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ファーザー

The Farther (2020)
映画『ファーザー』オフィシャルサイト

 アンソニー・ホプキンス卿が、自身2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した、英仏合作のドラマ映画。仏人小説家・劇作家のフローリアン・ゼレールによる初監督作品で、自身の戯曲「Le Père 父」の映画化です。ゼレール監督って、まだ41歳なんですね。びっくり。共演はヨルゴス・ランティモス監督の「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞主演女優を受賞したオリヴィア・コールマン、「プーと大人になった僕」のマーク・ゲイティス、「変態島」のルーファス・シーウェル、「ビバリウム」のイモージェン・プーツ、「ゴーストライター」のオリヴィア・ウィリアムズ。全員イギリス人ですね。細かいことを言えばホプキンスはウェールズ出身、他はイングランド。

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 プーツ目当てで公開初日に劇場で見ました。(結果的に大した役どころじゃなかったのですが) 認知症を患った父(ホプキンス)と、献身的に介護する娘(コールマン)とのハートフルな物語だと思いきや……同居家族に認知症の気のある者がおり、自身も人生の折り返し地点をとっくに超えた身からすれば、本作は完全なホラー/スリラー/サスペンスでした。希望のなさにげんなり・どんよりするんじゃないですよ、純粋に怖ろしかった。カメラは随所で明らかにホラー映画的でしたね。

 ほとんどの描写が父の主観であるため、時系列が飛躍や欠落、反復、入れ替わりを起こしており、どれが現実でどれが妄想なのかは明示されません。普通だとイラッとくるところなのですが、何せ父は認知症なので、あ~本人視点だとこういう感じなんだな、と素直に受け入れることができます。窓の外は明るいのに夕食の時間で、メニューは決まってチキンだし、そのうち人物すら入れ替わっちゃうんですから。最初は「?」程度だった違和感がだんだん「???」となり、次第に「?!??!!?」となっていく。

 その違和感・不安・恐怖を父はもちろん、彼の主観で物語を見せられている観客も等価で抱くことになるし、同じようにどうすることもできません。もどかしい思いにイライラさせられるのも最初のうちだけで、諦めから受け入れざるを得なくなり、閉塞感が希薄な代わりに緩慢な恐怖になぶられ続けることになる。

 言うなれば、この父は最後には娘に見捨てられたのだと思います。もちろん娘には娘の人生があるし、彼女自身の葛藤の深さも描かれているので責めることはできませんが、形的には見捨てられています。そこに至って父は、自分が何者かさえわからなくなってしまう。

 思うに、老いとは喪失なんだと思います。「葉がすべて落ちてしまうようだ」という父の台詞もありましたが、仕事=社会参加を封じられ、身体は無残に衰え、思考は鈍り、記憶をトレースできなくなり、ともに過ごした家族はどんどん離れていく。「一人でも大丈夫だ」と言ってるうちはまだしもなのですが、最後に残った自分自身を見失うに至った時、私はそこに死よりもずっと怖ろしいものを感じました。

 ゼレール監督が尊厳死を主張しているかどうかまではわかりませんが、私がこの先本作の父のように老いて、自分を見失うことが避けられないのであれば、そうなる前に静かに死なせてほしいと強く思います。自分自身をコントロールできないのに生物として生きなければならないのは、とてもじゃないが耐えられません。

 ラスト、ロンドンの陽気のなかでざわめく木々のショットは、冥界から父に向けて伸ばされた無数の死者の手のように私には思えました。そう考えるとホラー的な演出ではあるのですが、自分自身を失ってもなお生きなければならない地獄からの救いの手でもあるのかもしれません。悲しさや不安を恐怖へ昇華する情け容赦のなさが支配的な本作において、唯一希望を感じさせるのがこのラストシーンだったのではないかな、と感じました。

 以前書いたイモージェン・プーツのフィルモグラフィ。私の大好きな女優さんです。よろしければお読みください。


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