同居人と私のいる社会が違ったという話


このニュースを読んで思ったことがある。

今や文献や残った物からしか手掛かりがつかめない、滅んでしまった文化の貴重な手掛かりが見つかったというニュース。

戦争によって住んでいる国が脅かされている状況が、世界にあふれている。
勢力を失えば、文化も失うのだと。
自分の国籍と同じ国がちゃんと国際社会に認められて存在している。
とてもありがたい。
それを声をあげて、より良いほうへと導いてきた、守ってきた先人たちに感謝の念がこみ上げる。
ここまで思って「あれ」と思った。

両親が外人だけど国が違うというハーフの同居人がいる。
いつも自分のアイデンティティで苦しんでいた。
どこの国の人間ではないと。

職場の上司は、その人を日本語が堪能でほぼ日本人じゃんという。
上司は、その人の両親が外人だけど、日本生まれという生い立ちをしていてそれを言っている。
それって、結構きついことなのでは。

容姿は日本の方ではないなと分かる容姿をしている。
その人を知らない人は、どこの国のヒトですか。
日本語上手だね。
日本人より日本人らしいね。
最初は、褒められてるじゃんと思った。
でも日本に住んでいる間、その人の人生にずっとその言葉がつきまとう。
その人は、生まれてから日本にずっと住んでいて、同じように税金払って、同じように社会にいて暮らしているのに、初対面の人にほぼ同じことを言われ続けるなんて呪いじゃないか。

日本人より日本人らしく、少しでも外れれば外国人としてみられる。
でも、その人の中で外国人といっても父、母どっちの国で言っているのという感じなんだろう。
両親のどっちの国の文化にもどっぷりつかってきたわけでもない、日本で暮らしているけど、日本人が気づかないうちに関わっている普通のコミュニティーにも入りずらい。
だってほら、日本の社交ってなんか独特だと思うし。
その人の両親が、周囲の親に、入学式に何を着ていけばいいのって聞いたら、普通の服でいいんだよって言われて、普段着を着ていったら、みんなちゃんとした格好してるみたいな。
その人も普段着で浮いてるみたいな。

家に帰れば、両親のそれぞれの文化が折衷して漂っているのだろう。
そんな感じで、その人の中で3つの文化が中途半端にごちゃまぜになって、アイデンティティを作り上げようとしている。
どこに行っても常識が違うみたいな感じだろうか。
子どものうちからそんな世界なのだ。

日本で日本人として生きてきて、その人のような苦しみは、抱えたことはなかった。
だって、最初の取り上げたニュースの本代ではない部分の数行を読んで「先人達に感謝」という気持ちが、自然にそう思ってしまった。
それは自分の国と国籍が同一で、その歴史も一緒に背負って、ルーツがあって、それを疑問に思う事もなく自然に受け入れてしまっていたのだから。

だけど今はその人の悩みを知っている。
もっと心のうちは複雑なのだろうけど、そういう心持であったという事を知ったのだ。
何かできることはないんだろうか。
その人は、私の同居人。
助けるとか上から目線じゃなくて、番身近な隣人と一緒にすこしでも生きやすい社会にしていくために。

あと、マジョリティーの特権というの話も関わってくるんだろうなぁ。
乱文蛇足、失礼。


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