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短編小説|ロスト・アーモンド no.9

 深夜勤務は一人で担当することが多い。

 その日の勤務も夜勤メンバーを見送った後は、一人で業務をこなしていた。

 定期的に棚の前出しをしたり、棚のほこりを払ったり、朝の荷物が届くまでは、実は殆ど手持ち無沙汰な時間だ。

 来店があり、入店のチャイムを片手間に聞きながら、僕は作業に没頭する。

 足音から一人客だと分かる。

 ちょうど僕が作業していた製菓棚に足音が近づいてくる。

 棚の埃を払うハタキを動かす手を止めて、客の邪魔にならないようにと移動する。僕が客に背中を向けたとき、その客から呼び止められた。その声は女性のものだった。

「あーっ、 あなたって? 猫の《《クロ》》ちゃんの?!」

 先日公園で話した、あの女性だった。

 僕は驚きで、また声が上ずってしまう。名前の訂正は忘れない。

「《《ロク》》ちゃんです!」

 その女性がクスリと笑う。

「コンビニの店員さんだったんですね」

「あ、はい…。 あの、何かお探しでしたら、なんでもおっしゃってください」

「うん、でも大丈夫そう。ここにあったから」

 その女性は少ししゃがんで、チョコのパッケージを手に取る。明治製菓の赤と白の、あのパッケージのチョコだった。

「読書するときはどうしても、このチョコが欲しくなるの…。こんな夜中だけど切らしちゃったから、ついつい…」

 僕たちはレジカウンターで向き合っていた。

 会計を済ませ、商品を彼女に手渡す。

 僕は勇気を出して、彼女に質問する。

「あの…、もしかしたら、このチョコレートと一緒に何か飲まれたりしますか?」

 彼女はしばらく考えてから答える。

「う~ん…、コーヒーかな、やっぱり」

「どうして、このmeijiのチョコなんですか?」

「何て言うか…、食感? 私は冷蔵庫で冷やして食べるのが好きで…」

「あの、もし…、このチョコレートがこの店で見つからなくて、僕にこのチョコを探してほしいと説明するとしたら、どんな風に訊ねますか?」

 女性は訝しく僕の目を覗き込む。

「質問攻めなのね?」

「あ、すみません…」

 考えてみれば深夜のコンビニで、親しくもない店員にこんなに質問攻めをされたら怪しく思うに決まっている。僕と趣味があまりにも似たいたせいで、つい興奮してしまった。それにもしかしたら、僕と同じ違和感を持っているのではないかと、淡い期待が膨らんでいた。

 彼女はにっこり微笑むと、快く答える。

「meijiのボール状のチョコレートありますか、って風かな? 赤と白のパッケージの…」

 そこまで言って、彼女は少し困った顔をした。

 僕は気持ちの昂りを抑えきれず、彼女にもう一度訊ねる。

「僕は最近気が付いたんですけど、商品名がCHOCOLATEって困りますよね? それにこれも最近気が付いたんですけど、このチョコの中の空洞も今更ながらなんか変なんですよ…」

 彼女の目が、見る見る大きくなる。

「そう! そうなの! 私も最近ずっと変だと思ってた!」

 やはり違和感を抱えていたのは、僕だけではなかったのだ。

 僕は彼女に確信をもって断言する。

「だから、この空洞が大きすぎるものだから、僕もこのチョコレートを冷やして食べるんです。もちろん、食感を楽しむためだし、美味しくするために」

「私もです」

 こんなに熱く誰かと話したのは、いったいどれくらい振りだろう。

 深夜のコンビニの、他に誰もいないカウンターで向き合い、僕は不思議な波長を感じていた。

 コーティング物理学の本には、確かこんな一節があった。

”この宇宙には真空を嫌いそれを埋めようとする勢力と、真空を好みそれを広げて膨張させる勢力が常に拮抗している。”

 今、僕が感じた波長は、おそらく空間を埋める作用があったのではないかと思えた。なぜならたった今、僕には満たされる感情が沸き上がったのだ。

 彼女が、物欲しげに僕を見つめていた。

 あまりに興奮していたせいで、僕はお釣りを渡し忘れていたのだった。

 僕が頭を下げ、慌ててお釣りを手渡すと、彼女も丁寧に頭を下げ、それではとそそくさ店を出ていった。

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