『ヒーローショー わたしが躓いたすべてを当事者研究から眺める』-第1章.11

また、私は当時文学の世界にも救いを求めるようになっていました。図書館へ行って、太宰治、芥川龍之介、宮沢賢治などの本を借りて熱心に読みました。特に気に入ったのは、「人間失格」でした。波乱万丈で転がるようにして堕落していく主人公・葉蔵の人生を、どちらかと言えば長編というよりかは“中編”といったページ数に、うまくまとめられているという、純文学の素晴らしさや、太宰治独特の言葉のチョイスやリ ズム感に、当時感銘を受けました。また、自分の“駄目さ加減”と重な り合わせることで、すうっ、と気持ちが楽になる思いでした。普通の、 明るく健康的な人ならば、
「あんな暗い物語を誰が好んで読むのだろう」
と思うかもしれない。けれどその“暗さ”が、当時の私の心のトーンに割りに近しいもので、不思議な親近感や、安心感さえあったのです。作品最後の、
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、…神様みたいないい子でした」
という台詞の部分を初めて読んだ時、 胸の奥からなにか熱いものがこみ上げてきて、嗚咽して泣いてしまったのを覚えています。どんな“駄目人間”にも、どんな人生にも、必ず誰か一人、認めて許してくれる人が、ほんとうに居るものだろうか…いや、きっとそうだろうな、と微かな希望のようなものを感じました。また、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」 「よだかの星」なども当時の私の心に深く響きました。よだかのような勇気が、私も欲しかった。
その後、地元の小さな書店で、気に入った作品の文庫を買いました。その時、たまたま文庫コーナーで目にとまった村上春樹の「海辺のカフカ」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」の三作品も同じく購入しました。村上春樹自体は、高校の国語の教科書に教材として掲載されていたエッセイをきっかけに知ることになりましたが、当時まだ小説作品は読んでいなかったので、読もう と思ったのです。なにせ引きこもりの私には時間はたっぷりとあったし、なにより、教科書に載っていたエッセイが、とても素晴らしかったから。確か、「たった一日でがらりと変わってしまうこともある」といった主旨の文章だったと思います。 私はそのエッセイの文章が好きだったし、「海辺のカフカ」のあらすじを読むと、主人公が自分と同年代の設定だったのもあり、迷わず手に取ったのを覚えています。家で実際に読んでみたのは、私が自殺未遂をした後のことでした。
「海辺のカフカ」にも「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーラ ンド」にも、それぞれ当時の私に突き刺さるようなメッセージ性があり 、読み終えた時、心が救われた心地だった。ああ、死ななくても良かったんだと、生きてこれらの作品を読んで感じました。もしも、村上春樹さんご本人にお会いすることが出来たなら、
「あなたの作品たちに命も心も励まされ、救われました。ありがとうございます。」
と言いたいです。そして同時に、「ねじまき鳥クロニクル」だけは未だに読み終えていないこともお詫びしたい。後々私は所謂“ハルキスト” 的になり、村上春樹作品を片っ端から集めていくのだけれど、未だに読めていない作品があって情けない気持ちがする。いや、別に構わないのだろうけれど、何故だか村上春樹作品は全部コンプリートして読破しなければ、というような気持ちが今でもあるのです。なので私は「読書家」ではなく、好きな作家さんの作品ばかり読む偏った趣味の人間なのだろうと思います。

そんな当時の私に初めて心療内科への通院を勧めてくれたのは、ミヤでした。彼自身も心療内科へ通院していたことから、
「気になるなら一度、専門的な人に相談するべきだと思うよ。」
と助言してくれた。けれど私は当時、家族にも友人にも自分のことをま ったく打ち明けられずにいたから、親に
「心療内科へ行きたい」
なんて言えなかったのです。リビングでテレビのニュースを見ながら、
「なにか悪い犯罪をする奴って精神病者ばっかりね」
と母がぼやいているのを聞いた後では、とても言い出せなかった。家族の誰も、精神疾患や心の悩みに知識や理解のある人がいなかった。ああ、家族の誰も私の心の傍にいないんだ、と絶望のような孤独のような、ほの暗い感情を抱いていました。
そんな時、今度はミヤは、「もっと視野を外の世界に向けたほうがいいよ」と言って、そのきっかけに出来るようにと、当時はまだ招待制だった「mixi」に、ミヤが招待してくれました。「mixi」は当時流行していたSNSで、たくさんの人達がプロフィールを掲げ、コミュニティに集まり、掲示板で交流をしていました。私はそれを見て、一瞬戸惑いました。こんな、”普通の人”が集まる場所で―私のようにうつ病だったりミヤのようにセクシャルマイノリティな人達も居たはずではあるけれど―果たして私と仲良くしてくれる誰かが見つかるのだろうか?居場所は、あるのだろうか?と。けれどミヤが、コミュニティでの交流のひとつに”オフ会”があることを教えてくれたので、試しにASIAN KUNG-FU GENERATIONのコミュニティに参加して、友人募集と、オフ会の参加をしてみることにしたのです。すると、好きな音楽がだいたい同じような女の子(以下Kちゃん)が声をかけてくれて、マイミクになってくれました。そして、Kちゃんとは当時同じ県内に住んでいたので、県内のカラオケオフ会に、一緒に参加することになりました。
オフ会は、数名でカラオケに行き、その後夕食をみんなで食べに行くというものだった。待ち合わせの場所へ向かうのにはとても緊張して、まず洋服は何を着ていこうかとか、カバンは何が良いかとか、当日、気が気じゃなかったです。家を出た時から、心臓がバクバクだったし、胃も痛んだりしたけれど、同い年のKちゃんが仲良く接してくれたことで、なんだかとても安心してオフ会を楽しめたのでした。Kちゃんと遊びに出かけたい一心で、ミヤの勧めもあり、外の世界へ出て、アルバイトをして働くことを決心しました。このあたりから、何故かミヤとは疎遠になってしまい、縁が切れてしまいました。今も元気にしているんだろうか?と心配ではありますが、彼なら、きっと何処かで立派に生きてるだろうと思います。ミヤが導いてくれなければ、今の私は居なかった、と本気で思います。外に視野を向けられるようになったのも、アルバイトして働こうと思えたのも、ミヤがそこまで導いてくれたから。本当にありがとう、ミヤ。

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