さくら・サクラ・桜/ある歌人神官がみた明治(14)
やっと桜の開花があちこちで聞かれるようになりました。葦の舎あるじの『随感録』から、桜ソングを一挙公開します。
明治28年 2首
いずれも、散る桜を惜しむ歌。まさに、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)」だ。いつ咲くかと待ちわび、いつ見ごろになるかと気もそぞろ、もう散るかと惜しむ。散ってしまうとわかっているから満開の花を見ても寂しくなる。
ちなみに、葦の舎あるじの作歌には、ちょいちょい業平のこの歌の影響が伺えるが、孫娘にあたるタツは逆説っぽい歌いまわしを嫌っていた。
あざといというか、本気でいってるわけじゃない見え見え感が鼻につく、みたいなことを言っていた気がする。
色男が「僕のまわりには美しい人が多すぎる」とため息をついてみせるようなわざとらしさというか。いやそこまでは言ってないか。
29年 1首
これは、本居宣長の「しきしまのやまと心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」を踏まえた歌だろう。
後年、大和魂とか国粋主義とか散る美学とかのイデオロギーに利用されてしまったが、鈴屋大人は特段、潔く散る美学などとは一言も言っていない。
ただ、山桜を大変愛していたようだ。自画像にも描きこんでいるし、自らの墓(神道では奥津記という)の設計を事細かに記した遺言書にまで、山桜を植えるように指定している。
31年 4首
文字通りの、「故郷に錦を飾る」友人に向けた祝歌。なお、たまたま調べていて明治初期、葦の舎あるじが生まれたころの田島小学校の校長(主席)が手嶋という姓だと知った。もしかしたら、この手嶋君の父君かもしれない。
この2首も、明治28年の歌と同じ歌意を感じる。ただどことなく余裕の気配があるのは、のちに妻となる恋人が傍らにいるからだろうか。
33年 2首
葦の舎あるじの歌を読み解いているおかげで、新しく知る言葉がいろいろある。
「下風(したかぜ)」や、「立ちまじる」の使い方もそうだ。基本的に濁音は記されないので読んだだけではピンとこないのだ。
なお、和歌は国際日本文化研究センター(日文研)のデータベースから語句検索で調べることができる。
おかげで無教養な末裔も、先祖が詠んだ歌の類歌や語句の使い方を知れて、どうにかこうにか、追いかけているのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?