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煙を立てるなら、火をつけよう、という話。

私は、嬉しい。

カナコspeenaさんが、ステージに帰ってくる。

speenaというバンドをご存知でしょうか。2000年代を代表するガールズバンドです。

Wikipedia

公式ではないのですが、YouTubeにいくつかMVも残っておりますので、ご存知でない方は是非に。

speenaの音楽に救われていた10代。
通っていた高校へどうにも登校できず、部屋から出る事を諦めた日。ラジオから聴こえてきたspeenaの新譜を近所のCD屋さんへ買いに行き、それを聴いて私は「あぁ、また学校へ行こう」と思えたのでした。
当時、avexのスタッフさんから「公式より情報が速い」と言われていたファンサイトまで運営し、全国各地のライブを観るために飛び回っていたのは、今では知る人ぞ知る話。これは後から知った話ですが、speenaスタッフとして引き抜きのために本社までお呼び出しがかかったのも、この頃。普通に、私が当時結成していたバンドの音源を聴いて頂いて、ミーティングは終わりました。(笑)当時の私のハンドルネームを名乗ったら「おぉ!!!」となる方もいらっしゃるのでは?と思います。……そう言えば、ハンドルネームって、もう死語なんですかね?(笑)

カナコspeenaさんと同じステージに立っていた20代。
「影響を受けた」と言えるのは、音楽性ではなくて精神性だったのではないでしょうか。私自身がインディーズのアーティストとして完全に叩き上げの活動をしていた頃、毎月のように企画ライブをしていました。speenaとしては既に解散していたため、カナコspeenaさんとしてツーマンライブのお相手をして頂いたり、イベントにもご出演頂きました。かつてステージをひたすらに見上げていたアーティストと同じステージに立つ事になるとは、もはや夢のような話です。ジャパニーズドリームは、ここにあったのですよ。

裏方として関わる事になった30代。
表舞台を降りて裏方に回る人間は、早い話が「なれなかった」側で、誰に対してなのか何に対してなのかも分からないけれど、私には引け目がありました。何故なら、「続ける」事はひとつの才能で、そこからも手を離してしまった自分に今後何かを成し遂げられるとも思えなかったから。ただ、「音楽を好きでいる事」だけは常に変わらずに自分の中にあって、ふと掛かってきた電話の相手に向かって

「で、いつ歌いますか?」

と口を開いていました。

この先、企画制作 necramicrockにて、カナコspeenaさんが再びステージに立つためのお手伝いをいたします。

私は、本当に嬉しい。

お帰りなさい、カナコさん。あなたにステージが似合う事を、私はよく知っているんですよ。

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