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史跡・遺跡、神社仏閣巡り

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先祖に関連する史跡・遺跡や神社仏閣を巡る記事をまとめたマガジンです。 更新頻度は1-2回/月程度。 主に愛知県の西三河が多くなります。 歴史や歴史的建造物がお好きな方に。
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#寺院

【史跡・神社仏閣巡り】寺部城祉周辺を歩く(後編)ー愛知県豊田市ー

はじめに寺部城祉周辺の史跡・神社仏閣散策の後編になる。 1回でまとめてしまうこともできたのだが、どうしても今回触れる仏閣とのかかわりは別に記したかったからだ。 それでは、散策の続きを辿っていく。 今回の旅路後編で触れる史跡、仏閣を以下のとおりにお示しする。 ※常夜灯などは正確な位置が判らず明記を避ける。守綱寺から随應院までの道中にあったのは確かだが…… 旅を続ける常夜灯と祠 善行寺参りの出発点 上記の常夜灯も善行寺参りに関連があるのかーー。 「あすけ」は三河鈴木

【史跡・神社仏閣巡り】寺部城祉周辺を歩く(前編)ー愛知県豊田市ー

はじめに以前より「先ずは寺部(愛知県豊田市寺部町)に訪れなければ……」と思っていた。 ※家康公初陣「寺部城の戦」は資料が少ないため、私ども一族と寺部鈴木氏と関連があるか否かは断言は出来かねる しかし、特に岡崎市外に赴き、現地の博物館の学芸員の方々と立ち話をした機会が数回あり、その際に「寺部(鈴木氏)か?」と聞かれることがしばしばあった。 家系図が正しければ、室町時代に寺部城主だった先祖もいる。加えて、竹村城主だった方もいる。猿投神社の神職になった方もいる。 「絶対に寺部

【仏閣巡り】家康公が創建した、浄土宗・随念寺(愛知県岡崎市)

はじめに昨年に東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた。 それをとある御仁と話していた際に、「随念寺には行ったか?」と聞かれた。 別の知人からは「随念寺は特にオススメする」とも聞いた。 岡崎城下二十七曲りを歩いた際には私の知識が足りず失念したが、先日、家康公とも縁が深い寺院に参拝してきた。 随念寺宗派は浄土宗。 正式名称は『佛現山善徳院 随念寺』。 概要は以下のとおりだ。 東海道から150m強ほど北に位置する。 東海道・岡崎城下二十七曲りを歩いた際の記事が以下のとおりだ

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑭(完)八帖町~矢作町 寄り道~勝蓮寺、矢作神社

はじめに2023年11月に歩き始め、12月中旬には完走していた「東海道・岡崎城下二十七曲り」。 今回の記事でようやく二十七曲りの記事もようやく完走できる。 昨年(2023年)中に完走予定だったが凡そ3か月遅れ。 それでもこれをもって完走できる。 もう一記事。東海道・岡崎城下二十七曲りの旅にお付き合いをいただければ幸いだ。 今回の旅の概要前回までの旅路は以下の記事を参照いただけると幸いだ。 今回の旅を以下のとおりにお示しする。 <旧東海道位置関係(仮)>※注:旧)矢作橋

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑪~寄り道~松平清康公のお墓がある大林寺

はじめに前回の「東海道・岡崎宿二十七曲り」の旅の終点から東海道を西に歩むのを止め、逆方向に少々足を延ばす。 少し歩みを進めると家康公・祖父である松平清康公のお墓がある大林寺(だいりんじ)に着く。 今回は私たちの先祖・重辰が仕えた清康公のお墓参りをすべく寄り道する。 今回の旅の概要家康公の祖父・清康公の略歴を非常に丁寧、且つ、きれいにまとめた記事があったため、そちらを参考いただきたい。 私も概要をまとめた後、詳細を追って調べたいと思う。 松平清康公について 前回までの

【東海道】岡崎二十七曲りを歩く④ 両町~伝馬町(寄り道:祐傳寺、徳王稲荷、三河別院、円頓寺)

はじめに前々回の記事で、『岡崎二十七曲り』の「旅の目印」”ろ”まで進んだ。 今回はその先へと足を進める。 ”ろ”の目印までの記事は以下を参照いただけると幸いだ。 今回の旅の始点・終点は以下のとおり。 東海道・岡崎宿の宿場町まで歩みを進める。 今回の旅は「旅の目印」”ろ”から始める前回までの「旅の目印」に従って道なりに西に向かう。Googleマップでは近隣の道が『東海道』となっているが、ここは「旅の目印」を優先する。 江戸時代初期には「旅の目印」”ろ”付近以西は岡崎城