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最も裏切ってはいけない相手。

今日は、早朝からnoteを更新してみます。

数日前のこと。「わぁ、すっごい金額の入金!やったー!!!」と喜んだのも束の間、そのほとんどが現場で使った制作費の立替分だったりするので、どう考えても自分のお財布的にはプラマイゼロなんですが、異様に嬉しい気持ちになるし、むしろ「ラッキー!」ぐらいに思ってしまうのは、制作の人間あるあるなんでしょうか……?何はともあれ、自給自足でラッキーが生み出せるのは、かなりコスパが良いのでは……?あと、なんていうかこう、我ながらオメデタイ人で、ハッピーですね!!(笑)

さらに少し前のこと。大先輩にあたる方にお茶の時間を作って頂きました。色々な物事を色々な角度から惜しみなく教えて下さって、もちろん驕ったところなどひとつもなく、私も将来こう在りたい、と強く思いつつ、数時間を過ごす中で「なんだか我々は似ていますね」と話したのでした。それは、良くも悪くもビックリするような出来事に直面した時、見て見ぬ振りを出来ないところが。第三者から「そんな事(or人)は、放っておけば良いのに」と助言をもらう事があっても、その時に"見て見ぬ振りをしてしまった自分"や、"やり過ごしてしまった自分"を、いつかの自分は許せるのだろうか、を考えてしまうんですよね、と。

恐らく私の場合は、誰かを裏切ってしまう事よりも、自分自身を裏切る事の方がいつまでも引き摺ってしまうし、1番身近な自分という存在を裏切って、この先、他者を裏切らずにいられるのか、とも思ってしまう訳で。疑問を疑問のまま残しても、後悔を後悔のまま残しても、そのまま身の回りをうっすらと浮遊し続けて、いつかの自分が喰らうだけなので、どんな形にせよ解決は早い方が良いなぁ、と思いながら生きています。

これまで私は、トップに立つ才能のある誰かの右腕のような場所に身を置く事が多く、そのポジションが自分自身に1番向いているという認識は今も昔も、そして恐らくこれからも変わらないのですが、向き不向きを抜きにすると、心持ちとしては自分がトップに立つ方が楽だなぁ……と感じています。良からぬ何かが起きた時、責任の所在も、その取り方も、完全に自分にある訳で。

「責任を取る事ができる」というのは、ある種、幸せな事なのかもしれませんね。

なんとまぁ、早朝から真面目な話をしてしまいましたが……とある事情でめっきり昼夜逆転しておりますので、私はこれから眠ります!(笑)

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