1年前の写真


写真を整理していたら、2017年の12月、去年に日本を旅した写真を見つけた。
旅と言っても、地元の岐阜から高山に行って、静岡に行くだけの、人に会うための短い旅だったのだけど、その時初めてゲストハウスというものに泊まり、そこにいたドイツ人と二日ほど過ごしたのだ。

見つけた写真は、彼女が持っていたカメラで撮られた私の姿だ。すごく面白い顔をしている。
これは確か、二日目の朝、ベーカリーに朝ごはんを食べに行った時のものだった。


朝食の前、私たちは日の出前に起きて、泊まっていたゲストハウスの屋上へと向かった。
富士がよく見える場所。
まだ日が昇らない真っ暗闇に浮かぶ富士がきれいで、こんな朝早くから活動している人たちを見下げながら、夜が明けるのを待った。
12月の真ん中ほど、もう寒い時期だった。厚手のコートを着て、手袋もマフラーもして行ったはずなのに、それでも寒かった。

白い息が、冬の刺すように澄んだ空気に溶けていくのを、ふたりで静かに見ていた。
昨日出会ったばかりの彼女との別れが近づいていることを、ひしひしと感じていた。

空が明るくなり始めてから、ふたりで興奮しながら写真を撮った。
日が昇った時、ちょうど太陽の方面が雲に隠されてしまったのが残念でならなかったけれど、富士山は綺麗に見えた。

私が普段住んでいるシアトルにもマウントレーニアという山がある。
その山の綺麗さと、そこまで変わらないなと、少し失礼なことを考えた。
それでも、富士は美しかった。

太宰治は富士の美しさを恥ずかしいと言ったけれど、確かに、世界中どこにでもある山に感動を抱くのは、少し恥ずかしいことなのかもしれない。
自然現象でできた、生の意思もない物体に、それでも綺麗さを感じる人間は滑稽なのかもしれない。

だけど美しかった。
それでも富士は雄大だった。


しばらく富士を撮って見て、私たちは件のベーカリーに朝食を食べに行った。
日本とヨーロッパのパンの話から、政治の話から文化の話から、互いの話に至るまで、色々な話をした。

彼女のカメラを持って遊んでみては、彼女を撮ったり、彼女に撮られたりした。
見つけた写真は、その一枚だ。

なんて変な顔をしているのだろうと思う。
驚いているのか笑っているのか、わからないような顔をしている。
だけど、どこか楽しそうに見える顔だ。


写真に触れると、当時のことを思い出す。
あの寒かった朝のことから、夜に神社に行ったこと、モツを食べさせて笑っていたこと、道中足をくじいた痛みまで、色々なことを思い出す。

当時はいっぱいいっぱいで文章にできなかったものを、思い出すと書き留めておきたくなってしまって、今こうして文章を書いている。

たくさんの思い出がある。
旅中に言葉に記せなかった、たくさんの思い出が。
たくさんの写真に触れて、思い出す。

だから人は写真を、文章を残すのかもしれないと、少し思った。



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