見出し画像

【子どもアドボカシー1】 子どもの意見を大切にするって、 具体的にどうやるの?

「どうしたいのか、言ってごらん」と促して
自分の思いを的確に言い表せる子どもなんて、
ほとんどいないのではないでしょうか。

2021年の11月、児童養護施設の和白青松園で行われた
子どもアドボカシー講座に、わたくし行ってきました。
アドボカシーとは、擁護・代弁という意味で
自分の意志をうまく伝えられない人をサポートし、
その人が本来もつ権利(人権など)を守る行為です。

講師は、子どもNPOセンター福岡の代表理事をはじめ
多くの団体の理事や委員を務めておられる重永侑紀さん。
福岡で子どもの社会福祉といえば重永さんと言ってもよいくらいの方で
そのお話は、大変分かりやすく、実践的でもありました。

聴講したお話は、多くの方にとってもヒントとなりそうな内容だったので
私なりの学びや気づきを、3回にわけてご紹介します。

和白青松園での講座のようす


「自由に話していい」と言われて、あなたは話せますか?

大人だって心当たりがあると思うのですが
「自由に何でも話していいですよ」と促され
「さあ、さあ、どうぞ!」と相手に目を輝かされても
心の奥にしまいこまれた思いを表出することなんてできませんよね。

子どもなら、なおさらです。
もやもやとしてカタチのない思いを言語化するって、けっこう難しいもの。
しかも、大人 対 子どもでは、どうしても力関係が生じてしまい
子どもは言いたいことが言えません。
どんなに優しく接しても、子どもにとって、やはり大人は強者なんです。

そんなときこそ、アドボカシーの手順を踏む必要がでてきます。
アドボカシーとは、その人が当たり前に意見を言えるように
しくみを整えていくこと。

相手が幼い子どもなら、横に寄りそってお話を聞く。
子どもが口をつぐんでモジモジしていたら
たとえ話を交えたり、ときには人形を使ったりして
少しずつ心の声が出せるようにしてみる、などです。

また、これは学校や福祉施設などの場に限られるかもしませんが
大人1人に対して子ども2~3人にするなど
大人による力の行使が弱まるような工夫も大切だそうです。

子どもの権利を重んじたら、
言うことを聞かない子になるの?

現在は、まだ多くの大人が
「子どもに権利なんて、まだ早い。」
「意見を聞いてばかりいたら、子どもが言うことを聞かなくなる。」
「私が子どもの頃は、何も守られていなかったし、
 それでもちゃんとやっていけた。今の子どもは贅沢だ。」
と考えていたりします。

でも、このように大人が思ってしまうのは
大人自身が自分の人権の大切さを理解できていないことが
原因なのだそう。

私たち大人が、かつて子どもだった頃、
学校では、しっかりと「人権」「権利」について学習しています。
しかし、その内容は主に
著しく人権侵害を受けた人々についての勉強でした。
つまり「私にも権利があり、それを行使できる」とは学んでおらず
自分を守る思考法や具体的な対応策を身につけていないんですね。

「権利」は英語で表記すると“Right”。
車でバックするときに言う“All right”と同じで
「それでいいよ」という意味です。
この「それでいいよ」という精神は、全ての人に必要なもの。
大人だって、毎日「キミは、こういう点が良くない」と言われ
ことあるごとに「ダメだ」と言われ続けたら
生きているのがつらくなりますよね?
時には「キミは、キミのままでいい」と言ってもらいたい。
その感覚は、子どもだって同じです。

そして、この権利は
「Aさんには権利があるけど、Bさんには権利がない」
といった差別があってはいけないんですよね。
欠点があるから、貧しいから、
外国人だから、障害があるから、LGBTQだからなど
「〇〇〇〇〇だから」という理由で
その子の生きる権利を軽んじたり奪ったりしてはいけないんです。

日本では「みんなちがって、みんないい」という
金子みすゞの言葉が何かと多用されますが
残念ながら子どもに対しては、そういう対応をしていない気がします。
私自身も、一人の大人としてこの状況を見つめなおしてみると
ああ、いけないな…と思います。
子どもが意志を表明し、自らの人権を守ること、
そして子どもの「生きる」という思いを
周りの大人がサポートすることは、当然のことなんだと気づかされます。

   *     *     *

子どもアドボカシ―講座のお話は、
第2回
「子どもの話に耳を傾けないと
 無気力・暴力・いじめ・自殺につながりかねない」
第3回
「子どもが話したいときの
 サインの読み取りかたと対応方法」
という内容で、ぼちぼち続けていきます。