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天空の廟【無職放浪記・エジプト編(9)】
エジプト南部はヌビア地方と呼ばれており、アスワンはその地方で最大の都市だ。
アスワンは世界遺産であるフィラエ神殿などいくつもの遺跡があるのだが、どうしてもアブ・シンベル神殿観光のベットタウンとして見られがちである。
その分、ルクソールのような“観光地ずれ”した雰囲気は控えめなため、しつこい客引きも少なく過ごしやすい街だ。駅前の広場も綺麗に整備されており、エジプトの街にありがちなゴミが散乱しているということもない。
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さらに旅人にとってありがたいのは、駅を出てすぐ左手側にある市場(スーク)の存在だろう。安くておいしい飲食店や土産物屋が軒を連ね、買い物に便利というだけではなくぶらぶら歩いているだけでいい暇つぶしになった。
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さて、アスワン市内では特にどこか観光する予定のなかった私だが、ナイル川沿いを散歩している時に「おっ」と興味を惹かれる場所を見つけた。
川を渡った先の対岸に小山のような砂丘があるのだが、その頂上辺りに何やら遺跡のような建物が建っていたのだ。
景色を見下ろすのが好きな私は、高い場所を見つけるとついつい登ってみたくなってしまう。この日は砂丘の遺跡を目指すことに決めた。
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ルクソールでもそうだったが、アスワンでも川を渡るためには船に乗らなくてはならない。アスワン駅から真っ直ぐ歩いていき、ナイル川にぶつかる辺りに対岸への渡し場はあった。
地元の住民が利用する渡し場なのか、観光客らしき姿は私以外に見当たらない。ヒジャブ姿の女性が受付の青年に5ポンド札を渡しているのを見たので、私も黙って5ポンド札を机の上に置くとすんなり乗船することができた。
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隣に座った男と片言の英語で話をしている間に、船は対岸へと到着する。
船着場から砂丘の山まではすぐ目の前だったが、私は先に『岩窟墳墓群』という古代エジプトの貴族の墓を見学することにした。
見学料は30ポンド(210円)とエジプトの観光地にしては控えめだった。ところが、100ポンド札を渡すと受付の男は「ノーチェンジ。オーケー?」、つまり「お釣りはないが大丈夫か?」と話すではないか。
観光地の受付に釣銭を用意していない、というのは考えにくい。この男は私から70ポンド多くせしめて懐に入れようと考えているのだ。
私は渡した100ポンド札をひったくるように取り戻すと、財布にしまって歩き出した。受付の男は慌てて机の引き出しの中から釣銭を用意して呼び止めてきたが、私は足を止めなかった。
本来の目的のついで寄っただけで、どうしても見ておきたいような場所でもない。それに、今の嫌な気分のまま墓参りをしても、古代エジプトの貴族たちも迷惑だろうとも思った。
気を取り直して、砂丘の遺跡を目指すことにする。
頂上に続く石段は、人が通れないように鎖で封鎖されている。通りがかった人に話を聞くと、石段は危ないので通れないが、ぐるっと周り道をすれば頂上に行けるらしい。
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太陽に熱せられた砂に足を焼かれながら砂丘を登っていくと、遺跡が近づいてきた。
こじんまりとした建物が一つ建っているだけなので、遺跡と呼ぶのは大げさだろうか。社、あるいは廟と表現するのが正しいかもしれない。
周囲に高い場所がないためか、上り坂の途中から廟を見上げるとまるで天空に建っているように見える。
廟のある場所からは、アスワンの街並みが一望できた。
小さな街だと聞いていたが、遠くまで建物が広がっている。ナイル川の中州に浮かぶ二つの島は、片方が高級ホテルが並ぶエレファンティネ島、もう片方が島が丸ごと植物園になっているキッチナー島だろう。対岸を行き来する船の軌跡が、鮮やかに水上に引かれるのがよく見えた。
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私は岩の上に腰を下ろして、しばし絶景を楽しんだ。
エジプトでは何かを“観る”ためにはいつも料金が必要だった。もちろん、支払うだけの価値がそこにはあるのだが、こうして何でもない場所で心ゆくまで過ごす時間が一番「自分は旅をしている」と実感する。
私は絶景が見えるその場所に『天空の廟』と勝手に名前を付けた。
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