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トルコの港町から甲子園決勝を観戦する【旅コラム】

 2022年8月22日、午前8時。

 私はトルコの港町フェティエの宿から、夏の甲子園決勝戦が始まる瞬間をパソコンの画面越しに見守っていた。
 プレイボールは日本時間で14時なのだが、トルコは6時間の時差があるため朝からの観戦となった。

フェティエの様子。港町だが、のんびりした空気が流れている

 決勝戦を戦うのは、いずれも甲子園初優勝を目指す宮城県代表・仙台育英と山口県代表・下関国際。
 ここまで4戦で計39得点と猛打で勝ち上がってきた“東北の名門”仙台育英に対し、大阪桐蔭や近江など優勝候補を次々と破って初の決勝戦へ駒を進めた“ダークホース”下関国際が挑む構図だ。

 主審がプレイボールを告げ、試合開始を知らせるサイレンの甲高い音が甲子園に鳴り響く。

 ——さぁ、頑張れよシモコク。

 私は心の中で下関国際へエールを送った。
 実は、私はこのチームとちょっとした「縁」があったのだ——


      *  *  *


 2017年、夏。

 駆け出しの新聞記者だった私は、赴任先の山口県で高校野球の取材を担当していた。その年に、初めて県大会を制して甲子園への切符を掴んだのが下関国際だった。

 県大会決勝の興奮は今も覚えている。
 優勝候補の宇部鴻城を相手に、下関国際は粘り強く食らいついていき、4-3と1点リードして9回を迎える。
 1点を守り切れば悲願の初優勝となる下関国際は、エースの植野翔仁君が2死を奪うもランナーを1、2塁に背負っていた。長打を打たれれば、サヨナラ負けもありうるピンチの状況だった。

 ここでバッターボックスに立ったのは、宇部鴻城の百留佑亮君。
 植野君と百留君はこの試合で投げ合ってきた好敵手、というだけの関係ではない。2人は小学生時代にバッテリーを組んで共に戦った幼馴染同士だった。

 2人は一歩も引かず、3ボール2ストライクのフルカウントにもつれ込む。勝負の一球で百留君はフルスイング。痛烈な打球はわずかに右方向にそれてファウルになった。
 あわや長打、という当たりだった。

 記者席を出てスタンドにいた私は、ハラハラしながら2人の勝負の行方を見守った。
 スポーツの記事を書く時は、その試合の最も印象的な場面を中心に執筆する。その場面は、間違いなく今目の前で繰り広げられている2人の攻防だ。私は興奮しながら、一球一球の様子をノートに書き記していった。

 大ファウルを打たれた後でも、植野君は強気の姿勢を崩さない。次の球に選んだのは、植野君の決め球スライダー。鋭い変化に百留君のバットが空を切り、熱戦は下関国際の勝利で幕を閉じた。
 2人の勝負を書いた読み物記事は『幼なじみ 約束の地で熱戦』という見出しで新聞に載り、切り抜きは今でも実家で大切に保存している。

植野君と百留君の勝負を書いた読み物記事

 県大会を勝ち抜いた下関国際の担当記者として、私は甲子園にも取材に行った。
 地方大会では、個人的な思いはあれど公平性のために特定のチームを応援することはなかった。しかし、全国大会では話は別だ。山口担当の記者として、“おらが県”のチームを思い切り後押しできる。そのことが私にとっては嬉しかった。

 だが、全国の壁は厚かった。下関国際は香川代表の三本松相手に4-9で敗北し、初戦で甲子園を去ることになる。
 選手たちの夏が終わったと同時に、私が記者として駆けずり回った夏も終わったのだった。

スタンドから甲子園の開会式を取材した時の様子


      *  *  *


 あの下関国際が、甲子園の決勝戦の舞台に立っている。

 大阪桐蔭や近江といった名だたる強豪を倒して、そこに立っている。

 その事実がなんとも信じがたいことであり、同時に誇らしくもあった。

 試合は3回まで両チームの好守が光る投手戦が続く。下関国際の先発・古賀康誠君はスライダーを多投し、仙台育英打線を打たせて取っていた。

 古賀君の投げるスライダーは、かつてチームを初めて甲子園に導いた植野君の決め球を彷彿とさせる。新聞社時代の後輩から、植野君が去年から下関国際のコーチに就任したと聞いていたので、もしかしたら直伝された球なのかもしれないと思い嬉しくなった。

