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【雑記】ついに手を染める

Kindleに手を出す覚悟を決めた。


ステイホームに伴い、読書する時間が増えた。

ひと月前に断捨離を決行し、こざっぱりした本棚を眺めて思う。

「読みたい本は数多あるが、場所を取られるのは嫌だ」

いよいよ電子書籍を本格導入する時が来たのだろうか?

自問自答を繰り返し、いくつかの夜を過ごした。



そもそも私は〇年前、電子書籍の発行元で働いていた。 

当時の電子書籍界はまさに黎明期で、一年経つ毎に売上が10倍になるような、そんな上り調子のベンチャー業界だった。 

しかし、働いている当の本人はというと、紙の書籍の方が好きであった。

 Amazonや楽天のような書籍の通販と、果たして10年後どちらが生き残っているだろうか、などと 時代の変遷を眺めつつ、相変わらず街の本屋さんに足を運ぶことを続けていた。 

iPadが支給される部署で、あまのじゃく過ぎたので誰にも言えなかった。(もう時効なので許してください)

その頃の私は、紙と電子で棲み分けが進むと考えていた。 

そしてそれは半分は当たっており、半分は外れていた。

棲み分けとは何かというと、高額な専門書や、在庫が場所を取る図鑑・分厚い写真集、長編の古 文書など「長期保存が望まれるもの」「場所を取るもの」は電子化が進むと考えていた。

海外の論文や雑誌は、電子化によりボーダレスになりメリットが多くなるはずだと考えていた。

ところが、最も売れたのは消費の速いコミックであった。

その中でも特にアダルト・オカルト物がよく売れた。 

対面で購入するのは恥ずかしく、捨てるのもカモフラージュが必要だからだと考える。

前者の専門書とは真逆のベクトルの「週刊」「月間」コミックがとにかく売れる傾向にあった。

その後、徐々に文芸と呼ばれる一般書(小説、ノンフィクション)が緩やかに伸びてきた。

今回私が手を出そうとしているのはこのジャンルである。 

周回遅れどころではない大遅刻だが許して欲しい。(謝ってばかりだ)


そのような渦中にありながら、紙の書籍に拠点を置いていた私は、なんとも腰が重く、今思い返すとアンティーク思考だったのかもしれない。

レコードや、コーヒーミルを所有したい気持ちと同じように、手に取って持ち歩けるお気に入りの 本が、私には必要だったのだと思う。

紙の書籍はもはや、お守りや御朱印、手書きの手紙のように、リアルな物体に価値を見出す人が手に取る『特別なもの』に変わりつつあるのかもしれない。 

もうすでに、黒電話や丸いポストのような扱いの世界も存在しうると感じている。

しかし私は大人になった。(当時から大人だったが) 

「情報・知識の蓄積のために読書をするのであれば、電子書籍で事足りる」という価値観も受け入れられるようになった今、あとは試してみるのみである。


閑話休題。

本格導入はしていないものの、私にも電子書籍を利用する機会はある。 

雑誌がその筆頭である。

多くに目を通したいが、すべて定期購読するのは保管場所と金銭的に障害が多い。

まさに、件の価値観の最たるものが、雑誌の電子書籍であると考える。

しかしながら、一冊の雑誌を作り上げるのに掛かるコストを考えると、雑誌読み放題サービスの月額料金では製作側は絶望的に割りに合わない。

 雑誌は今後ニュースサイトのような位置取りになっていくのだろうか? 

新聞はすでにニュースサイトを同列になっている。

読み物としての雑誌はどのように進化していくのだろうか。

好きな小説を電子書籍で読む姿を想像する。

自分が読むだけなら、電子書籍で十分だろう。

しかし、本屋さんで作品を手に取って、パラパラとページをめくりながら「これを読もう」と決めてレジに持っていく出会いの瞬間は、おそらく電子書籍のサイトでは手に入らないと予想する。 

それは、動画配信の黒船が世界に名乗りを上げたとき、多くの人が手放した「レンタルビデオ屋さ んを物色し未知の作品に出会うチャンス」と同じくらい、大切なものかもしれない。 

私はふらふらと、夏の虫のように便利さに引き寄せられ、そのような一期一会を切り捨て生きていくのだろうか?
果たしてそれで満足できるだろうか? 

期待と不安が頭をよぎる。

誰かに勧めたい小説があるとき、kindleやタブレットの画面を見せてもあまり印象に残らない。

 私もそのように他者に勧められたことがあるが、パラパラと画面上のページを読んでみた所で購買意欲にはつながらなかった。

 しかし、物体として紙の書籍を目の前に置かれ、その好奇心の扉を空けるとき、おそらくほぼ同時に私はネット通販の書籍購入ボタンを押しているだろう。 

手にもって読む、というのは五感に伝わるため、行動決定に影響しやすいと考える。

本屋さんで物色して買う確率が高い事からも、やはりそういうものなのだろうと納得する。

ただ、そのあたりの合理性では切り捨てられない感覚は、今後コロナ感染症の影響で減少する可能性が高い。
他者の本に直接触れる機会が、短期的には確実に減っている。

最悪の場合、本屋さんでパラパラとページを開くことが将来的に不可能になることも考えられる。 

その時、紙の書籍が持つ貴重な「動機を与える」役割は、何か別のものに置き換わるか、そうでなければ一切消滅するかの道を歩むだろう。

その前に、まずはコロナに人類が打ち勝つことを祈ろう。


当面の自分への妥協案は、


・読みたい本は電子で買う。 

・持ちたい本は紙で買う。


の二刀流を許すこととする。


 以上

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