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ある戦争

Kriegen / A War (2015)

 デンマーク制作の戦争ドラマ映画。アフガニスタンに派遣中、タリバンに急襲された部隊の隊長(ピルウ・アスベック)が要請した空爆によって市民が死に、その責任を問われて裁判にかけられるお話。近年のデンマーク映画だと、私は本作と同年の「ヒトラーの忘れもの」がとても印象に残っていますねえ。本作はそれほど牧歌的ではなく、かと言って激しく判りやすい演出があるでもなく、リアリティをもって「さて、皆さんはどう考えますか?」と静かに問いかけてくる、穏やかだけどとても重い映画です。

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 見る側は、どうしても隊長に対して同情的な視点を持ってしまいがちだと思います。私が同じ立場だったら、むしろ彼のように決断できたかどうかさえ怪しい。頼ってきた地元民に同情して基地内に留め置き、みすみすスパイ行為をさせちゃうかもしれない。攻撃されても敵が確認できないから、保身のためにみすみす部下を死なせちゃうかもしれない。どうするのが一番正しくて、そのために何が必要で、どう責任を取らなきゃいけないかも判らないから、隊長は瀕死の部下と混乱する部隊、そして自分とおそらく自分の家族を守るために最良と信じる決断をくだします。

 決断をくだしたのが神であれば、それが誰を幸福にして誰を不幸にしようが常に最良の判断であり、神がその責任を負うことは一切ない訳です。だって神様だもん。しかし隊長はただの人間ですから、人道という別な価値観によって起訴され、本国で裁判にかけられます。ちなみにあちこちの本作の紹介記事で「軍事裁判」「軍事法廷」と書かれていますが、デンマークは1919年に軍事裁判所を含む特別裁判所を廃止しています。裁判官も法務官も弁護人も軍人に見えませんし、隊長も私服で出廷してますもんね。

 後半のこの裁判、個人的には茶番だと思っています。友人で同僚のビスマ(ダール・サリム)が「それは難しい質問です。私はその場にいなかったのだから」と法廷で答えるように、軍人でもなく、いわんやその場の戦闘にも参加していなかった人たちが、どんな価値観で何を裁けるというのか。なので、この茶番は通信兵の「偽証」で簡単に決着がついてしまいます。なぜ彼は偽証したのか。私の考えですが、隊長が有罪となってしまうと、アフガンに派遣されたすべてのデンマーク兵(戦死者を含む)の尊厳が揺らぎかねないからです。このあたり、宮部みゆきさんの長編「ソロモンの偽証」に一脈通じているかもしれません。

 しかしいっぽう、近代国家である以上、行為に対し国際人道法で裁かれることも否定されるべきではないでしょう。映画は隊長を訴追する法務官(カイサ・ダニング)を悪者っぽく扱っている気がしますが、彼女は彼女で守るべき正義があって、その立場に忠実にならざるを得ない人物なのであって、責めたくても責めきれるものではありません。真に茶番なのは、部隊の安全を最優先する人道的価値観と、国際人道法の何たるかも知らないであろう市民の安全を最優先する人道的価値観を同じ秤に乗せることであり、またそのようにせざるを得ない国家のメカニズム、ひいてはその国家が紛争地域へ自国の兵を派遣することそのものなのかもしれません。

 なので、裁判所は判断をくだしはしますが、その理由については劇中で明らかにしません。映画としては何の意味もないからでしょう。その後隊長は、寝かしつけた息子の掛布団からはみ出た素足に慄然とし、深刻な表情で煙草をふかし映画が終わります。彼を真に裁けるのは経緯を知っている観客と彼自身、ということなのでしょうが……正直、私は彼の行為を裁けません。彼の行為を計ることのできる物差しが自分の中には複数あるけれども、それらをいつ、何に、どのように当てるかは、完全に私の都合に委ねられているからです。では、誰なら・何なら彼を正しく裁けるのか? 人が人を裁くというのはどういうことなのか?

 皆さんはどう考えますか?

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