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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア

The Killing of a Sacred Deer (2017)
映画『聖なる鹿殺し』公式サイト

 ヨルゴス・ランティモス監督のサイコスリラー映画。出演はコリン・ファレル(「ロブスター」)、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン(「ダンケルク」)。

 劇中でも少し触れられるギリシャ悲劇「アウリスのイピゲネイア」が元ネタとも、脚本を書いているうちに類似点がみられるようになったとも言われます。いずれにせよ『呪い』にかかった心臓外科医(ファレル)が家族を『生贄』にすることを求められ苦悩するお話です。「籠の中の乙女」「ロブスター」よりもずっと現実的なストーリーで、よりシリアスで深刻な内容です。あと、へんてこダンスもありません。

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 例によって難解と言うよりも、いろんな解釈が可能な、知性を刺激する系の映画です。コーガン曰く「聞いても答えてくれないだろうから何も聞かない。監督も意味わかって撮ってないと思う」だそうで。(笑) ランティモス作品のいいところは、ストーリーが突拍子もないけどシンプルで、どんな解釈を施しても大きく破綻しないところかなあと。つまり、自分が一番「こうだといいな、面白いな」と思う解釈をして構わないからです。もちろんランティモス監督は正解を持っているのでしょうが、はっきり言ってそんなの知らん。(笑) 正当な権利のもとで視聴した作品である以上、それをどのように解釈して自分の体験とするかは観客の勝手であって、しかもその解釈は見る度に180度でも270度でも違って構わない。作家の意図をくみ取る努力はもちろんしますが、テストの答え合わせじゃないんだから、作家が望む解釈をする気はない。もしその解釈が間違っているのなら、間違わせるほうが悪い。(笑) 映画に限らず、「この表現は、こういうことを示しているんですか?」と聞かれて否定する作家がたまにいますけど、事実誤認レベルならともかく、少しかっこ悪いんじゃない? と個人的には思ったりしますね。

 少年(コーガン)が仕掛けた現実的な罠を、外科医が『呪い』と信じているという解釈もあるようなんですが、私はそれはさすがに生臭すぎて面白くないなと思います。全身麻酔だの指吸いだの手コキだの、もう十分に生臭いですから。とは言え、『呪い』が本当に超常的な呪いなのかはやっぱりわかりません。少年が言ってるだけのことが、現実の子供たちの症状にたまたま符合しているだけなのかもしれないし、そもそもどうでもいいことのように思っています。ただ、演出自体は超常的な呪いのように施されていて、中盤以降はスリラー/サスペンスと言うよりもオカルトホラーみたいな雰囲気が濃厚になっていきます。ズームイン/ズームアウトやトラッキングを多用するカメラと、無音からいきなり「どろろろろぉーん」とティンパニが入ってくる不穏なBGMはキューブリック、もっと言えば「シャイニング」っぽいですね。

 『生贄』を決めきれなくてファミリーロシアンルーレット(?)になるのは、わかりづらいけど、おそらくギャグなんだと思っています。ギリシャ悲劇がベースであれば、1つだけ毒杯(両親とも医者だし)を混ぜた飲み物をあおるのが相応しいんですが、そうしないところが面白いし、胸糞が悪い。同時に可笑しいし、哀しい。目隠しとして袋(枕カバー?)を被せるのは、ミヒャエル・ハネケの「ファニーゲーム」ですかね。ハネケからの影響をさんざん言われているので、むしろわざとやってるんでしょう。光と闇を決定的に分離したラストシーンは、『呪い』からの解放を示していると思いますが、ここに限らず微妙な宗教臭がありますね。本作に限っては、イングマール・ベルイマンっぽいんじゃないかと改めて見て思いました。少年を拉致して痛めつけても何も変わらない、という状況もなんかベルイマンっぽい。

 カンヌでは脚本賞をとった作品ですが、個人的には脚本よりも撮影と音楽が素晴らしいと思います。一番印象的なのは、娘(ラフィー・キャシディ)に『呪い』が発動する合唱のシーン。やっぱりここが一番好きですねえ。

 本作、登場人物の多くがなぜか喫煙者です。主人公とその妻(キッドマン)、友人の麻酔医、未成年の少年と娘。ベイパーとか電子タバコじゃないですよ、紙巻。最近私が見た映画も、喫煙シーンがすごく多いんですけど、「あれ、ポリコレどうなった?」という感じですね。日本だけですか? ギャーギャーうるせえの。

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