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エジプト鉄道に乗ってアスワンへ【無職放浪記・エジプト編(8)】

 4日間滞在したルクソールにも、いよいよ別れを告げる日がやってきた。

 到着した当初は、日差しの強さと客引きのしつこさで嫌気が差していたこの街だが、おいしいジューススタンドやお気に入りのナイル川スポットができて、居心地の良さを感じ始めていた。
 4日という時間は、街が体に馴染むまでの必要最低限な時間なのかもしれない。

 次の目的地はナイル川をさらに南に下った場所にある街アスワンだった。
 ルクソールーアスワン間はクルーズ船の船旅で移動する観光客も多い。いわゆる「ナイル川クルーズ」はアガサ・クリスティの作品『ナイルに死す』の舞台になったことでも有名で、船内で大富豪の令嬢が殺された事件に名探偵ポワロが挑む、という内容になっている。

 クルーズ船は240キロ程度の距離を3日も4日もかけて進んでいく。ナイル川にどっぷり浸るのも悪くないかなと思った私は、現地でいくつかツアー会社を探して色々話を聞いたのだが、結局船に乗ることはなかった。
 金銭的な判断はもちろんある。1日当たり100ドルで、3泊4日で計400ドルとなると5万円以上の出費だ。これからの旅路を考えると、なるべく節約しておきたい。

 それ以上に、自分にはまだのんびりクルーズの旅は早い、という直感があった。
 まだ20代。体力任せな旅も問題なくできる歳だ。ならば今できる旅をしてしまった方がいい。
 クルーズ船は、私がもう少し大人になって、金銭的な余裕も生まれて、ゆっくり旅がしたいと思うようになってからでも遅くない。

神殿を模したルクソール駅

 私は荷物をまとめて宿を出ると、ルクソール駅へ向かった。駅舎は神殿を模した面白い外観をしている。ここから鉄道に乗ってアスワンを目指す。
 窓口は切符を買い求める客で混雑していた。しかも、一人一人の対応時間がやけに長い。もめているのか交渉しているのかわからないが、何やら口論になっている客もいた。
 20分ほど並んでようやく私の番になった。

「アスワンに行きたい」
「いつの便に乗りたいんだ?」
「今すぐだ」

 私が答えると、窓口の男性はホームを指差し「今日出発の便に乗るなら車内で買え」と淡白な対応だった。やり取りに費やした時間は約30秒くらいだろう。もう少し聞きたいことはあったのだが、男性は次の客を手招きしてしまった。私は苦笑いしながら窓口を離れた。

 ホームで待っていると、8時40分発の列車が9時に到着した。エジプトの鉄道事情は詳しくないが、20分遅れは常識的な範囲内なのだろうか。
 車内を見渡せば、乗客はそれほど多くない。すでに乗車している客の多くが、4人がけのボックス席を贅沢に1人で使って爆睡していた。

車内の様子。乗客は皆爆睡中

 私は空いたボックス席に座って出発を待った。売店の親父が窓の隙間から顔を出し、「紅茶かコーヒーはいらないか?」と尋ねてきたが断った。朝食を食べていなかったので、何か腹に入れたかったが、ちょうどいい小銭を持ち合わせていたなかったのである。

 汽笛が鳴って、列車がゆっくり動き始める。私は車窓から景色を眺めながら、ルクソールの街に「さよなら」と告げた。
 車内では飲食の移動販売のほかに、腰にポットを下げたコーヒー売り、珍しいところでは腕時計売りなんかが歩き回って乗客に品物を見せて回っていた。

 ——電車の中で腕時計なんか買う人いるのか?

 そう思っていたが、右斜め前の席に座る中年男性は真剣に腕時計を見比べていたので、意外と売れるのかもしれない。
 列車の進行方向右手側では、時折ナイル川が顔を覗かせる。鉄道は川に沿うように路線が通っているので、船のクルーズとまではいかないまでも、川の流れと一緒に移動している感覚が嬉しかった。

 驚くのは、進行方向の左手側を見ると荒野の風景が続くことだ。水と緑が豊かな右手側と黄土色一色の左手側では、まるで別の国の風景を見ているように感じる。エジプトを旅していると、様々な場面で『ナイルの恵み』というものを実感する。

 2駅か3駅を過ぎたあたりで、乗務員らしき4人組がやってきた。全員私服姿なので本当にエジプト鉄道の関係者なのか疑ったが、一応本物らしかった。

 料金は85ポンド。
 約600円。

 最初に75ポンドと聞いていたのに、途中からなぜか10ポンド値上がりした。理由は最後まで分からなかったが、追求する気にならなかったので100ポンド札を渡してお釣りを受け取った。

 爆睡する周りの乗客につられてウトウトしたり、線路沿いに点在する村や町で生活する人々の様子を車窓から眺めたりして過ごしているうちに、列車は次々と駅を通過していく。
 アスワン駅に到着したのは、ルクソール駅を出発してから約3時間、ちょうど正午の頃だった。

アスワン駅

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