Missing…言葉にできるなら少しはマシ/ある歌人神官がみた明治(12)
会いたくて会いたくて震えていた葦の舎あるじである。つのる想いとは裏腹に、彼に訪れた運命とは。
前回はこちら
まるで織姫・牽牛みたいに逢えない二人だねって ボクは
前回から引き続き、逢いたいのに逢えない恋に、葦の舎あるじの心は乱れていた。
七夕に詠む歌も、あきらかに逢えない自分を仮託している。
明治29年の七夕。葦の舎あるじは帰郷中だったと思われる。おそらく東京にいる我が織姫を思い浮かべ、再会を待ちわびていたことだろう。
だが、9月になって彼が須磨で途中下車して浜辺で小石拾ったり感慨にふけったりした後あたりから様子がおかしくなる。そう、季節は秋。
ことの葉(言葉)の「葉」に、儚さの代名詞「露」を置き、縁語の「消ゆ」「結ぶ」をちりばめる。「萬代」と「露」の対比もいい。
美しい、かなしい歌だ。そうなのか…あれほど恋い焦がれたあの想いは…
消す手立てはないものかと願った言の葉の露は、涙に変わる。
彼女はいう、「人のこころは飛鳥川の淵瀬」
葦の舎あるじの想い人はどんな人だったのだろうか。彼の熱烈な逢いたいアプローチに、『古今和歌集』の歌を引用して別れを告げるなどというのは。
「あすか川ふちは瀬になる云々」とは、この古歌を踏まえた別れの歌だったのだろう。飛鳥川の流れのように人の心は移ろいやすいもの。あなたを愛しく思った心も今は変わってしまった…そんな歌だったのだろうと想像する。
いにしへ人もこの古歌に基づいた恋の歌をさんざん詠んできた。
明治時代の学生さんは、ロマンチックな和歌のやりとりで恋を終わらせてきたのか。令和の恋の終わりは、既読無視とかブロックとかかな。
渕はとにかはりやすかる世の人の こころを知らぬわが身とぞしれ
そんなすぐに心変わりするのが世の常だというなら、まったく世間知らずだったわけだ、俺ときたら
ふちは瀬と いひけむ君が心こそ よの人みなの心なるらめ
昨日の淵が今日瀬になるとかしれっと言う君みたいなのが世の常識で、非常識はこっちってわけだ
葦の舎あるじも、さすがに語調が強い。強い憤りと深い悲しみが伝わってくる。言い忘れてたけど、この相手が「うつしゑの君」ではないと考えられる理由は、この決定的な決別の歌にある。
「うつしゑの君」に写真渡したり一緒に写真撮ったりするのはこの後、明治30年になってからの話だ。…ということは、こんなに絶望しているけど、のちに、まあまあ立ち直るということですね。
恋なんてこの世から消えちゃえなんて思わないなんていわないよ絶対
すったもんだあった明治29年の恋は、次の歌で締めくくられる。
『古今集』や『伊勢物語』にでてくる在原業平の
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
の本歌取りであることは明らかだ。
恋なんてこりごりだ、ロクなもんじゃないと詠っているようだが、これはおそらく、全否定していると文字通りうけとるべきではない。
本当に恋なんて世の中になければいいと思ってたら、こんな歌は詠まないはずだから。
『伊勢物語』では、在原業平の歌に続けて誰かがこんな歌を詠んでいる。
散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき
(なにいってんの、散るからこそ桜はいいんじゃない。この憂き世に変わらないなんてものある?)
散ればこそめでたけれ。葦の舎あるじが、失恋の痛手をそうとらえることができたかどうか。それでも翌年はツーショット撮るような相手もできるし、その翌年は帰郷して「吾妹子(わぎもこ)」に出逢っているし。いや、けっこう、リア充かよ。
次回、葦の舎あるじ恋バナ3部作、ついにファイナル…!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?