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11月ですね。30日しかない月ですが、このように一か月の長さが31日未満の月を「小の月」と呼…
どうもいまいち身心の調子がピシッとしないなあと感じていたところ、そういえばここ数日はジ…
先日のエントリで、「現象の世界の中に常一主宰の主体としての実体的な『私そのもの』を見出…
この noteの趣旨は「もにょもにょ言語化」であって基本的にノンジャンルだということは過去…
一昨日のツイキャスでは、なんだか久しぶりにコアな話をしてしまった。 (※録画視聴パスは…
ある対象に向けた表現を自ら作成して公開したのに、その対象の層が当該の表現物を見てどのよ…
ツイッターで大騒ぎになっている「温泉むすめ」の件について、「ネットでそんな論争をしている暇があるなら、まずは温泉に行けばよいので、単に議論を『酒の肴』として消費しているに過ぎないフェミニスト側も表現の自由側もともに嫌らしいと感じる」という趣旨の投稿があったのを見かけて、ああ、これがまさに「現実教」の典型例だな、と感じるなどした。
『憲法で読むアメリカ史』という本を読了したので、感想と簡単なガイドを。そこそこボリューム…
『大人の道徳』という本を読んだので、ご紹介を兼ねての感想。周囲に褒める人が多いところから…
昨日のエントリでは字数が多くなりすぎていたので書かずにしまったが、『大人の道徳』でもう…
ひと月のあいだ note更新をさぼったおかげ、かどうかはわからないが、生活環境と家庭環境を…
先月は吉村昭の小説を何冊か読んだのだが、その中に『冷い夏、熱い夏』という作品があった。…
「価値が理解できない対象について、それは自分のほうに何か足りないものがあるのではないかと…
このところ気温があんがいと下がっていないこともあって、早朝の瞑想タイムは相変わらずいい感じである。私がなんだかんだで瞑想実践を続けている理由については数日前のエントリにも書いたけれども、ここで端的にそれを述べなおすならば、「思い出すため」というのが最も適切な表現になるだろう。あるいは、より正確にいうならば、たぶん私にとっては人生それ自体が「思い出すため」にあるのであって、それでも毎日忘れてしまうから、私は毎朝、独りで静かに坐るのである。