを言っていた。
この一節が気になって『フリーランスかサラリーマン「どっちが得だった?」』を手に取ったのだったが、この本はフリーランスの渋沢とフリーランスで仕事する事を考えはじめた会社員の野口の二人の対話形式で、フリーランスで働くこと、サラリーマンで働くことのメリット、デメリットを渋沢が野口に教え説くかたちで話は進む。
まずはサラリーマン野口の会社の愚痴から。
そういえば、落合陽一も『働き方5.0』のなかで、こんな事を書いていた。
自分自身の信念を貫き、妥協せずに、上司をどうやって動かすのか。それには上司が決断しやすい材料をロジカルに提供すること。
無口な上に滑舌が悪い私は、口から仏像を吐き出す六波羅密寺の空也上人立像なみの壮絶な修行が必要だ。このままでは、上司に当たって砕けて「トホホ」の吹き出しが口から浮き上がる姿が目に浮かぶ。
フリーランスになった時に一番心配なのが収入だ。今のサラリーマンの給料分をコンスタントに稼ぎ続けることができるのか、そこから更に収入を増やすなんてことができるのか。
そしてフリーランスになるにしてもサラリーマンを続けるにしても、会社との付き合い方を考えるきっかけに、次の会話はなる。
フリーランスになりたいと思うのは現実逃避のときぐらいで、具体的に独立して仕事をやってみようと考えたことはあまりない。他の会社へ転職しようと考えたことは何度もあるが…。とりあえず土日祝と基本的にお休みが取れる現状に満足している。
フリーランスになって、休みの日にお客から電話がかかってきたり、ネットワークを広げるためにゴルフなんかを始めたり、そういったことはフリーランスに限らず営業職のサラリーマンなんかでもあったりするのだろうけど、極力プライベートを仕事に侵されたくない、遠ざけたいと考えている私にはフリーランスは不向きなのだろう。
というかゴルフなんですよね。ゴルフ。
先日もゴルフを始めた入社3、4年目の後輩からゴルフをやらない私に「これからさらに昇進を目指すならゴルフぐらいやっといた方がいいですよ」と勧められて「うっせーなぁ」と思っていたところだ。
ただ私自身、まったくゴルフの経験がないわけではなく、中学生くらいの時に一度祖父とゴルフコースをまわったことがある、普段激甘のおじいちゃんが、ゴルフコースに出ると鬼のように厳しく、叱られまくり、それきりゴルフクラブを握ったことはない。
サラリーマン道を極める
自分の時間を切り売りするようなサラリーマンと仕事と生活が地続きのようなフリーランス、どちらがいいかと聞かれると、私はサラリーマン生活が長く今更フリーランスでやっていく自信もないので、サラリーマンを選ぶであろう。
じゃあ、サラリーマンを続けていく上で、どうすればいいのかというと、自分たちの職場は自分たちの力で職場を働きやすい職場にしていくしかない。腹を括ってサラリーマン道を極めた男闘呼になるしかない。
ロスジェネど真ん中の私は会社では既に年長者の部類に入る。これからは後進の若者たちが気持ちよく働けるように慮って生きていくべきなのだ。
しょうもない会社でも長年居座り続けば偉そうな顔をしてられるんじゃないかという淡い期待を抱いていたこともあったが、そんな日は訪れることもなく、これから若い世代におもねっていく。
どうせフリーランスになって自分の思う通りに仕事ができるようになっても、事業規模を拡大して誰かを雇うようになれば、サラリーマンを雇うことになるわけで、そうなればギスギスした職場にならないよう、時にはジェネレーションギャップの存在をしっかり認識しながら、部下を率いていかなければいけないのだ。
サラリーマンでいつづけても、フリーランスに変わっても、やることは同じだ。旧態依然たる組織で培ったノウハウを捨て、日本中の中高年が若者に寄せていく。うふふ。
今月の本
『なぜ、日本の職場は世界一ギスギスしているのか』沢渡あまね(SB新書)
『サラリーマンかフリーランスか「どちらが得だった?」』山田寛英(中央経済社)
先月の本
『働き方5.0 これからの世界をつくる仲間たちへ』落合陽一(小学館新書)
『ポルシェ太郎』羽田圭介(河手書房新社)