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アメリカに住む私が、今回のデモに思う事

最近のニュースやネット上の反応を見ていて、一年前に母校の授業で聞かれた質問を思い出した。‪

「やっぱり(アメリカに)差別ってあるんですか?」

私はこの質問をされた時に、戸惑った。
差別はある。

私が住んでいるワシントン州はリベラル寄りの州だ。
そもそも西海岸はアジアからの移民や留学生が多いし、大学では学期始まりに差別意識を問うアンケートが為される。社会学を取れば、一番最初の授業ではレイシズムについて語る。
公的機関の人事採用でもある程度の多様性を意識しなくてはいけないようだし、留学生であっても軍に所属し学費を免除してもらう権利がある(私は軍の勧誘を受けた時に初めて知った)。

それでも、差別はある。

街中で通りすがりに「国に帰れ!」と罵倒される事もあれば、バスの中で後ろの座席に座れないよう通路に足を投げ出されたり、「アジア人はクズだ」「彼奴らの所為で国が堕落する」などと態々聞こえるように話される事もある。

ただ今回の件と、私が普段受けている差別は少しだけ様相が違う。
インターネットでは「差別の歴史が違う」だとか「アジア人はマイノリティの中でも優遇されている方だ」とかいう意見が散見されるけれど、私が本当に違うと思うのは、それが社会システムの問題であるという点だ。

アジア人として様々な人種から差別を受けても私が平気でいられるのは、警察や国家権力を始めとする良識有る人々は、何かが起こったとき私を護ってくれるという、信頼があるからだ。‬

差別的発言にバスドライバーが気付いてくれれば、私の代わりに諫めてくれるし(差別的発言をする人達は基本こちらが反論しても逆上するだけなので、バスドライバーの目に付きやすい前方の席に座る)、もし殴りかかられたりすれば警察や司法は確実に私の味方をする。

だからこそ、‪警察が黒人の人を殺したという今回の件は、‬その信頼すら揺らぐ一大事件なのだ。
警察や国家権力が自分を保護する為に動いてくれないばかりか、自分を殺そうとする。そういった絶望だ。

今回の問題はSystematic racismであったことが何よりの問題だった。
勿論日常的に受ける差別も問題だけれど、この問題は一つ階層が違う。

日本に住む日本人にこの事を伝える為に、どういう例えが適切なのかを考えたのだけど、私は日本に住む留学生や移民に対する差別に詳しくはないので(もし詳しい人がいたら教えてほしい)、日本でも何かと良く話題になるフェミニズムの事例を例えとして使いたい。

フェミニズムに擬えると、今回の件は「レイプをされたのに加害者が無罪になった」という件と少し近いと思う。
加害をされたのに司法は被害者の味方にはならなかった、という歪みだ。

勿論日常的に差別を受ける事もあるだろう。
「女/男の癖に」と罵られたり、「女は家庭に篭っていろ」と言われたり(因みに昇進や就職に関わる問題はSystematic racismに分類されるので、日常的な差別とは一線を画す)。
それらもなくなるべきではあるが、社会の重要な機関がそれを非としている限り、まだ救いはある。反撃のチャンスがあるからだ。
それすらもなくなってしまったら、私達は不当な扱いを受け入れるしかなくなる。社会的に沈黙を強いられてしまう。

だからこそ、人々は憤り、デモを行う。

Twitterを見ている時に、「コロナの影響で溜まったストレスが爆発しただけ」という意見を見たが、それはあまり正しくない。
悲しい事に、黒人の人が警察に殺されるというのは初めてでも、物凄く珍しい事でもない。
そしてそういった事件が起こる度に、人々はデモをしているのだから、コロナの影響でデモをしている訳ではない(デモが暴徒化した理由にはそういったストレスが少なからず関係しているだろうが)。

黒人差別は根が深い。
それはアメリカの歴史を語る上で切っては切り離せない話で、私もアメリカの多様性の授業を取った時に、他の人種の歴史と共に学んだ。

Martin Luther King Jr.が亡くなったのは1968年だし、癌になった黒人の女性から無許可で(家族が反対していたにも関わらず)採取された細胞”HeLa Cell”は今も世界中の研究所で使われていて、彼女の子孫はその利益を少しも受け取れず貧困層として生きている。
段々改善しているとは言っても、経済的/教育的なギャップは今も埋まっておらず、差別意識もなくならない。

そうした差別を是正する為に人々は何度もデモをして意思表示をするのだから、その意思表示を「ストレスが溜まったから」や「他の差別もあるのに」という言葉でまとめるのは、些か強引だし、デモを通しての意思表示の可能性を狭めてはならないと思う。

今回の件が始まってから、こちらのニュースでも日夜デモの話題を取り上げている。
そうしたニュースを見ていると、社会は着実に、ちょっとずつだけど変わってきていると思える。

シアトルではデモの場に市長が出てきて、市民に訴えかけていた。
その時の言葉(彼女のではなく一緒にスピーチした警察のだけど)が印象深かったので、引用したい。

私も黒人だ。今回の件で憤るのも、不安を抱えるのも分かる。私も同じだけの痛みを感じている。それは警察の制服を着ているからといって変わらない。だけど暴動を起こすのは間違っている。今感じている怒りは、暴力にではなく、Systematic racismを是正する為に向けられるべきだ。ここには、それをサポートする人たちが沢山いる。

ニュースで流れてきたのを思い出して書いているだけなので、細部は間違っていると思うが、大体こんな内容だった(「Seattle protest mayor speech」で検索すれば出てくるんじゃないかな)。
市長も繰り返し繰り返し「市民にはデモをする権利があるし、その権利を行使する人々を我々は全力で護る」と言っている。
私も大学から、「あなた達は等しく価値のある、大切な存在だ」という内容のメールを貰った。

州に寄って状況が全然違うのは分かっているが、数十年の抗議活動を経て、社会は段々と変容しているし、この変容は平等が達成されるまでこれからも続くだろう。

そして誤解を恐れずに言うと、アメリカに来て、自分が差別をされる側になるという経験は、個人的には有益なものだったと思っている。
差別を肯定している訳ではない。
だけどそれがなかったら、多分私は差別を肌感覚で理解する事はなかったし、日本にある同調圧力のようなマジョリティの押し付けとは一線を画すとわかっただけで、世界の見方が変わった。‬

人は差別を好むし、潜在的に誰もが差別的な思想を持っている。それはデモに参加している人も、多様性の授業をしている講師も変わらない。

だからこそ、無知は罪だ。
己の中にもある差別的な思想を理解して、常に正そうと考えていないと、私達は容易に人を傷付ける。
私もアメリカに来たばかりの頃は、幾つかミスを犯した。

常に自分に批判の目を向けるのは大変だし辛いけれど、無知で人を傷つけるくらいなら、私は知って苦悩したい。

今回の件を見て、もしあなたが深く悩み、共感をしたのなら、何かを発言する前に差別の歴史を学んでみてほしい。アメリカに限らず世界には多くの差別があるし、日本にもある。
そして自分の中にも差別の芽があり、それを取り除く事は出来ないんだと胸に置いて、行動してほしい。差別を強く糾弾しようとするその姿勢にも、時折差別が潜んでいる事がある。

結局、ひとり一人の意識が変わる事でしか社会は変わらない。
だから、デモなどの意思表示が大事なのだと思う。

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