見出し画像



詩は「ひらめき」
言葉は大切。どこからきているのか? 私にとって言葉は自然と聞こえてくるものであって、そうしようという気持ちや思考はない。アートもそうで、アートの場合は技術的な部分や道具の使い方といったいくつのかルールがあって、アート作品が仕上がっていく。それとは別に「言葉、詩」に関しては、アートとは別のもの。こうして文書を書いている言葉の連なりにしても、聞こえてくるものをそのまま書き綴っているだけ。それは普通だと思っていたけど、実はそうではないのではないか? 周りの人たちにも時々話すことがあって「聞こえてくる言葉をそのまま書く?」と?????といった反応になるのがほとんだです。実際にそうではない? そうなのか? 私と同じタイプの人は、世界のどこかにいるのではないのかと思う。本を読むときにだって、読み上げていくと自動的に声に変換されて脳に聞こえて来るという人もいるし、そうでない人もいるといわれている。私は前者の声が聞こえてくる側の人間だ。聞こえてくる声や感覚が、私に言葉を与えてくれている。だから、周りの人からは変な日本語を使う人、と認識されることもある。実際に私が使っている言葉は日本語であって、日本語ではないのかもしれない。五感を通して感じたまま、言葉に変換されて、声になって、私の指先は再び言葉に帰還する。難しい言い回しや変な表現、時代錯誤な言葉の使い方があっても許してほしい。


ナビゲーションFUJIのおすすめポイント!
猫はネクタイをしているのに女性の服を持っています。猫の性別はわかりません。ネクタイ、ワンピース関係なしに、良いと思ったものを手にとっているのかもしれませんね。


ATOLの作品


ATOLについて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?