短編小説|ロスト・アーモンド no.10
少なくとも、あのチョコレートに違和感を持ってるのが僕だけではないことが分かった。
そしてチョコを冷やして食べているのも、僕だけではなかったのだ。
それにしても考えれば考えるほど、納得がいかない。
冷やせる環境にいれば、当然冷やして食べるのだけど、常温であのチョコを食べるには少し無理があるように思える。空洞が大きいせいで、チョコレートは脆く崩れてしまう。ミルクチョコなので、特に高温多湿には弱い筈だ。
どうしてそんなチョコを開発し、おまけに市場に送り込んだのだろう。それもかなりのロングセラー商品なのだ。解せない、とはこのことではないか。
僕が部屋の中でチョコレートを睨みつけていると、ロクがじっと僕を見つめていた。
僕はロクに語り掛ける。
「ロク。君が気になってるこのチョコ。謎だらけなんだ。でも大抵の人は特に疑問を感じてないようなんだけど、中にはおかしいって感じてる人もいる。こないだ公園で話した、あの女性なんだよ」
そこまで話したところで、急にバカバカしくなる。
僕は猫を相手に、何を真剣に話しているのだろう。
ベッドに横たわり、本を開く。再びコーティング物理学の世界に没頭することにした。
量子の世界は科学とは思えない世界観だった。まるで哲学みたいだ。僕はそう思った。我々のいる空間には右があり、左がある。上があり、下がある。もちろん我々はどちらの方向にも進めるわけだが、時に不可逆的に進行せざるを得ない場合がある。熱力学第二法則やエントロピーの増大などで語られた場合だ。熱は高い方から低い方へ、エントロピーは低い方から高い方へ。時間もまた過去から未来へと不可逆的に進行する。
しかし戸倉博士が提唱するところによれば、この世界は常に今が噴出しているという。つまり過去も未来もたった今噴出している。世界はその連続性の中で生まれ続け、消えているというのだ。
我々の知覚は常にその《《有》》(戸倉博士はその状態を《《有》》と表現している)をパラパラ漫画でも見るように、認識している存在だというのだ。
なるほど。僕は呟いてみた。
でも呟いてはみたものの、ちっとも理解が出来なかった。それならその《《有》》を認識している我々はどこにいるんだ?
実際に自分たちが感じ、ふれあい、話している存在は自分以外の有なのか?
それでは有が出現し消えるまでの時間の経過は?
頭から無数の疑問が噴出したところで、ため息をつく。
ベッドから起き上がり、チョコレートを一粒摘まみ口に放り込む。口の中でしばらくコロコロと弄び、奥歯で噛みしめる。カリッと小気味の良い歯ごたえと、香ばしい風味が広がる。
待てよ。僕は思う。激しく自分自身を確認する。
今の感覚は何だろう。
実際には小気味の良い音も、香ばしい風味も、僕は感じてはいない。口の中で弄んだチョコレートは少し柔らかくなり、噛みしめた時に、ほんの少しだけ中の空洞を破裂させただけだったに過ぎない。
ではどうして、僕はカリっとした食感と香ばしい風味を感じたのだろう。
もう一度一粒のチョコレートを取り出して、僕は睨みつけた。
ロクがいつになく大きな鳴き声を上げる。
そうだ、先ほどの感覚は僕の記憶だったに違いない。何かしらの記憶が、僕の中で突然蘇ったのだ。きっとそうだ。
ロクがもう一度鳴き声を上げた。それからロクはベッドの上に上がり込み、僕の膝辺りに自分の頭をこすりつけた。
少しだけ何かに近づいた気がした。同時に僕の胸の奥に、高鳴るものがあった。
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