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短編小説|ロスト・アーモンド no.7

 深夜から翌朝のラッシュまでの激しい勤務を終え、朝九時すぎに部屋に戻った。
 ロクは食器棚の隙間に隠れていて、僕が見つけると、いったん籐の椅子の上に落ち着く。
 食事を作ろうか、そのまま眠りに就こうかと迷いながら冷蔵庫を物色している僕に、ニャ~とロクがひと鳴きする。
 それからおもむろにロクは玄関に向かい、もうひと鳴き。
 僕はロクに訊ねる。

「ロク、珍しいね。散歩に行きたいのか?」

 それに応えるように、ロクはまたひと鳴き。
 ロクは普段あまり散歩には行きたがらない。部屋に籠らせるのも良くないと思い、僕は外に連れ出そうとするのだけど、ロクはすぐに部屋に戻ろうとするのだ。

 まだ陽が高くなる前だし、眠りに就く前に軽く運動するのも悪くない。
 僕は玄関に向かい、ロクの要望に応える事にした。

 リードを装着して、アパートの階段を駆け降りると、ちょうど大家さんと鉢合わせた。
 大家さんは嬉しそうにロクに話しかける。

「ロクちゃん、良いわね~。お散歩?」

 僕が代わりに答える。

「そうなんです。普段はあまり外に出たがらないんですけど、今日は何だか気分が違うみたいです」

「そうなの? うちの子たちなんて、じっとしてられないからいつも催促されて大変」

「ロクはちょっと変わってるみたいです。柱や壁にも傷つけたりしないんです」

「あら、お利口ちゃんね~」

「大家さんのおかげで、楽しく過ごしてます」

 ロクが催促するので、大家さんとの挨拶を早々に切り上げ、ロクの向く方へ歩く。
 郵便局の角から通りに出て、コンビニを過ぎ、そのまま公園へ。

 公園では一緒に駆けっこをしようと算段する僕の思惑をよそに、ロクはベンチの前の陽だまりを見つけて、そこに丸まる。
 仕方なく僕もベンチに。

「ロク、せっかく散歩に来たんだからもっと遊んでも良いんだぞ」

 僕が日向ぼっこ中のロクに苦情をもらしていると、後ろから誰かに突然話しかけらる。

「かわいい黒猫ちゃんですね~?」

 振り返ると、話しかけているのは僕と同じ年くらいの女性だった。

「あっ、はい、ロクちゃんです!」

 びっくりして声が上ずってしまい、どこかの芸人みたいに答えてしまう。我ながら、おかしな返答だった。僕は何を答えているのか。

「ロクちゃんって言うんだ? かわいい」

 その女性に、横に座っても構わないかと訪ねられ、僕は頷く。
 若い女性には慣れていないものだから、緊張してしまい、可笑しな間合いに身体をよけてしまう。
 そんな僕とは対象的に、ロクはその女性の足元にしくふてぶてしく鎮座し、自分の身体を擦りつけて甘える。ロクが僕以外の人間にまとわりつくのを、僕は初めて見た。

「何てかわいいの? すごく人慣れしてるんですね?」

「いや、ロクが僕以外の人間に甘えるのは初めて見ました」

「猫ちゃんも甘え上手だけど、あなたもお上手ね?」

 彼女は含み笑い、僕を見た後、ロクの頭を撫でる。そうだ、あの言い方ではまるで僕がこの女性を口説いてるみたいじゃないか。

「あ、いや、そうじゃなくて、本当に!本当なんです」

「良いわ、ありがとう。そういう事にしておく」

 彼女が立ち上がると、ロクが甘えた声でひと鳴きする。そのまま足にまとわりつこうとしているので、僕はリードを引いてそれを制する。
 女性はいったんしゃがんでロクの頭を撫でると、優しくロクに語り掛ける。

「ロクちゃん、また会いましょうね」

 それから僕に向かって付け加える。

「そろそろ行かないと」

 何と答えたものか分からず、「はい、それでは」と、僕は間抜けに返す。
 女性は公園の出口に向かって颯爽さっそうと歩いて行き、消えて行く。
 同じ年頃の女性と話したのはどれくらいぶりだろうか。田端さんに話したらきった、誘いはしなかったのかと追及されそうだ。
 僕がぼんやりと先ほどの女性の消えゆく背中を眺めていると、切り替えの早いロクは自宅の方向にリードを引っ張る。
 そんなロクの背中に、何故かひと仕事を終えたような貫禄すら感じるのだった。

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