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[わたしの死にたい怪物②]

偶然ルーレット

 私は今、よく知らない男が運転している車の助手席にいる。
 ここはハワイ、まさかこんなことになるなんて思ってなかった。

 アパートが燃えたあと、2か月余りで退職した。急な退職となったが、私の境遇に同情した上司のおかげで、すんなり辞めることが出来た。
 正直それほど落ち込んでいなかったのだが、若干心が病んでいるふりをしたのも、多分よかったのだと思う。
 もちろん、火事の後は片付けやさまざまな手続きがあり、それはもう大変で数時間おきに途方に暮れる瞬間もあったが、友達や家族が助けてくれたおかげでなんとかなった。
 それからすぐにESTAを取り、ハワイへ向かった。
 女性が一人だと入国審査で引っかかるという噂話を耳にしていたので心配していたが、陽気なおじさんに当たり無事入国することが出来た。(入国審査って、本当運試しなところあるよね)
 空港からはタクシーに乗り、アラモアナ方面へ向かう。予約していたコンドミニアムは車で30分ほど。ここでも陽気なおじさんに当たった。韓国出身のとても親切な人で、韓国語と英語はもちろん、日本語も流暢に話していた。人柄も良く、運転も丁寧だったので、運転手さんから名刺をもらう。目的地に着くと、「困ったことがあったらいつでも連絡していいからね~!」と言って、おじさんは去っていった。本当に良い人。
 ロビーへ行くと、ブロンドの長髪に、筋肉質の身体、腕や首にはたくさんのタトゥーというちょっと見た目が怖いお兄さんが対応してくれた。見た目にビビっていたが、話すと気さくで良い人だった。
 部屋は20階で、窓からは海が見えた。キッチン、バスルーム、リビングにベッドルーム。十分なこの部屋は、ちょっとしたツテで格安で借りることが出来た。
 飛行機で疲れていたので、荷解きもせずベッドルームへと直行する。コンドミニアムに到着したのが11時。起きると15時だった。
 起きた後もなかなか動く気になれず、コーヒーを飲みながらソファでしばらくグダグダする。海が見える。窓を開けると、人々がキャーキャー言っている声がここまで聞こえる。なんていうか、贅沢な時間だな。

 ―今日はフードランドで適当に夕飯を買おう

 そう思い、ロビーへ降りる。チェックインを担当してくれた長髪ブロンドが「Hi!」とフレンドリーに話しかけてくる。
 「どこ行くの?」と聞かれたので「お腹空いたから買い物に行くね」と答えると、「だったらすぐ隣にあるレストラン、テイクアウト出来るよ、おいしいし」と教えてくれた。言葉だけでなく、外に出て途中まで一緒に歩いてくれたこの男性のネームプレートには『マイク』と書かれていた。
 教えてくれたレストランは歩いて数十秒の距離にあった。マイクは「ここ!」と言ったあと「じゃあねー!」とすぐにフロントに戻っていった。
 連れてきてもらっておいて、このレストランの袋を手にしないままロビーで彼に会うのはすごく気まずい。ので、このレストランでテイクアウトの注文をし、フードランドで買い物をした後、料理を受け取ることにした。
 ・・・もしかして、マイクはこの店とグルだったりして。という考えが一瞬過ぎったが、レストランで対応してくれたお兄さんもとてもいい人で(しかもイケメン)、ハワイにしては値段もかなりお手頃だったので、グルでもいいやと思った。(多分グルじゃない)
 買い物を終え、レストランの歩道に面したテラス席で料理が出てくるのを待っていると、コーヒーを片手に歩いていたブロンド短髪の背の高い男性と目が合った。微笑まれたので、ぎこちなく微笑み返す。すると彼はそのまま私の方へ来て、話しかけてきた。名前はジョンだと言う彼は、日本が好きだと話し、料理が出てくる5分くらいの間、「日本に旅行した時の写真」とインスタを見せてくれた。なんやかんや適当に会話した後、インスタのアカウントを聞かれたので交換し、彼と別れた。
 ロビーに戻ると、マイクはいなくなっていた。変わりにこれまたガタイの良いおじさんがフロントに座っていた。「Hi~!」と軽く挨拶し、部屋に戻る。
 マイクが教えてくれたレストランでは、ガーリックシュリンプと迷ったが、結局ジンジャーチキンを頼んだ。ちょっと味が濃い目だが、ご飯と一緒に食べると美味しかった。
 ジンジャーチキンを食べ終わった頃、テイクアウト待ち中にちょっと話したジョンから、「仕事がもうすぐ終わるんだけど、よかったらドライブしない?」という内容のDMが届いた。ドキっとしてしまったが、返信するのに時間はかからなかった。
 死にたい怪物が隣で笑みを浮かべながら、「大丈夫大丈夫」と囁いている。

 いつもの私なら、5分話しただけの男の車になんて絶対に乗らない。
 でも、この『死にたい怪物』と一緒にいると、なんでも、どんなことでも大丈夫な気がしてしまうのだ。この怪物を認識するようになってから、すごく自由に生きられるような気分にさえなっている。だって、死んだって、いいんだから。

 そういう訳で、迷いなく彼に「行く」と返事をした。(ガーリックシュリンプ食べなくてよかった)
 そして今まさに、彼の車に乗っているのである。
 向かう先はタンタラスの丘。『死にたい怪物』も後部座席にこっそり乗せて。

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