 しかし、古賀君は猛打の仙台育英打線に捕まり出し、5回までに3点を失う。負けじと下関国際も“魔曲”『Vロード』の勢いに乗って6回に1点を返し、食らいついていった。
 下関国際がチャンスの場面で流れる応援曲『Vロード』だが、もともとは2018年のセンバツで長崎県代表の創成館が演奏していた曲だった。創成館と初戦で戦った下関国際の応援団が、その年の夏の大会から自チームの応援に取り入れたという背景がある。

 2018年夏の甲子園で下関国際が初の8強入りを果たして大躍進した時に、『Vロード』は逆転の魔曲として全国に知られ渡った。
 準々決勝で大阪桐蔭相手に下関国際の4番賀谷勇斗君が逆転の2点適時打を放った時に流れていたのも、この『Vロード』だった。

 下関国際は6回で、その大阪桐蔭戦で好投を演じた仲井慎君をマウンドに送る。
 仲井君は140㌔台の直球で押す本格派投手で、高めの明らかなボール球に打者が手を出してしまうほどキレのいいストレートが持ち味だ。

 6回は無失点に抑えた仲井君だったが、7回に試練が訪れる。

 死球からピンチを招いて1点を失い、さらに無死満塁に。4番斎藤陽君を三振に仕留めるも、続く5番岩崎生弥君に高めに浮いたストレートを捉えられた。討ち取ったかとも思われた打球は、風に乗ってレフトスタンドへ。

「おいおい、嘘だろ」

 私は宿の共有スペースで思わず呟いてしまった。

 まさかのグランドスラムだった。

 右手を突き上げ笑顔でダイヤモンドを回る岩崎君に、悔しそうに俯く仲井君。打った側と打たれた側がはっきりと対象的に写る瞬間だ。

 あまりにも重い4点が入ってしまった。
 私が目に見えてうなだれていると、隣で朝食を食べていたアメリカ人が「どうしたんだ?」とでも尋ねるように顔を覗き込んでくる。私が野球の映像が映されているPCを指差すと、何が起きたか察したようだった。

 試合は7点ビハインドで下関国際の9回の攻撃に入る。
 この回は最初から魔曲『Vロード』が掻き鳴らされた。“ミラクル”を願うスタンドの応援団の気持ちが画面越しに伝わってくるようだった。

 先頭打者が倒れ、1死でバッターボックスには仲井君が立つ。
 満塁弾を打たれた仲井君だったが、闘志は消えていなかった。ボールを綺麗にレフト前に弾き返して出塁する。

 私は「ああ、ここだな」と思った。
 もしこの試合を下関国際からの視点で書くならこのシーンを中心にするだろうと。
 準々決勝、準決勝で好投し、快進撃の立役者となったが、決勝で力尽き満塁弾を被弾。しかし意地で食らいついて出塁し、仲間に後を託した——そんな流れの記事を書くだろうと。

 結局、この回の得点は叶わず1-8で敗戦。仙台育英が東北勢で初の甲子園優勝を果たし、悲願の「白河の関越え」を叶えた。
 下関国際も堂々の準優勝だ。もちろん悔しい気持ちはあるだろうが、大健闘だったと誰もが認める結果を残したことは間違いない。

      *  *  *


 試合の放送が終わり、PCを閉じた後も私はしばらくその場から動くことができなかった。
 感動した、という表現は安っぽいだろうか。ともかく、心が震えていた。
 いや、それだけではない。充足感に満ち足りている一方で、どこか虚しさを感じている自分もいた。

 かつての同僚や後輩、あるいは同業他社の記者たちは今ごろ決勝戦の記事作りに追われていることだろう。その中に自分がいないことが、なんとなく悔しい。

 古巣を去ったことに後悔はない。
 ただ、高校野球を取材していた自分は間違いなく充実していたのだ。かつて担当していたチームの試合を見て、その日々が懐かしく、そして輝かしく思い起こされてくる。

 それは、高校野球を経験したかつての球児たちが、引退した後にテレビでふと甲子園を観た時に抱く感覚に近いのかもしれない。

 自分の青春は、確かにそこにあったのだと。
 そして、自分はもうそこにはいないのだと。

宿の共有スペースで観戦

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