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コラム・政治家の劣化・考

政治家、特に国会議員とはなんであろうか?
昔はいざ知らず
現在では、国会議員といえば、
やけに落ち着きがなく、頼りなく、子供みたいにバカなことを言い出したり。何人かは反社と繋がっている、あるいは反社そのものとおぼしき人もいる。
それなのに、彼らをして、法律を作らせたり、大きな国の運営を担わせたり。
与えられている仕事が大きすぎる。
危うさを感じるのは私だけだろうか?

そもそも、どうして国会という制度が必要なのだろうか?
というところから、あらためて考えてみる。
国家運営していくためには、法律というルールを作って施行していく必要があるわけだが、
1,国家の状況がどのようであって、どのような法律を作る必要があるかを吟味する。
2,法律案について、議論討論を尽くすことで、法律案の良い点悪い点を浮かび上がらせ、修正して、多数決により採否を決めて、全員に守らせる。
3,あと、日本は議院内閣制なので、長く当選して立法府の人間としていくつかの得意分野の立法について熟達してもらうと同時に、行政府のトップに立つ人材を養っている、側面も見逃せない。

1,について。
明治初期には、政府に対する目安箱があったという。
きっと、政府は民衆の要望をなかなか把握しにくかったのであろう。
昭和に入って、現行憲法が施行されるころも、まだまだ交通通信が不便で、地方の問題は東京になかなか伝わりにくかったに違いない。
それで国会議員は、地方の要望の取りまとめるという役割を担う必要性があったのではないだろうか。(それが行き過ぎないようにするため、わざわざ憲法には「国会議員は全体の奉仕者」と書かれているのだと私は考えている)
しかし、現代ではテクノロジーの発達のおかげで、地方と東京の距離は著しく近くなり、容易に気軽に細かい情報を知らせること受け取ることができるようになった。

2、について。
また、議論を行うにあたって、議論に参加する人数が多すぎると、論点が散漫になって妥当な結論に辿り着きにくくなる。
そのため、代表者を選んで一般国民は間接的にしか議論に参加できない状況にしているのであろう。
しかし、現在では、社会の問題は多岐にわたり、専門は細分化されている。論点を集約するために、政治家がだけが参加できる閉鎖的な討論空間にしないほうが良いのではないだろうか。
インターネットの発達で、多くの人が意見を表明して議論できる環境は整備されつつあることだし。

3,について。
日本の政治家は、日本の国益を考えて、日本の富や幸福が最大化されるように行動してもらわなければならない。
その規模の大きさから考えるに、相当な責任がかかっているのは言うまでもないことだ。
行政のトップに求められる技量は、かなり高度なものであるのは間違いない。
しかし、現在のように、経済が大きく発達して、政治よりも経済の重みが大きい状況であるため、良い人材は政治に回ってこない。
だから、残念な政治家が多数を占めるのも、ある意味当然のことなのだろう。

日本国民の多くは、「政治は大事なもの。自分のお金のことになんか執着しないで、サービス精神で従事しなさい」と考えているのではなかろうか。
その考えは、たぶん、虫が良すぎる。

私としては、
理解が浅く落ち着きのない全体の奉仕者たる自覚がない国会議員が多すぎる現状を打破するには、
国会議員の定数を減らして、国民の監視も行き届きやすくし、
そのぶん国会議員でない大臣をもっと多く登用するのが良いと思う。
政治家が、一般企業の役員のステップのひとつとなっても良いかもしれない。

利益相反などの問題もあるだろうが、安い給料で日本の国家運営に良い人材を得るためにはやむを得ないのではないかと思う。
それほど、政治家と民間企業経営者の能力の差は大きい。

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