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【ショート小説】好きだったのよ、あなた

木材の断面から湧き出る粉っぽい香りと、鉄材の張り詰めたような香りが混じり合って鼻頭を刺激した。自分は誰かに気付かれないように、それを肺の奥まで吸い込んで、すぅと吐き出す。開店したての平日のホームセンターは、数人の業者がまばらに各々の必要な道具を探し当てる姿以外は、まだ眠りから覚めていないように暗く静まり返っていた。自分は並んでいる木材に頬を擦り付けると、光悦の表情を隠し切れず思わず、おぉと声を漏らした。許されるならば、全裸になってここの木材全てに自分の全身を擦り付けたい心持ちであったが、流石に良識が強いブレーキをかける。
いかんいかん。自分は気持ちを落ち着かせる為にレジ付近の人が多少は居る方向へ歩いて行く。入口からレジを抜ける大きな通路には、最新の電子工具が所狭しと陳列されていた。目に飛び込んで来る機械の無機質なフォルムに未来を感じる。一体全体何をどうやって使うのかも分からない鉄とゴムの塊はさながら統率の効かない精鋭部隊の如く、自身の能力を静かに誇示していた。ふと、インパクトドライバーの切先に触れる。冷たいドリルの先端はものを言わず自分の指先の体温を下げていく。背筋にゾクゾクとしたものを感じると、そっとグリップを握ってインパクトドライバーを持ち上げる。小振りな見た目に相反して、ずっしりとした重みが彼の内に秘めた確かな自信と重なる。恐る恐るスイッチに人差し指を這わせると、一度唾をごくりと飲み込んだ。レジでは、出勤したてのパートのおばちゃんが談笑している。自分は覚悟を決めて思いっきり人差し指を手の平の内側に向かって力を込める。パキッとした音を合図にインパクトドライバーは鋭い回転を見せるかと思いきや、人差し指は先程の位置から動いていなかった。ロックのかかったインパクトドライバーは、お前さんには、まだ早い。とこちらに関心すら持っていないように思えた。ふふっと笑みを溢すと同時に、焦らされた感覚がムクムクと指先から全身に伸びて来る。どうしても、これを動かしたい。そう思って辺りを見渡すと、汚い木材の切れ端に鎖で繋がれてぐったりとしたようなインパクトドライバーが目に入った。自分は数歩先のその場所へ、小走りになりながら向かうと、疲れ切って倒れているインパクトドライバーを力任せに取り上げ、胴体の半分程を木材に埋めているビスに装着して、めちゃくちゃにスイッチを握りしめた。自分の指の力を受けたドライバーはキュウイィィィンと甲高い雄叫びを上げ、目にも留まらぬ速さで回転を始める。木材を押さえる左手と、スイッチを押している右手から、優しい摩擦と抵抗が伝わると自分は舌先にそれを構える妄想を始めた。いかんいかん。自分はパッと手を離し不吉な妄想を忘れようした。目の前には、強烈な逆回転を決められて、下半身を剥き出しにされたビスが恥ずかしそうに転がっていた。自分ははやる気持ちを抑えるように、その場を立ち去り、細々としたコーナーへと足を向ける。ホームセンターには実に様々な物が溢れていた。外壁から壁紙まで使えるペンキコーナー、耐久性の優れたアルミサッシに連動するように、虫除けグッズが並ぶ網戸コーナー、世界中のネジを回せる程種類豊富なドライバーコーナー。どれも自分の興味を刺激して、キャバクラのキャッチのように手招きをしている。ふと、自分は棚受けのコーナーで足を止めた。そこには大小幾つかの棚受けが無機質に並べられている。一つを手に取って曲がり角を指で触ると、えもしれぬ快感が脳にダイレクトに突き刺さった。決して曲がる事の無い鋼鉄が、自然界には無い未知の道具によってあられも無く折り曲げられ、辱めを受けるようにぞんざいに置かれている。そして、何より自分によって今恥部を撫でられている。溢れ出て弾けんばかりに涎が込み上げて、舌先はすっかり底に沈んでいる。手に持つ棚受けを軽く振ってみると、何の音も立てる事は無く只左右に綺麗に動く。そうやって油断した隙に再び、カーブを指で摘むといやらしくゆっくりと擦る。ある程度そこを撫で回すと徐に両端を持って口元に運ぼうとして、いかんいかん。いくらなんでも舐めたらあかん。と正気に戻った。自分は手にした棚受けを軽く額に打ち付けると棚に戻して、そそくさとその場を立ち去る。軽く打ったはずの額は真っ赤に腫れ上がっていた。自分はホームセンターの中央に立ち、ふぅと大きく息を吐くと、最短ルートで板を数枚とビスのセットをピックアップしてレジを終えた。

家に着くと早速購入した板をビスで止め始めた。

床板に入口を除いて壁板を打ち付ける。入口には大きく口を開けたようにノコギリでカットした板を止める。天井部に板をはめ込んで、強度を増す為にビスを打ちつけた。屋根は板二枚をくの字型に固定して、両脇を小屋部分にビスで取り付ける。シンプルな設計にした為、作成にはそれ程時間をかけずに大きめな犬小屋が完成した。
自分は服を脱いで、その中に入るとごろごろと転がって、全身に当たるざらざらとした木材の感触に気絶をしそうになる。いかんいかん。こんな所で気を失うなんて、もったいない。そう思うと、部屋のドアがガチャりと開く音がした。自分は脳内に爆破したマグマの如き熱を感じて、音のした方に目を向ける。そこには、真っ黒なボンテージに仮面をかけた女性が鞭を持って立っていた。
「あら、汚い犬ね。」
女性はそう言うと足に駆け寄った自分の背中に鞭を打った。走るような鋭い痛みが熱を帯びて背中に張り付いて離れなかった。涎はべちゃべちゃとフローリングを汚して、自分は腹を出して仰向けになった。欲しい。もっと欲しい。数回鞭が腹を打つがそれでも満足出来ず、傍にあった首輪を咥えて女性の前に落とした。自分は犬だ。紛れもない犬だ。名前はまだない。全裸のまま涎を撒き散らしながら、目の前の女王様を見上げた。
「あんた、本当にヤバいよ。」
女王様はマスク越しの瞳にえもしれぬ恐怖を滲ませていた。

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