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反撥

Repulsion (1965)

 ロマン・ポランスキー監督、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のサイコスリラー映画。古典ですねえ。妄想シーンに恐怖演出があるので、ホラーにカテゴライズされることも。ドヌーヴは「シェルブールの雨傘」の翌年にこれですから、世間的になかなか驚かれたのではないでしょうか。77歳にして現役バリバリの彼女、さすが若い頃からチャレンジ精神が旺盛ですね。

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 repulsionには邦題通りの反撥/反発のほか、嫌悪の意味もあります。また日本語の反撥/反発にも物理的な反発作用のほか、感情的な反感の意味もあります。主人公キャロルは男性嫌悪を示しており、姉ヘレン(「ミイラの幽霊」「甘い生活」のイヴォンヌ・フルノー )の不倫相手マイケル(イアン・ヘンドリー)を嫌い、恐れています。キャロルにはボーイフレンドのコリン(ジョン・フレイザー)がいるのですが、2人は最初からまるで嚙み合っていません。恋人同士と言うよりは、コリンが一方的に熱を上げているだけに見えます。

 姉妹はイギリスに暮らしていますが、出身はフランスです。(マイケルがキャロルに「Comment ça va?」と挨拶します) 異国で姉と同居する情緒不安定な妹にとってマイケルはまったくの異分子、もっと言えば姉妹の関係の破壊者であるのに、ヘレンはお構いなしにマイケルをアパートに連れ込んで夜ごと情事に及びます。深まるマイケルへの嫌悪、ヘレンへの反撥が描かれますが、姉の喘ぐ声は、本当はキャロルの妄想であるかもしれないと今回は感じました。キャロルの男性/セックス嫌悪は、実は性的な欲求の裏返し、反作用なのかもしれません。ヘレンとマイケルがイタリアへ旅行に出かけて1人になると、キャロルの狂気は加速します。

 キャロルは妄想の中で、壁から生えた無数の男の手に捉えられたり、ベッドルームに侵入してきた労働者(マイク・プラット)に何度もレイプされます。現実にはそんなことは起こっていないのですが、キャロルの頭の中はそのことでいっぱいいっぱい、妄想と現実の区別がつかなくなります。この妄想は、男性/セックス嫌悪のこじれともとれるし、逆に性的欲求のこじれともとれます。自身に性的欲求があることを認めたくないがため、キャロルは2件の殺人を(反作用的に)犯したとは考えられないでしょうか。壁の手や労働者に攻撃を加えないのは、それらが妄想の中の彼女を真に満たしているからであって。

 劇中で明言されませんが、ラストではキャロルが狂気に走った理由が見えてきます。ベルギーで撮ったという家族写真の中の彼女は、姉と母と思われる人物から目を背け、父と思しき人物をひどく睨みつけています。多くの人は、自己のリビドーと健全に向き合うことで自我がそれを防衛すると思うのですが、そのメカニズムを不全にした経験がここで示されていると感じました。またヘレンとマイケルがイタリアから送った、にょっきりとおっ立ったピサの斜塔の絵葉書がくしゃくしゃにされているのも、何だか象徴的。

 ……といった具合に深読みしてしまうのも、70年代後半にポランスキー監督の少女趣味が次々と暴露されたからなんですよね。それを念頭に置くと、キャロルのキャラクターもかなり幼く作り込まれているように思えますし、ドヌーヴの演技とモノクロの撮影も相まって異様な美意識を生んでもいます。ポランスキーが真に少女に対して性的に倒錯しているのかは断言できないですが、もしそうだったとしても、それを映画作品に投影することで作品の質を深めているのなら、力量のうちと言えるのかもしれません。ただし! ただし! 政治・経済のために泣く人が出てはならないのと同じく、文化芸術のために誰かが踏みにじられるようなことを認めてはならない、と私は思います。

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