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ガチで危機感持った方がいいと思う

2024年はプライベートが激変するっぽく、かなり忙しい毎日を送っている。
ありがたいことにインターネットから離れることができ、精神衛生上はいいのだが、そんな日常でも貫通してくるネットミーム(?)が新たに生まれた。

危機感ニキことジョージが1月末から大きな話題になった。
本名ジョージ・フィリップスと言い、X(旧Twitter)やTikTokなどで活躍するインフルエンサーだ。主な発信内容は自己啓発・健康・フィットネスが中心だ。ちょっと陽キャラっぽい雰囲気で自分磨き系を語ってるのもあり、着々とファンを増やしていっている。

そんな彼が大きな注目を集めるきっかけとなったのが、彼の出した動画の切り抜きだ。

Xで拡散されたのは切り抜き動画で、彼はマイクを片手に、「スポーツ経験がない男、部活に入った経験のない男、俺ガチで危機感持った方がいいと思う」と切り出し、「それこそが、お前がどう足掻いてもモテない理由だと思う」「明らかな事実」と語り始めた。

 続けてジョージ氏は、「何がヤバいかって言うと、男として成熟しないんだよね」「人生の中で、何かしらの競争をしてないと、男として成熟するためのパーツに欠ける」と持論を展開した。

 「お前、最後に競走したのいつ?」「他の男と戦ったのいつ?」「監督に理不尽なこと言われたのいつ?」と畳みかけると、「ないでしょ?そういう経験。弱いって。絶対メンタル弱くなるって。勝負の世界にいたことがない男は」と断言。「自分のプライドに傷が入るような状況に置かれたことがないから」「ちょっとの理不尽なことがあったら耐えられない。いや、世の中は理不尽だって」などと突きつけている。

賛否両論を呼んだこの主張だが、私自身の考えは違う。
ジョージ氏は「スポーツをやっていない→モテない」という持論を展開していたが、スポーツをやっていてもモテない人は勿論いる。
逆にスポーツをやっていなくてもモテる人も勿論いる。
反論の余地が結構あるので、ジョージ氏の持論である「スポーツ経験がない→非モテ」というのはあまり正しくないように思える。

ただ一つだけ言えることがある。

いつまで経っても運動・スポーツ・体育に対して憎悪剥き出しの大人は大したことがない。

ジョージ氏の持論が展開される一方で、インターネットでは古来より運動・スポーツ・体育批判がされている。なんか一回でもバズりたかったら運動・スポーツ・体育批判しとけばいいと思うくらい、ネット民たちにウケの良いコンテンツだ。

そしてその憎悪剥き出しの彼らは、総じて負の思い出補正ありきで持論を展開していく。
ライターの安田峰俊氏もその一人だ。
彼の著作は(とりわけ中国関連)非常に面白く、また勉強になる本ばかりで私も愛読している。

ただ、彼も少年時代の体育の授業での体験のせいか、超がつくほどのアンチ運動・スポーツ・体育の論者の一人であり、あまりにも嫌いすぎてオリンピックW杯ですら批判するという有様だ。

確かに、学生時代(特に男子は)運動ができないと晒されるような感覚に陥る。

私もそうだった。

体力テストではいつもビリッけつ。持久走なんかはダントツビリで何なら運動部の女子にすら負ける有様。

球技なんかはもっと悲惨だ。サッカーなんかは全く役に立たないし、バスケではレイアップシュートはできない。おまけにテニスはサーブも入れることができないし、バレーボールは真後ろにボールが飛んでいく。

典型的な運動音痴な私だが、勿論嫌な思いもしたが、体育の授業はとても楽しかった。

器械体操で体操選手がやるような勢いよく走って宙返りする技をやる授業があった時、運動ができないことを知っている同級生が「ねずぴかやれよ〜」と声をかけてきた。私も「よし!やるぞ!」と大きく返事をし、勢いよく飛び出したが、結果はただ高速でんぐり返しになってしまった。
あまりにも潔い失敗だったのでクラス中は大爆笑だったが、私自身は何か清々しい気持ちもあった。

運動ができないという一つの欠点も頑張れば、自分を三枚目に見せる良い味付けだとも捉えることができる。

運動・スポーツ・体育に親を殺されてしまったアンチたちは、運動ができないだけでイジメられたor嫌な思いをしたと思うだろう。

ただ実際は自分の欠点を三枚目に見せることができない中途半端でチンケなプライドの高さが鼻につくから目をつけられたのではないかと思うのだ。

そんな人たちに持て囃される論調と考えると、アンチ運動・スポーツ・体育というのはあまりマトモな意見とは到底思えないのだ。

いかに体育が悪逆なものかを説明するものはネットでバズる。
下のツイートもバズったものだが、これを持て囃している人たちが大きなことを見逃している。

座学の方が子供たちにとって、はるかに挫折感・劣等感を抱かせやすいのだ。徐々に年齢・学年が上がるほど学習内容が複雑化していき、本当に取り残されてしまった人は知らんぷり。そっちの方がよっぽど残酷だろう。

先月のnoteで公開したKくんもまさにそうだ。彼は本当に取り残されてしまった人だが、教師たちは完全無視で授業を進める。今思えば、彼は本当に辛かったのだろう。

そんな事実を無視して、自分達の負の思い出補正だけでアンチ活動をすればするほどその自分を正当化する行動も相まって、運動・スポーツ・体育ができない人は迫害されて然るべきということを証明してしまっているような気がするのだ。

それこそ、ガチで危機感持った方がいいと思う。

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